ジャーゴンという言葉があります。慣れ合いの言葉かなーー
簡潔化過ぎて、事情をよく知っていない方にとっては、意味不可解で その場にいることも
恥ずかしく思ってしまう。疎外感を与えてしまうと言ってもいいでしょうか。
教会の集まりでは、 決して このようなことは起こってはならないと思います。
いつも、神様の前では 誰でも大切 Include
先日「普通の方なら知っていて当たり前のようなことも知らず、、、おはずかしいばかりです。」
という、メールを受けました。教会の集まりの話をしていたことのことです。
以下の返事を書きましたーー
「知識」というのは、見方によっていろいろな解釈がされると思います。
たとえば、新約聖書には、いくつ福音書があって、その名前はとか、そういったことを
知っていても、どういう意味があるのか、しっかりと分かっていないこともあります。
私たちそれぞれ、今までの生活や体験が異なりますので、一つの話を聞いても
受ける方での解釈がいろいろありますよね。ルカもマタイもマルコもヨハネも、
それぞれの福音書の記者たちの見方が異なるのは、ちょっと読んだだけでも分かると
思います。同じ出来事が 異なった言い方で書かれています。
恥ずかしとは思いにならないでくださいね。マタイ18章4節には、「子供のようになる人が
天の国でいちばん偉いのだ」とあります。素直な心をもつことは、本当に大切だと思います。
イエスさまは、私たちの「普通」と思っている事柄とは、全く異なった方向から、新しい見方を
示しておられることがあります。だから、すごいなあと 思いながら聖書の言葉をあれこれと
本を読みながら、本当は何を言われているのか、学ぼうとしています。
キリスト教を通して、みんなが一人一人が大切だと学びました。第一のコリントの信徒への手紙の
(二つありますが、最初の方)12章12節から31節 お時間のあるうちにお読みください。
それぞれ、異なった役割が与えられていると思います。だからこそ、一人一人大切だと思っています。
実に、この言葉で、もっと分かりやすく聖書の言葉を伝えたいと願いました。
こうした素直な意見が、何かしら、神様からの示唆のように思えてなりません。
みんな それぞれに与えられた 神様からの恵みがあります。
どうか、それぞれの恵みを生かして、お互いに人々に仕えることができますよう
聖木曜日 - イエスが弟子たちの足を洗われたことを、3月20日の日本語英国教会の集まりで
話しました。奴隷の仕事を 自ら 率先してされたイエスの行為、
そして お互いに仕え合いなさいと 言われたイエスの言葉、
皆さまに 神様のみ恵みがいつもありますよう