新型コロナ 関西の感染状況(6日午後6時)大阪京都過去最多|NHK 関西のニュース
大阪では4日連続で1000人を超え、ことし5月1日と4月28日の1260人を上回って過去最多となり、兵庫でも4日連続で400人を超えました。
さらに、京都でも4日の277人を上回り、過去最多となりました。
「街が壊滅したあの日、確かに私は列車を走らせました。乗客が元気になってなんとかおうちに帰れればいいなと」
76年前の8月6日。
原爆で傷ついた人々を乗せて北へ北へと向かった列車。
公的資料には列車の全面的な運転再開は原爆投下から3日後と記されていますが、あの日、列車は動いていたのです。
当事者の取材から浮かび上がってきた76年目の真実です。
(広島放送局記者 石川拳太朗)
広島19450806 その日、きのこ雲の下で何が起きていたのか (1:04:52)
【08-07 追加】
1945年8月6日の原爆被災に際しては、爆心地より約2,270mに位置しており、爆風により石造の勾欄が双方とも倒れ南側は川中に転落するなど大きな被害を受けた。しかし落橋自体は免れたため対岸の宇品方面へ避難する罹災者が橋に殺到し混乱と凄惨をきわめた。この日の午前11時頃、勤務先の中国新聞に向かっていたカメラマン・松重美人は、橋の西詰(当時南側に御幸橋交番があった)で爆心地方面から逃れ応急手当を受けていた被爆者の群集を目の当たりにして写真を撮影、これらが被爆当日の広島市街中心部を撮影したほとんど唯一の写真となった。現在、橋の西詰南側には松重により撮影された写真のモニュメントが設置されている。
松重により撮影された写真のモニュメント
※ 約20年前、広島市内を歩き回った時、このモニュメントに偶然にも出会い、この貴重な写真を見ることができました。