土の器

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

遺棄への不安

2024-07-18 09:45:00 | 日記
日本では使わない表現かもしれない。
遺棄への不安。
捨てられることへの不安。
自分の心の奥深いところに内在している、
自分の最大の弱み、アキレスガンである。

最近その弱点にまた触れることがあった。
運転免許の試験に合格したとき、親しい方から
「何かほしいものある?」と聞かれた。
合格祝いに、何かしてあげたいと。
すごくありがたかったけど、
欲しいものも浮かばなかったし、
あったとしてもそんなこと言える訳がない。
だからお気持ちだけで嬉しいですと言った。

でもしばらく後に、
「ロールケーキを作ってもらおうかな」
とお願いをしてみた。
私なりにはすごく考えて、その方の得意なロールケーキなら喜んで作って下さるかな、そんなに負担にならないんじゃないかなと思った。
かなり勇気を振り絞って..最後は目をつぶって送信ボタンを押した。

そのことを夫に話したら、
「そんな手のかかることお願いしたの?」
と言われてしまった。
そのときは、そんなことないよと言いながら笑って過ごしたけど、
夫の言葉がずっと自分の中で漂っていた。
自分は無理なお願いをしてしまったのか..
やっぱり勇気なんか出してはいけなかったのか..

何日かして、その方との会話でロールケーキの話が出たとき、私はそのお願いは忘れてくださいと言ってしまった。夫の言葉を口実にして、やっぱり手間かかるし申し訳ないと..

そして静まって考える。自分に聞いてみる。
どうしたの?本当にそれでいいの?
いや、良くないよ..
本当はお願いしたかったの..
そのお願いを聞いてもらいたかったの..
聞いてもらうことによって..
自分が愛されていることを確認したかった..
その方にとって自分が大切な存在であることを確かめたかったの..
でも、怖い。
私のお願いが相手に負担をかけてしまうことが..
少しでも迷惑をかけてしまうことが..
それによって自分が嫌われることが..
最終的には..
自分が捨てられることが..

母親は私をおいて家を出てしまった。
私が5歳の時に..
父親は私をおばあちゃんの家において放置した。
その経験は私に遺棄への不安を残した。
奥深いところにくっきりと刻まれている。


一度お願いしたことをわざわざそうやって断ることが、相手との間に距離感を作ってしまうことは分かっている。
すごく不自然で、逆に相手の思いを害することになるかもしれないことも分かっている。

大の大人が、誰かから捨てられることを恐れるなんて..とても愚かな考えなのも知っている。
でも、その思いは、理性でうまくコントロールできない領域にある。
私の最大の弱点..
夫の言葉はそれを刺激してしまった。
私はダメージを受けて動揺してしまった。

何だか悲しい..
シンプルに、素直に生きたいのに..
こういうひねくれた自分は受け入れ難いな..
だいぶ自然体で生きられるようになって、 
だいぶ楽になったと思ったのに..

このアキレスガンを乗り越えられるかどうかわからないけど..
それでもイエス様は、
こういう私も愛してくださる。
受け入れてくださる。
イエス様の前では素直になろう。
全部分かってくださるから。

絵ごころ

2024-04-21 00:51:00 | 日常
自分には絵心なんてないとずっと思っていた。
実際、頭で何かのイメージを思い出して描こうとすると、何も思い浮かばない。
心の中にイメージがないからだと友達に言われたことがある。なるほどなと思った。
どうやら私にそういう機能は搭載されていないみたい。

でも、何かを見て描くのは何となくできると思っていた。
小学校と中学校の美術の時間に、隣同志でお互いの顔を描くということをしたことがある。
私は一生懸命観察して、目に見える通りに描いていった。
そしたら本人は
「私って、こんな顔?」
ってめちゃくちゃ怒ってたけど、
先生は
「ほぉ〜」
と感心してた。

