雲林院 京都市北区紫野雲林院町23 地下鉄北大路からバスが早い
かつて雲林院境内にあった大徳寺塔頭の真珠庵に「紫式部産湯の井戸」がある。紫式部はこの周辺で生まれ育ったとされ、その名も、雲林院の建つ紫野に由来するといわれている 雲林院は、淳和天皇の離宮・紫野院として造営されたのが始まり。
桜や紅葉の名所として知られ、淳和天皇は度々行幸していたのだという。その後、仁明天皇の離宮となり、さらに皇子の常康親王に譲られた。常康親王死後の869年)、遍昭が招かれて雲林院となる。雲林院は、鎌倉時代までは天台宗の官寺として栄えたが、その後衰退し、1324年、雲林院の敷地内に建立された大徳寺の塔頭となった。 しかし、応仁の乱の兵火により廃絶。現在の雲林院は、1707年の再建。Wikipedia
地蔵堂
観音堂
観音堂内部
紫雲弁財天
紫雲弁才天
遍照 歌碑 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよをとめの姿 しばしとどめむ
紫野院を雲林院とした遍昭は、花山天皇が出家した元慶寺を開いた僧。 885年(仁和元年)には僧正となり、花山僧正と呼ばれた
境内
古絵図
層塔
手水
庫裏
十三重塔