1,悲しき願い b/w シンキング・オブ・ユー・ベイビー/尾藤イサオ (東芝)45's 315円
アニマルズといえば今でこそ"朝日のあたる家"が真っ先に出てくるはず。ただ、アニマルズが初めて来日した1965年当時の日本ではどうだったかというと断然"悲しき願い"ではなかったか?
それほどにこの尾藤イサオの歌う日本詞カバー"悲しき願い"は世間を揺るがした(はず)。右も左も判らないハナタレ小僧であった私でさえ「♪だーれのせいでもありゃしない....」ってあのフレーズは何処でどう聴いたのか頭に刷り込まれています。
と ここまで書いて、いや違うぞ、この曲はアニマルズのカバーとしてではなく正しく尾藤イサオの持ち歌として認知されていたのではないかとという思いがムクムクと。尾藤イサオの"悲しき願い"は知っていてもアニマルズのそれを知っていたのは果たしてどれだけいたかというと多分極々僅かではなかったか?と。
実際のところは勿論知りませんが、多分そういうことですよね。それほど尾藤さんの歌うこの曲のインパクトは凄かったということの証。
ということであらためてこの曲を聴いてみると、懐かしさを置いておいてもやっぱりこの歌詞にこの歌唱、そしてバックの演奏(ブルー・コメッツ)は抜けていますね、圧巻です。
実は初めて聴いたのがB面"シンキング・オブ・ユー・ベイビー"。これデイヴ・クラーク・ファイヴのカバーで私も大好きな曲、今にしてみれば随分とマニアックなカバーだと思ってしまうのですが、多分同じ東芝発売曲ということで取り上げたのでしょう。こちらの出来もなかなかです。
しかしまぁ、尾藤さんの歌は今も昔も絶品ですね、色気のいっぱい、フェロモン出まくり。そのイッチバーン凄いところが聴けるのがこのシングルでした。
蛇足ですが、尾藤さん、この"悲しき願い"をこの後2回も再録しています。それほどこの曲は氏の代名詞。やっぱりアニマルズのカバー云々の形容詞/肩書きは不必要ですね。
Japan 1960-1970 Pt.13 悲しき願い
尾藤イサオ 「悲しき願い」
アニマルズといえば今でこそ"朝日のあたる家"が真っ先に出てくるはず。ただ、アニマルズが初めて来日した1965年当時の日本ではどうだったかというと断然"悲しき願い"ではなかったか?
それほどにこの尾藤イサオの歌う日本詞カバー"悲しき願い"は世間を揺るがした(はず)。右も左も判らないハナタレ小僧であった私でさえ「♪だーれのせいでもありゃしない....」ってあのフレーズは何処でどう聴いたのか頭に刷り込まれています。
と ここまで書いて、いや違うぞ、この曲はアニマルズのカバーとしてではなく正しく尾藤イサオの持ち歌として認知されていたのではないかとという思いがムクムクと。尾藤イサオの"悲しき願い"は知っていてもアニマルズのそれを知っていたのは果たしてどれだけいたかというと多分極々僅かではなかったか?と。
実際のところは勿論知りませんが、多分そういうことですよね。それほど尾藤さんの歌うこの曲のインパクトは凄かったということの証。
ということであらためてこの曲を聴いてみると、懐かしさを置いておいてもやっぱりこの歌詞にこの歌唱、そしてバックの演奏(ブルー・コメッツ)は抜けていますね、圧巻です。
実は初めて聴いたのがB面"シンキング・オブ・ユー・ベイビー"。これデイヴ・クラーク・ファイヴのカバーで私も大好きな曲、今にしてみれば随分とマニアックなカバーだと思ってしまうのですが、多分同じ東芝発売曲ということで取り上げたのでしょう。こちらの出来もなかなかです。
しかしまぁ、尾藤さんの歌は今も昔も絶品ですね、色気のいっぱい、フェロモン出まくり。そのイッチバーン凄いところが聴けるのがこのシングルでした。
蛇足ですが、尾藤さん、この"悲しき願い"をこの後2回も再録しています。それほどこの曲は氏の代名詞。やっぱりアニマルズのカバー云々の形容詞/肩書きは不必要ですね。
Japan 1960-1970 Pt.13 悲しき願い
尾藤イサオ 「悲しき願い」
冊子は憧れでした。
なにせベンチャーズとビートルズETC
満載でした。
尾藤さんは曲芸師でたしかエドサリバンに
音楽で出演するブルコメとは対照的ですね。
作詞のタカオ・カンベってどんな人なんでしょう?
たしか「乗ってけ乗ってけ」も彼ですね。
タカベさんって訳詞家は意識もしなかったのでまったく知りませんが、太陽の彼方にまで手掛けているならあのサザナミさんに次ぐ訳詞家なのでしょう、探せば手掛けた有名曲はまだまだあるのでしょうね。
何やらリード・ボーカルのJustin HaywardはMoody Bluesに加わる前にThe Animalsのボーカリストのオーディションに行き落とされたとか。
悲しき願いも聴いてみたいものです。