生きづらかったキミへ。

私の今までとこれからの人生を書いていくブログ。

6歳~8歳の記録。

2023-03-25 11:41:44 | 過去
6歳
近所の小学校へ入学。
いわゆるマンモス校と呼ばれる小学校。
それはもちろん、マンモス幼稚園からそのまま入学する子供達ばかりなので、マンモス校になるのは当たり前。

1学年は8組まであった。
1クラスは45人くらいだったかな…。
単純計算では、1学年360人。
担任教師は大変だっただろうなぁ…。

プールの授業で溺れたのがこの頃。
それ以降、水が怖くなってカナヅチになったのは言うまでもない。


弟は、私が小学校に入学したばかりの頃に産まれた。



7歳
クラス替えがあった。
新しいクラスの中で、この後にしばらく仲良くする友達が出来た。
私は、彼女を親友だと思っていた。

担任教師はとても厳しい、年配の女性だった。
クラスの全員を名字で呼び捨て。
イベント事などでクラスがザワザワし始めると、怒声を浴びせて沈める教師だった。


8歳
クラブ活動でバスケットボールを始めるが、そこで悪い友達に出会ってしまう。
その友達には、当時16歳のお姉さんがおり、いわゆる昭和のヤンキーみたいな人だったようだ。

彼女の姉と彼女は同じ部屋で過ごしていたようで、部屋に行くとタバコの臭いとシンナーの臭いが入り交じったような空気のため、具合が悪くなるのでリビングで遊ばせてもらうことが多かった。

そして、その友達と遊ぶようになってから、一緒にいる時はコンビニなどで万引きをするようになる


母は、弟の面倒を見るために無職で家にいたが、私が何をしても気に止めることもなく、出掛ける時に「今日は誰と遊ぶの?」とは聞くものの、詳細までは聞いてこなかった。

父は、帰宅すると弟ばかり可愛がり、膝に乗せてご飯を食べたりテレビを見たり、ベッタリだった。

私がいる目の前で、「男の子が欲しかったから、お前が産まれてきて嬉しかったぁ」などと弟に言いながら、恵比寿様のような顔をしていた。
母も、父の発言を咎めることなく、ニコニコとしていた。

まるで、2人には私が見えていないような気になったことを覚えている。
「どうせ私は女の子だよ。好きで女の子に産まれた訳じゃないのに」って、心の中で思っていた。

私は、この頃から何となく、家族の中で疎外感を感じ始めていたように思う。





今日は🈁まで。
最後まで呼んでくださった方、ありがとうございました。


次回予告
覚えている範囲で、9歳からの記録を淡々と綴ります。



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