新型コロナ 関西の感染状況(7日午後8時)|NHK 関西のニュース
大阪では5日連続で1000人を超え、兵庫でもおよそ3か月ぶりに500人を上回りました。
さらに、京都でも4日連続で200人を上回り、滋賀では過去最多となりました。
関西2府4県で1日の感染者が2000人を上回るのはこれで4日連続です。
現在も入院中の人や自宅やホテルで経過観察が必要な人は1万7821人となっています。
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鳥栖市ホームページ - フッペル鳥栖ピアノコンクール ピアノコンクールについて
フッペル鳥栖ピアノコンクール ピアノコンクールについて
記事ID:0003285 更新日:2021年4月26日更新 印刷ページ表示
「フッペル」について
ドイツ・フッペル社製の古いピアノが、佐賀県鳥栖市の文化施設「サンメッセ鳥栖」に展示されています。
ピアノを製造したフッペル社は、1875年にロバート・フッペル氏が、現在のドイツ・ツァイツ市に工場を設立したことに始まります。その後、フッペル社は1903年にグランドピアノの製造を開始し、最盛期には100人以上の従業員が働き、年間1000台を生産するまでに成長しました。
サンメッセ鳥栖(JR鳥栖駅東)に展示されているフッペルのグランドピアノ
鳥栖市にこのフッペル社製のピアノが来たのは1931年のことです。地元婦人会の寄付によりグランドピアノを購入することとなり、当時の学校教諭陶山聰氏の選定により福岡市の楽器店を通じて購入、鳥栖小学校へ寄贈されました。
そして、第二次世界大戦の終結間近の1945年(昭和20年)夏、二人の日本兵が鳥栖小学校を訪れ、同校にあったこのピアノで「月光」を奏でました。二人は特攻隊員で、この世の名残りに弾いたと、教員だった上野歌子さん(故人)が戦後ながくたって明かしました。この物語は1993年「月光の夏」として映画化され、公開から1年を待たずに観客動員数100万人を突破しました。1948年進駐ソ連軍によってフッペル社の工場は閉鎖されましたが、寄贈から80年経った今でもフッペル社が作ったピアノは鳥栖で多くの人に愛され続けています。
(以下略)
全篇を初めて見ることができました。
特攻隊員の真の心情の率直な描写がなされるとともに、ジャーナリストの真実追及に対する志の高さがうかがわれました。
後者については、
このブログで取り上げた「 バハールの涙」(07.11)、
『あの日、列車は走っていた』 / 「その日、きのこ雲の下で何が起きていたのか」(08.01)
でも強く感じました。