写真は、朝日連峰大朝日小屋前(後方は中岳 1965.08.28)
中高年の登山ブームが定着し、どこの山に行っても中高年者が多い。(私もその中のひとりだが・・・)。 特に百名山と称される山では登山者で溢れかえっている。
現在の百名山と言われるものは、登山家で文筆家の深田久弥氏が、自分が登った日本全国の山の中から100の山を選びだし、「日本百名山」としてそれぞれの山を主題とした随筆の刊行をしたことから始まる。
この百名山は著者の独断と偏見で決めた「深田久弥の百名山」であるが、これがNHKの登山番組などで取り上げられるとともに、折りしもの中高年登山ブームにより有名になり、百名山に登山者が集中することになった。 この百名山を目指して一つひとつ踏破していく百名山ハントも、登山の楽しみ方のひとつとして否定するものではないが、「あんな山が百名山で、なぜこの山は百名山でないの?」など、深田百名山の選定にはなにか釈然としないものがある。
最近では、「深田クラブの日本200名山」、「日本山岳会編日本300名山」まで指定されているし、はたまた、百名山早回り競争まで出てきて話題となったりしているのは嘆息の極みだ。
そもそも私は天の邪鬼だ。ベストセラーの本は読まない、話題の映画は見ない、今流行のものは買わない、行列をして物を買ったり食事をするのはいやだ、自分がやろうと思ったことでも誰かにやれと言われるとやらない・・・。(ほんとに天の邪鬼。(-_-;) )
そんな訳で、誰かが勝手に決めた百名山には抵抗があり、私は「アンチ百名山」を広言している。ある山小屋で同宿の登山者との談話の中で、「私はアンチ百名山だ。」と言ったら、「いろいろな登山者と知り合いになりましたが、アンチ百名山と言うのは初めてです。世の中には変わった考えの人もいるんですね。」と笑われてしまった。(やはり私は変人なのか・・・。 (;´_`;) )
しかし、他人が決めた百名山には絶対登らないということではない。行きたい山があって、そこが誰かが決めた名山だったということは往々にしてある。要は、誰かが勝手に決めた名山とやらを目指して登ったことにしたくないのだ。
百名山のように人気の山には登山者が集中し、登山道、山小屋などが整備される反面、山の自然は荒れてしまう。反対に個性がありいい山なんだけど、アプローチが長く不便な登山道が廃道化してしまっていることは残念なことだ。(飯豊では、胎内尾根、西俣ノ峰、西滝口など)
名山とはその山に登った者一人ひとりが心の中で感じるもので、同じ山でも各人それぞれの想いがあるはずだ。ひとつの山を名山と決めつけて普遍化することはナンセンスだと思うし、深田久弥氏自身「百名山は主観で選んだものであるから妥当とはいえない。」と自著書で認めている。
また、「深田久弥の日本百名山」の巻末に生態学、人類学の権威で日本山岳会の会長でもあった今西錦司氏の「名山考」が寄稿されている。新著の巻頭や巻末にその著書の推薦や絶賛などの文が寄せられのが一般的であるが、この「名山考」は百名山選定の考え方に批判的であるのが面白い。
私は、この今西錦司氏の「名山考」に大変共感を受けたので、少し長くなるがその文末の一節を紹介したい。(現在の過熱した百名山ブームを的確に予言している。)
「深田は文人風な茶目っ気から、百名山を選んだといった(注)。しかしいったん選ばれてそれが世間にひろがると、こんどはこの百名山に登ることを目的とした人たちが続出する。いわゆる深田宗で、あと何山で満願などといっている。
そうした連中が年々歳々おおぜい山を訪れたとしたら、どういうことになるだろう。山頂の草も花も生ま身だから、たちまち彼らの登山靴に踏みにじられて、その姿を消してしまうにちがいない。すると、深田は彼の百名山を犠牲にすることによって、他のもろもろの山を救うことになるのかも知れない。
百名山の選にもれたもろもろの山も、安心できない。山の雑誌や案内書が、追い打ちをかけているから。
このようなご時勢を考えると、迂闊に口をすべらせて私の好きな山を発表できるであろうか。口を割らないというのが、私と山の約束である。」
(注: 今西氏が文中で自分が言った、ということ。)
日本人は、大同についていないと不安なのか、何かのことに群がる気質があるが、私は流行にとらわれず、自然環境保護に配意した自分の登山を楽しんで行きたいと思っている。
標高による百名山なら絶対的な基準もあるので納得ですが。そもそも絶対的な基準も無く、たかが作家の選んだ百の山を日本百名山と言うのがおかしい。
しいて言うなら深田百名山と言うべきだし、私も深田百名山とあえて言っています。
同じ考えの方がいると思うと嬉しいです。
まだ標高に百名山