だけど、絵なんて習ったことがないからいつも明暗の入れ方に失敗してAはもらえなかった。

40過ぎた今更、お絵描き何かを初めてみた。
自分にできそうなこと、
人の顔を描くことからはじめる。
好きな人の顔写真をずっと見つめてしつこく観察する。しつこいのは私の特技だからね。笑
とてもエネルギーを使うんだけど、何だか楽しい。
それなりに満足できる仕上がりになったときの達成感が半端ない。
次男の顔を描いたから、次は長男の顔描かないとな。長男が寂しがる前に。

さてと、明日は主日だから早く寝ないと。
もう、今日になっちゃってるけどね。笑

悪魔の手紙(The Screwtape Letters)_C.S.Lewis

2024-03-29 00:24:00 | 読書
母国語で本を読むのはなんて楽なんだ〜
と思いながら読んでいった。
内容は決して楽ではないけどな。笑

本にしても、映画にしても、
和訳のタイトルにはいつも疑問を抱いてしまう。
なぜ、
「The screwtape letters」から
「悪魔の手紙」に、
「Frozen」から「アナと雪の女王」に、
「Inside Out」から「インサイドヘッド」に、
なっちゃうんだろう。
私からしたら、タイトルが内容を反映しすぎてある意味ネタバレになってしまう気がする。
タイトルが与えてくれる好奇心、想像力が半減してしまう。
と、いつも残念に思ってるけど、
まぁ、その話はおいといて。


C.S.Lewisが悪魔に、Screwtapeという名前を付けたのは、音声学的に不快感を与える単語だかららしい。
でも、外国人である私には分からないよな。笑

色々印象的な部分があったけど、韓国語で読んで日本語で感想を書くのはなかなか難しい。
読み終わって心に残った一言は、悪魔の手法は、いつも本質から目をそらすということ。

家族の魂のために熱心に祈った後、その場で家族に向かって不平不満を言う、
遠くにいる未知の人たちのために善意を持って祈り、近くにいて毎日のように会う隣人に対しては悪意を抱く、
そうやって空想の中で愛をするけど、愛の本質からは遠ざかる。
宗教的なことに執着させ、宗教の本質から目をそらす。
未来のことを考え、漠然とした希望もしくは恐怖を抱きながら、現実を忠実に生きない。
愛という積極的な概念を、非利己主義という消極的な概念にすり替えて、他人の幸せのために自分の利益を放棄するのではなく、利己的にならないために利益を放棄するようにする。
本当の謙遜は'自分の価値'自体を考えない、それに心を置かないことだが、自分の価値を低く評価することが謙遜だと勘違いさせる。

悪魔の手口に飲み込まれないように、目を覚ましていなければならない。
真理から目をそらすことなく、しっかり見つめていけますように。🙏


それ以外にも考えさせられる部分がいくつがあるが、言葉で整理するのが難しいな。
C.S.Lewisの本は、わかりやすくて、わかりにくい。記述の論理性や例えの分かりやすさに乗って楽しくついていくが、そのうち段々話が難しくなって、ついていけなくなって、頭をひねるようになる。でも、やっぱり好きかな。

さて、次はまた日本語の本が待っている。
よしー、頑張ろう!

ペテロとコペル君

2024-03-27 09:06:00 | 日常
朝のディボーションで、ペテロがイエス様を否定したところを読むとき、コペル君のことを思い出した。本を読むときには気づかなかったが、2人の姿が私の中で重なった。

とても親密な関係にある人が、
大変な状況に置かれたとき、
それをそのまま見過ごしてしまう..
勇気を持って前に出られない..
知らんぷりをしてしまう..
否定してしまう..

