聖金曜日ーー 残念なことに、介護士の仕事で参加できませんでしたが、娘が写真をとってくれました。
町のキリスト教の各派が一緒になって、毎年 十字架を担いで、町の中心を行進します。
今年はバプテスト教会から 出発

商店街の通りを通過

ショッピングセンター の中を通過

セント スティーブン教会の前

聖金曜日の十字架は、飾らない とてもシンプルな十字架が使われます。
イエスさまが かけられた 十字架を象徴しています。
以下は、2000年に日本聖公会の聖公会新聞に寄稿した記事と写真です。
Encord の訂正をしないと、文字化けしてしまいますがーー 見れない方の為に、一応、貼り付けます。
イースターに向けて
<聖公会新聞 2000年 4月号掲載>
昨年12月初め東京から来た母が言った。「あらー、こんなに夜が長かったかしらね」冬の英国訪問は初めてではないものの、前回は8月の後半に来たので余計そう感じたのかもしれない。
北欧ほどではないが、日照時間が夏と冬では極端に異なるロンドンでは、最も日が長い時で朝四時半に日の出、夜九時半に日没になり、反対に最も日が短い時では朝八時に日の出、午後四時に日没になる。毎日曜日の夕拝(午後六時半から)は、夏明るいうちに終わるが、冬の間は暗い中で始まる。年のいった方が多い為、夕拝の時間を冬の間のみ早めに行うようにしている教会もある。
このイギリスの冬は誰でも憂鬱になりがちである。最近某紙の記事の中に日照時間が短くなることで、特に秋口に心理的に消沈してしまう人が多いとあった。時間的長さと天候の悪さも手伝って穴倉に生活しているようだと、初めての冬に感じたのを思い出す。
逆にこの長い冬があるからこそイースターへ向かう季節は、咲き始める花とともに喜びが何倍も溢れるとも言える。霜が真っ白に降りる朝が続くなかで、庭の隅にスノードロップが見え、球根の芽があちこちに出始めると冬が終わりに近づいている証拠である。
大斎始日に近くなると各スーパーで卵、小麦粉、レモンジュースが目立つ場所に並べられる。大斎始日の前日は、俗にパンケーキの火曜日とも言われ、薄型に焼いたクレープに粉砂糖とレモンジュースを振って食べる。最近ではこの習慣の意味を知らない英国人が多くなっているが、伝統的にはレント期間中に食べることができない小麦粉、卵、牛乳とバターを使い切る為にクレープにして食べるのである。
今いる教会では、シュロの日曜日に、近くの聖公会の教会と毎年交代で合同の礼拝をしている。その担当の教会に向けてろばを先頭に、会衆全体で町を行進し、繁華街の真中で短い聖劇を行う。以前、日曜日の商いはすべて禁止されて、商店街は全く無人化していた。今はほとんどの店が開店するようになり、教会がこの様に町の真中にでていくことは大切な意味合いをもっている。
受苦日には午後三時間の礼拝の他に、同時進行で子供を対象にしてのプログラムがある。以前にいた教会では、会衆全体で幾つかのワークショップをもち、作りあげた作品を捧げて礼拝をした。この日は休日でもあるので、子供から大人までの参加が可能なのである。
復活日の早朝、サンライズサービスが東方の地平線が見える丘で行われる。これはエキュメニカルな行事の一つで、近隣の教会で持ち回り担当している。昨年は主人が担当し、子供達と共に参加した。前年は礼拝が終わる直前に日の出が見られすばらしかったと、その時の参加者の応援もあって行ったが、英国特有の天候に見まわれ夜明けの壮大さは雲に阻まれた。
イースターガーデンは、十字架の丘と、墓となる岩壁の場面をあしらえた箱庭だが、復活日に向けて一週間前に準備される。受苦日までは荒涼した風景で、復活日前日に色とりどりの草花で飾らる。その大きさは、各教会まちまちだが、中にはたいへん大掛かりにしかも美しく飾られるのもある。英国の陰鬱な冬から華々しい春へ移行することと、十字架の苦しみから復活の喜びへ変わることが重なって箱庭に表現されているように思えてならない。
レントの語源に春の意味があると聞いて素直に頷けるのは私だけではないだろう。復活に向けての一連の流れを追うと、気候風土と風習そして教会の伝統が絡み合っているのが見えて、非常に興味深い。
(注:英語のパンケーキは日本語のクレープに相当する)
町のキリスト教の各派が一緒になって、毎年 十字架を担いで、町の中心を行進します。
今年はバプテスト教会から 出発

