介護老人保健施設の体験記(2):
『もじゃもじゃの孫悟空』
我輩のテーブルで目の前に座っている爺さんには、さっそくこう
いうアダ名をつけた。もちろん本人には内緒だ。
とにかく長い頭髪がまっすぐ天に向かってつっ立っているという
のがなんとも異様な感じなのだ。
さらに驚くべきは、顔全部がしわくちゃだ。
しわで顔がつくられているといったほうが早い。
限りなく猿に近い。
こういう特異な人相に出会ったのは初めてだ。
会話は不自由そうだが、性格は善良そうだ。
車椅子を利用しているが姿勢がよく、武士のような威厳を、
そこはかとなく漂わせている。
『ひょうたん鯰(なまず)』
背はやや高く、痩せ型でのっそりしている。
顔つきはぼ〜っとしている。「のぼうの城」という小説の主人公
のような顔つきだ。
それが「孫悟空」の隣に座っている。
のっそりやってきて、他の人に挨拶をするわけでもなく、のっそ
りと椅子に腰掛け、新入りである我輩の顔を物珍しそうにぼ〜っ
と見ている。まばたき一つしない。
これもアダ名はすぐ決まった。
「孫悟空」は、この「ひょうたん鯰」が嫌いらしい。
各テーブルの上には、真ん中に透明プラスチック板の入った仕切
りボードが置いてあるのだが、「孫悟空」はこの仕切りボードを
「ひょうたん鯰」の鼻先にいつもズラす意地悪をする。
これでは食事の時に配膳を置く場所もなくなる。
だから「ひょうたん鯰」の食事は早食いだ。我輩の腕時計でタイム
を計ったらなんと5分で終わらせている。
「意地悪孫悟空」の隣から1秒でも早く去りたいのだろう。
食事が終わると、サッサと病室へ行ってしまう。
「孫悟空」の食事タイムは約10分ぐらいだ。
左手をテーブルの上に置き、肩肘張って威張ったような食べ方だ。
スプーンだけですべての食材を食べ、箸は使わない。
まるで食事マシーン(機械)のように、あたりを睥睨(へいげい)しなが
らシワシワの顔でモグモグと偉そうに食っている。
我輩は、この顔を見ると飯がまずくなるので、見ないようにして
食っているのだ。
何日かして、「ひょうたん鯰」はとうとう「孫悟空」の隣から空
いている我輩の隣の席へ避難してきた。
そのあとの空席へ入って来たのがいかにもレッサーパンダみたいな
印象の爺さん。
『レッサーパンダ』
短髪でメガネをかけた神経質そうな爺さん。
常に心配そうにあたりをを用心深く見回している。
方向感覚が弱いらしく、自分が着席するべきテーブルがどこにある
のか?2週間経ってもわからないらしい。
「孫悟空」が得意そうに手を挙げて誘導している。
杖をつきながら自分で歩いてきたかと思うと、次の日には車椅子で
病室から出てきたりする。
左ぎっちょで箸を使って食事をする。タイムは15分くらい。
とくに面白みのない人物である。
これでこのテーブルのメンバーは4人になった。
このうち3人は耳が遠く、1人は喋れない。
だからこのテーブルでは、会話というものは成り立たない。
みんなただ無言で座っているだけなのだ。
たいくつで眠くなるので、我輩は本を読むことにした。
図書コーナーから借りてくることができ、けっこういろいろな
種類の本がある.
本を読んでいる患者は少ない。我輩のほかには「本の虫」と
「大正時代の小説家」ぐらいで、病室に引き上げる患者以外は
何時間でもテーブルの前にぼ〜っと腰かけている。