1,Foxhole b/w Careful/Television (Electra) 12" 890円
ヒリヒリするような緊張感を漂わせ不思議なグルーヴを感じさせてくれたテレヴィジョンのファースト・アルバム「Marquee Moon」、次ぐ1978年に出たのがやや丸くなった感のあったセカンド・アルバムにしてラストとなった「Adventure」。
今回入手盤はそのセカンドからカットされた12”45RPMのシングル。英Electra/Asylumがリリースしたもので、盤はレッドヴィニール、ジャケットは赤、黄、青、そして今回入手の緑の4種がありました。
当時トム・ヴァーレインのAmpegの透明アクリルギターを弾くお姿がかっこよく欲しくて欲しくて。吉祥寺ダイア街の横あったコスモビルの2階にあったレコード舎(覚えている方いらっしゃいます?)でこの黄ジャケのみ見つけたときのことは今も記憶します。で その時から30数年も経って先日エサ箱で遭遇した途端にそんな当時の記憶が蘇って思わず抱えてしまったもの。(ほんと、最近そんな買いものばっかりです 苦笑)
まぁ、今ではこんな12インチもあったってものですが。
Television - Foxhole
Television - Careful
ヒリヒリするような緊張感を漂わせ不思議なグルーヴを感じさせてくれたテレヴィジョンのファースト・アルバム「Marquee Moon」、次ぐ1978年に出たのがやや丸くなった感のあったセカンド・アルバムにしてラストとなった「Adventure」。
今回入手盤はそのセカンドからカットされた12”45RPMのシングル。英Electra/Asylumがリリースしたもので、盤はレッドヴィニール、ジャケットは赤、黄、青、そして今回入手の緑の4種がありました。
当時トム・ヴァーレインのAmpegの透明アクリルギターを弾くお姿がかっこよく欲しくて欲しくて。吉祥寺ダイア街の横あったコスモビルの2階にあったレコード舎(覚えている方いらっしゃいます?)でこの黄ジャケのみ見つけたときのことは今も記憶します。で その時から30数年も経って先日エサ箱で遭遇した途端にそんな当時の記憶が蘇って思わず抱えてしまったもの。(ほんと、最近そんな買いものばっかりです 苦笑)
まぁ、今ではこんな12インチもあったってものですが。
Television - Foxhole
Television - Careful
当時ご贔屓は芽瑠璃堂、ちょっと後にできた後藤美孝氏が関わっていたジョージア、その次ぐらいに覘く店でした。
この頃はどこの街にも輸入盤を扱うレコード屋が一軒は有った様な気がします。
反応いただきありがとうございます!
私も芽瑠璃堂をメインにその3店をセットで回っていました。
芽瑠璃堂は勿論、ジョージアも「Passレーベル」のこともあって今もたまに語られていますが、レコード舎が語られているのを見たことがありません、嬉しい限りの反応です。
以前ウニタ書店の時も反応いただきましたし、t-izuさんとは当時あの界隈で本当にすれ違っていそうですね(笑)
南口には、大手レコード会社だったか芸能プロダクションが税金逃れのためにやっていたという噂のあった輸入専門のレコード・プラント、中古専門のディスク大塚、プラントのちょっと先の向かいにあった今も名を変えてやっている中古専門店(パンチパーマ風の不愛想なおじさんがやっていた店 店名失念)、等々70年代後半から80年代はレコ屋花盛りでしたね。その後レコファンやDUも進出してきたのでしたか。
>後藤美孝氏が関わっていたジョージア
Passレーベルの本拠なのでよくそう書かれていますが、私はジョージアではお見かけした記憶はなくて、後藤さんというと芽瑠璃堂で文庫本を読みながら店番をされていたお姿がとても印象に残っています。
今思えばジョージアでラテン物を購入する輩も少なかったでしょうし、単に知ってる方を薦めただけだったりして(笑)。
そういえば、これも当時出たばかりだったフェラ・クティの「Zombie」英国盤を買ったのもジョージアでした。やっぱりお世話になってますね。
イラケレの米Columbia盤、懐かしいですね、この頃は英米のメジャーレーベルが挙ってワールド系の音楽を商売にしようとしていた時期ですね、マラヴォアしかり、サニー・アデしかり。私もイラケレはジョージアの年末バーゲンで買ったような気がします。
芽瑠璃堂での後藤さんもSSW系とか今で云うスワンプ系が守備範囲でブラック系はあまりお得意ではなかった印象です、ジョージアでも単に知っている方を.....アタリのような(笑)
フェラの「Zombie」、私は米Mercuryからのカット盤を芽瑠璃堂で買いました、その頃はもう後藤さんはおらず、井上さんが店番をされていたように思います。