商店街の通りを通過

ショッピングセンター の中を通過

セント スティーブン教会の前

聖金曜日の十字架は、飾らない とてもシンプルな十字架が使われます。
イエスさまが かけられた 十字架を象徴しています。
以下は、2000年に日本聖公会の聖公会新聞に寄稿した記事と写真です。
Encord の訂正をしないと、文字化けしてしまいますがーー 見れない方の為に、一応、貼り付けます。
イースターに向けて
<聖公会新聞 2000年 4月号掲載>
昨年12月初め東京から来た母が言った。「あらー、こんなに夜が長かったかしらね」冬の英国訪問は初めてではないものの、前回は8月の後半に来たので余計そう感じたのかもしれない。
北欧ほどではないが、日照時間が夏と冬では極端に異なるロンドンでは、最も日が長い時で朝四時半に日の出、夜九時半に日没になり、反対に最も日が短い時では朝八時に日の出、午後四時に日没になる。毎日曜日の夕拝(午後六時半から)は、夏明るいうちに終わるが、冬の間は暗い中で始まる。年のいった方が多い為、夕拝の時間を冬の間のみ早めに行うようにしている教会もある。
このイギリスの冬は誰でも憂鬱になりがちである。最近某紙の記事の中に日照時間が短くなることで、特に秋口に心理的に消沈してしまう人が多いとあった。時間的長さと天候の悪さも手伝って穴倉に生活しているようだと、初めての冬に感じたのを思い出す。
逆にこの長い冬があるからこそイースターへ向かう季節は、咲き始める花とともに喜びが何倍も溢れるとも言える。霜が真っ白に降りる朝が続くなかで、庭の隅にスノードロップが見え、球根の芽があちこちに出始めると冬が終わりに近づいている証拠である。
大斎始日に近くなると各スーパーで卵、小麦粉、レモンジュースが目立つ場所に並べられる。大斎始日の前日は、俗にパンケーキの火曜日とも言われ、薄型に焼いたクレープに粉砂糖とレモンジュースを振って食べる。最近ではこの習慣の意味を知らない英国人が多くなっているが、伝統的にはレント期間中に食べることができない小麦粉、卵、牛乳とバターを使い切る為にクレープにして食べるのである。
今いる教会では、シュロの日曜日に、近くの聖公会の教会と毎年交代で合同の礼拝をしている。その担当の教会に向けてろばを先頭に、会衆全体で町を行進し、繁華街の真中で短い聖劇を行う。以前、日曜日の商いはすべて禁止されて、商店街は全く無人化していた。今はほとんどの店が開店するようになり、教会がこの様に町の真中にでていくことは大切な意味合いをもっている。
受苦日には午後三時間の礼拝の他に、同時進行で子供を対象にしてのプログラムがある。以前にいた教会では、会衆全体で幾つかのワークショップをもち、作りあげた作品を捧げて礼拝をした。この日は休日でもあるので、子供から大人までの参加が可能なのである。
復活日の早朝、サンライズサービスが東方の地平線が見える丘で行われる。これはエキュメニカルな行事の一つで、近隣の教会で持ち回り担当している。昨年は主人が担当し、子供達と共に参加した。前年は礼拝が終わる直前に日の出が見られすばらしかったと、その時の参加者の応援もあって行ったが、英国特有の天候に見まわれ夜明けの壮大さは雲に阻まれた。
イースターガーデンは、十字架の丘と、墓となる岩壁の場面をあしらえた箱庭だが、復活日に向けて一週間前に準備される。受苦日までは荒涼した風景で、復活日前日に色とりどりの草花で飾らる。その大きさは、各教会まちまちだが、中にはたいへん大掛かりにしかも美しく飾られるのもある。英国の陰鬱な冬から華々しい春へ移行することと、十字架の苦しみから復活の喜びへ変わることが重なって箱庭に表現されているように思えてならない。
レントの語源に春の意味があると聞いて素直に頷けるのは私だけではないだろう。復活に向けての一連の流れを追うと、気候風土と風習そして教会の伝統が絡み合っているのが見えて、非常に興味深い。
(注:英語のパンケーキは日本語のクレープに相当する)