うちの息子が漫画を描いた。
という漫画だ。
今から私は、この漫画に蛇足を付けようとしている。蛇足付きでこの漫画を紹介したいのだ。
どんな蛇足を付けるのか?
① 仕事ができない「僕」の話(← リンクしてます)
を、先に読んで頂けるとありがたい。
まずはじめに、漫画の最初のほうで「僕」の「母」が大人の発達障害について
生まれつき「仕事ができない」大人のこと
と、言い切っているコマがあるが、これについて
そもそも発達障害に大人も子供もない。なぜなら、発達障害は持って生まれたものだから。
「生まれつき」である。
発達障害支援法が 2005年に施行され「発達障害」という概念が徐々に広まり、現在は、知っている・聞いたことがある・なんだそれ。認知度ととしてはそんなカンジに分かれているのではないだろうか?
しかしながら、この法律のおかげで「発達障害」を持った子供たちの支援がなされ、その子供たちは支援されつつ、大人になれる。周りも「発達障害」の区分けで理解しようと努力してくれるだろう。これには学校や行政も関わっている。この子供たちのことを便宜上「子供の発達障害」と呼んでいる。
この法律が私たちの身近で効力を発揮し始めるのは 2005年より何年かあとである。したがって、 2005年頃すでに中学生くらいだった子供たち~大人は「発達障害」を持っていても、支援や理解は得られないまま大人になっている。そして、大人になってから「発達障害」という概念を知り、
「あれ! 自分(あるいは自分の近しい人)って発達障害?」と、大人になってから分かった。
この場合に「大人の発達障害」という区分けを使う。そういうことじゃないだろうか。
さて 生まれつき「仕事ができない」 このセリフである。
「生まれつき」はあっているが、「仕事ができない」は違っている。
この漫画でも、病院で検査を受けたときのエピソードに同様のことが描かれているが、
得意なことはものすごく出来るが、それ以外のことは極端に苦手(出来ない)
という発達障害の特性を持つ人もいる。
たとえばAくんがそのタイプだったとする。そしてAくんの仕事は彼が得意とするジャンルだったとする。
Aくんは「仕事ができない」人だろうか?「得意なことはものすごく出来る」のである。むしろ仕事が「出来る」人だろう。
でも、発達障害の特性のために仕事ができない人は多いみたいだ。
余談ながら、仮にAくんが結婚していたとする。彼は「得意なこと以外は苦手」という特性も持っているが、もし彼のパートナーが「Aくんはちょっと変わってるから」で済ませ、彼の苦手な部分の特性をフォロー出来てしまうタイプの人だったとしたら・・・
Aくんは、自分が発達障害だとはきっと思わない。
重要なことは「発達障害の特性を持っているがために、困ったり、つらい思いをして生きているかどうか」だ。
仕事ができなかったり、人間関係が上手くできなかったり。
私はそう思う。
発達障害だから「仕事ができない」は、正確ではない。なのになぜ作者である私の息子は、そう定義したのだろう。
聞いてみた。
「発達障害についてまったく知らない人に説明するのに、一番分かり易いから」
これが回答だ。
発達障害を持つ人が100人いれば、その特性は100通りだ。つらいこと・困ること、もそれぞれだろう。
そんななかで息子の場合、発達障害の特性を持って生まれたがゆえに
● 相手の期待するように「仕事ができない」のが一番つらい。
● しかも生まれつきだから、どう頑張っても、出来ないものは出来ない。
● だから「発達障害がある = 仕事ができない」(生まれつき)だと認識しておいてくれると、こっちも楽。
そういうことなんじゃないか。と、思った。
いい加減に仕事してるわけじゃない。頑張って、言われた通りに出来るよう努力してる。
でも、「生まれつき」だからどうしても努力で変えられない。
だから こんな風に怒らないで欲しい。
「君が発達障害だというのなら、残念だがうちでは採用できない。転職を考えてくれないか。」と、おだやかに伝えるだけでいいのだ。「怒られる」という余分な「つらさ」は必要ない。
今日の投稿はずいぶんとリクツっぽい内容になってしまった。この私のブログが今後どうなるのか私にも分からないが、もう少し続けてみる。
次回 ③ 仕事ができない「具体例」の話(← リンクしてます)では、「仕事ができない」にツッコんでみようと思っている。
そちらも是非ご覧下さい。
という漫画だ。
今から私は、この漫画に蛇足を付けようとしている。蛇足付きでこの漫画を紹介したいのだ。
どんな蛇足を付けるのか?
