ジロがゆく

なんとなく生きてます

2021-07-12 蝸牛的京都市内散策①_京都御苑 その1

2021-07-14 22:44:52 | 日記

 野暮用があって、京都"市内"行き。本年1月以来です。用事が済んだ後雨が上がったので、チョット散策。

 歩みののろい亀よりも遅い足取りでした。

 先ずは京都御苑へ。

『京都御苑案内図』

(環境省京都御苑管理事務所・㈶国民公園協会京都御苑 発行パンフ「国民公園 京都御苑」付図)

【2021-07-18 大きくしました】

 

同パンフ『京都御苑のあらまし』より

 京都市の中心部にあって深い緑に包まれた京都御苑は、東西約700m、南北約1,300mのほぼ長方形をしており、このうち京都御所や大宮・仙洞御所など * を除いた約63haが「国民公園」として終日解ママ放されています。

 砂利道の広い苑路と築地塀、芝生と松林で構成される景観は、京都御苑の典型的な風景としてすっかり定着していますが、御苑が現在のような姿に整備されたのは明治以降のことです。それまでは約二百件ママの公家屋敷が立ち並ぶ公家町 * *を形成していましたが、明治2年(1869)の東京遷都に伴って多くの公家達も東京に移住し、御所周辺は急速に荒廃していきました。明治10年(1877)、京都に還幸された天皇は、その荒れ果てた様にママ深く哀しまれ、御所保存、旧観維持の御沙汰を下されました。そしてこの御沙汰を受けて「大内保存事業」が進められ、皇室苑地として整備されたのが現在の京都御苑の始まりです。(以下 略)

*  京都御所や大宮・仙洞御所などを含む総面積 約92ha。

   京都市民は、「御苑」と「御所」とを区別せずに漠然と「御所」と呼んでいるようです。

* *  御苑周辺の公家屋敷については、ブログ『 公家屋敷 - 3D京都』が詳しいようです。

   なお、苑内には、「閑院宮邸跡」と九條邸跡の「拾翆亭」(ともに「京都御苑」参照https://fng.or.jp/kyoto/place/history/#shusuitei)が現存。

 

 烏丸(からすま)通に面した下立売(しもたちうり)御門から入りました。向かい側は菅原院天満宮。菅原道真の誕生地跡だそうです。

 この御門の東方の路。

 左側の木立の中へ入ると・・・

クスノキの大木

赤松

 木立を抜けると「出水(でみず)の小川」沿いへ

ナンダカナァ

その右側(東側)の路の北方を望む。「京都御所」の西側に通じます。

造園業者の車が周回していました。

この路の向かいに出水の枝垂桜

苑路の玉砂利

オカネカカッテソウ

時節柄、こんな表示が随所に

苑路を北行すると

梅林

うまそうなキノコ

体長約1.5センチのアリ

念入りに古い皮を剥がされた赤松

 

(ツカレタ! つづく)

 

 


最新の画像もっと見る