その経験は、コペル君の成長に必要だった。
自分が弱い人間で、弱さの故に卑怯な者にまでなってしまうことを知り、それを認め、
そして..
自分がどういう人になるべきか考えはじめる。

ペテロにとっても、そのプロセスが必要だったかもしれない。
いくら力を込めて、「死んでもついて行きます!」と言い張っても、実際の場面では何もできない自分の無力さ、弱さに気づき、力を抜いてイエス様に従うために。

私も..そうだったんだな..
自分の力を抜くためにあんなに長い時間が必要だったんだ。よっぽど自分が強かったのかな。笑

今になってやっと、力を抜いて生きることを少しずつ学んでいる。
自分の思い通りにいかないときに、イラっとすることはまだあるけれど、少し静まって考える。
主のために生きるんでしょう?
じゃ、何で怒ってる?
まだ、主権を握っていたいんだな..と気づく。
その一つ一つのプロセスを通して、
私も、コペル君のように、ペテロのように、
成長していく。
キリストの満ち満ちた身丈にまで。



結婚記念日

2024-03-26 11:16:00 | 日常
明日は結婚記念日。
というのを口実に、旦那が休暇を取ってくれて、春休みを迎えた子どもたちを連れて動物園に行く予定。

2010年に結婚して14年が経った。
長くも、短くも感じる。
顔見れば何考えてるか分かるくらいの歳月は共に過ごしたよね。笑 

彼と私は、学部は違ったけど同じ大学の同期で、
同じ教会で信仰生活をはじめて一緒に育って来た。けど、全く違うタイプの人間だから、同期である以外は接点もなく、そんなに親しくもなく、それぞれ教会生活を送っていた。
私からしたら、何考えてるかかよく分からない、信仰があるのかないのかも不透明で、教会から離れないのが不思議に思えるような人だった。
なのに、私と同じセルグループの後輩は、私よりも彼に親しみをもってよく従っていた。彼女だけでなく、教会の多くの姉妹たちは彼と仲が良くて頼りにしていたから、私は彼に嫉妬する心さえも抱いた。
なぜ?どうして??いったいどこがいいわけ?!
とずっと疑問に思っていた。
(今ではよーく分かるわ。笑)

そんな彼との結婚を牧師先生が仲介してくれたとき、私はあんまりにも意外で一瞬戸惑ったけど、顔には出さず、「はい」と答えた。そして、心の中では、「信仰のある私が結婚してやるよ」と思った。

しかし、いざ結婚してみると、彼はあらゆる面で私より優れた人間であることが判明した。
浮き沈みの激しい私の感情の動揺を、彼はいつも湖のようにしずめてくれた。
信仰面においても、良い時と悪い時の差が激しい私と違って、いつも同じように、騒がしくもなく、変わらぬ思いを静かに主に向けていた。そんな彼の姿に私は重みを感じた。
私に欠けている姿、私が学ぶべき姿だと思った。

そして、その変わらぬ愛は私にも向けられた。
何をしても、どんなときでも、
「可愛いよ」、「きれいだよ」、「素敵だよ」
と褒めてくれて、私を見つめるその瞳が、嘘でないことを語ってくれて、私は彼の言葉を信頼した。この人は、私が何をしても私を見捨てることはないだろうと。そしてその信頼は14年間裏切られることなく、深まってきた。

そして、何よりも、
妻である私と一緒に暮らすために日本に来てくれたこと。ずっと当たり前に思っていたことが、本当はすごく勇気がいることだと、去年あることをきっかけに気づいた。
私を選んで、何の基盤もなく、将来への保証もないところに来てくれた彼の決断が決して簡単なことではないと思えたとき、改めて感謝の気持ちを伝えた。
全てが神様のご計画のもとにある導きだとしても、そのときの彼の選択には心から感謝している。


私との結婚を受けてくれてありがとう。
こんな人だと知って後悔したかもしれないけど、変わらず好きでいてくれてありがとう。
2人きりで、すごく大変で辛いときもあったけど、ここまで乗り越えてこれたの、あなたのお陰だよ。
いつも言ってるけど、私にとってあなた以上の配偶者はいないの。
神様のベストチョイスに本当に感謝してる。
これからも支え合っていこうね。
あなたと一緒に年取って行くの楽しみだよ。
だから健康でそばにいてね。