① 仕事ができない「僕」の話(← リンクしてます)
を、先に読んで頂けるとありがたい。
まずはじめに、漫画の最初のほうで「僕」の「母」が大人の発達障害について
生まれつき「仕事ができない」大人のこと
と、言い切っているコマがあるが、これについて
そもそも発達障害に大人も子供もない。なぜなら、発達障害は持って生まれたものだから。
「生まれつき」である。
発達障害支援法が 2005年に施行され「発達障害」という概念が徐々に広まり、現在は、知っている・聞いたことがある・なんだそれ。認知度ととしてはそんなカンジに分かれているのではないだろうか?
しかしながら、この法律のおかげで「発達障害」を持った子供たちの支援がなされ、その子供たちは支援されつつ、大人になれる。周りも「発達障害」の区分けで理解しようと努力してくれるだろう。これには学校や行政も関わっている。この子供たちのことを便宜上「子供の発達障害」と呼んでいる。
この法律が私たちの身近で効力を発揮し始めるのは 2005年より何年かあとである。したがって、 2005年頃すでに中学生くらいだった子供たち~大人は「発達障害」を持っていても、支援や理解は得られないまま大人になっている。そして、大人になってから「発達障害」という概念を知り、
「あれ! 自分(あるいは自分の近しい人)って発達障害?」と、大人になってから分かった。
この場合に「大人の発達障害」という区分けを使う。そういうことじゃないだろうか。
さて 生まれつき「仕事ができない」 このセリフである。
「生まれつき」はあっているが、「仕事ができない」は違っている。
この漫画でも、病院で検査を受けたときのエピソードに同様のことが描かれているが、
得意なことはものすごく出来るが、それ以外のことは極端に苦手(出来ない)
という発達障害の特性を持つ人もいる。
たとえばAくんがそのタイプだったとする。そしてAくんの仕事は彼が得意とするジャンルだったとする。
Aくんは「仕事ができない」人だろうか?「得意なことはものすごく出来る」のである。むしろ仕事が「出来る」人だろう。
でも、発達障害の特性のために仕事ができない人は多いみたいだ。
余談ながら、仮にAくんが結婚していたとする。彼は「得意なこと以外は苦手」という特性も持っているが、もし彼のパートナーが「Aくんはちょっと変わってるから」で済ませ、彼の苦手な部分の特性をフォロー出来てしまうタイプの人だったとしたら・・・
Aくんは、自分が発達障害だとはきっと思わない。
重要なことは「発達障害の特性を持っているがために、困ったり、つらい思いをして生きているかどうか」だ。
仕事ができなかったり、人間関係が上手くできなかったり。
私はそう思う。
発達障害だから「仕事ができない」は、正確ではない。なのになぜ作者である私の息子は、そう定義したのだろう。
聞いてみた。
「発達障害についてまったく知らない人に説明するのに、一番分かり易いから」
これが回答だ。
発達障害を持つ人が100人いれば、その特性は100通りだ。つらいこと・困ること、もそれぞれだろう。
そんななかで息子の場合、発達障害の特性を持って生まれたがゆえに
● 相手の期待するように「仕事ができない」のが一番つらい。
● しかも生まれつきだから、どう頑張っても、出来ないものは出来ない。
● だから「発達障害がある = 仕事ができない」(生まれつき)だと認識しておいてくれると、こっちも楽。
そういうことなんじゃないか。と、思った。
いい加減に仕事してるわけじゃない。頑張って、言われた通りに出来るよう努力してる。
でも、「生まれつき」だからどうしても努力で変えられない。
だから こんな風に怒らないで欲しい。
「君が発達障害だというのなら、残念だがうちでは採用できない。転職を考えてくれないか。」と、おだやかに伝えるだけでいいのだ。「怒られる」という余分な「つらさ」は必要ない。
今日の投稿はずいぶんとリクツっぽい内容になってしまった。この私のブログが今後どうなるのか私にも分からないが、もう少し続けてみる。
次回 ③ 仕事ができない「具体例」の話(← リンクしてます)では、「仕事ができない」にツッコんでみようと思っている。
そちらも是非ご覧下さい。
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