Jahkingのエサ箱猟盤日記

日々これ猟盤 エサ箱漁りの毎日....。

The Tigers on Stage 1967

2014年07月27日 | 和物
1,ザ・タイガース・オン・ステージ (Polydor) 1LP 100円
オマケのカラー・ポートレイトも付いた状態の良い盤が打ち捨てられていたのですかさず救済。
1967年11月に発売されたタイガースの初アルバムで、67年8月22日大手町のサンケイホールでの初リサイタル「ザ・タイガース ア・ゴー・ゴー」を実況録音したもの。90年代の初め頃だったかCDを買って聴いて以来に久し振りに聴きましたが、昨年の大復活祭のことも否応なくも思いだす熱気あふれる素晴らしいライヴ盤です。今更ながら初期タイガースはとことんストーンズがお手本だったのですね。

Side A
1.ダンス天国~ラ・ラ・ラ
2.タイガースのテーマ(モンキーズのテーマ)
3.ルビー・チューズデイ
4.レディ・ジェーン
5.タイム・イズ・オン・マイ・サイド
6.アズ・ティアーズ・ゴー・バイ
7.スキニー・ミニー

Side Two
1.僕のマリー
2.シーサイド・バウンド
3.モナリザの微笑
4.ローリング・ストーンズ・メドレー
 エヴリバディ・ニーズ・サムバディ
 ペイン・イン・マイ・ハート
 アイム・オール・ライト
5.アイ・アンダスタンド

1967年2月"僕のマリー" 5月"シーサイド・バウンド" 8月"モナリザの微笑"と3枚のシングルを出し満を持して行った初リサイタル、これを実況録音しデビュー・アルバムに持ってきた、と、こういうことですが、当時のセオリーからすればその3枚のシングル両面に洋楽カバーを加えたスタジオ録音をまとめたものをデビュー盤にし、次にライヴ盤、と、こういう流れが普通かと思ってしまうわけですが、デビュー・アルバムがライヴ盤とは何か事情でもあったのかな、と、今更ながら。因みにセカンド・アルバムは翌68年4月リリースの「世界は僕らを待っている」で映画のサントラと云うことにはなっていますがそれまでリリースされたシングル曲10曲が収められています。

さすが、デビュー盤ということでしょうか、見開き仕様のジャケットに全曲の歌詞と曲紹介、"僕のマリー" "シーサイド・バウンド" "モナリザの微笑"の楽譜、メンバーの手形にサイン、リサイタル当日のステージ写真と盛りだくさんに掲載された8ページのカラー・ブックレットが貼付され、おまけにLPサイズのポートレートまで付いているという豪華仕様です。



ポートレイト


タイガース


タイガース


タイガース



ザ・タイガース オン・ステージ1967(SideA)



ザ・タイガース オン・ステージ1967(SideB)

コメント (4)    この記事についてブログを書く
« 加山雄三 | トップ | Miles Davis Story »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (uni)
2014-07-27 08:22:24
このジャケット、当時名だたる洋楽と並んで展示されていても遜色のないかっこよさでした。
やはりビートルズは出さなかったライブ
その点ストーンズはライブで売ってましたから
あれを引き継いだとか????(笑)
返信する
Unknown (しみへん)
2014-07-27 10:58:43
ストーンズの影響が強い割には、アイドル然としていたのは、カップス同様にプロダクションに強いられていということなのでしょうか?その反動がPYGということでしょうか?
それともストーンズ自体、当時はそこまで不良バンドみたいなイメージではなかったのでしょうか?(とよく考えたらGSですら、不良のイメージがあったのですから隔世の感があります)
返信する
タイガース (Jahking@管理人)
2014-07-27 11:02:21
今まであまり気にしていなかったのですが、確かにこのジャケ写はかっこいいですね、タイトルのネーミングとその処理が今見ればもうちょっと.....とも思いますが、そこがこの時代、それもGS、これがいいのですね。
トラ柄レコードで出たファイナルとかデンコロとか再結成の時も出していたし、ライヴ盤が多かったのもタイガースの特徴でしょうか。
返信する
タイガース~PYG (Jahking@管理人)
2014-07-27 11:20:05
>しみへんさん
多かれ少なかれプロダクションの力は極めて大きかったのは事実でしょうが、タイガースとカップスは資質とその志が違ったのでしょう。タイガースはGS=アイドルを肯定していたように思えます。

ビートルズはともかく67年とかの時点でストーンズを聴いていた(知っていた)のはごく一部の洋楽ファン(そんな奴らがバンドを組んだのがGSになった)だったと思います。そう、エレキ弾いていたら不良、ちょっとでも髪が長けりゃ不良、とすれば、GSなんて不良も不良ですね(笑) 男女問わずそんな不良っぽさに惹かれ憧れた....そんな時代だったように思います。演者に自我が出てくるのが69年くらいから、PYGもそういうことだったのでしょうね。井上さんが相当に厳しくメンバーに上を求めたバンドだったらしいですね。
返信する

コメントを投稿