正法寺 東山区清閑寺霊前町35 御朱印はなし 山奥の荒れ寺のよう
応永十二年(1405年)の示寂年が刻まれた国阿上人板碑、品川弥二郎の墓がある。 この寺は、最澄の開山により創建された天台宗の寺院に始まると伝えられる。はじめは霊山寺と称し、光孝天皇・宇多天皇の勅願所となった。鎌倉時代初期には 法然がこの寺で別時念仏を修したという。その後荒廃していたが、1383年(永徳3年)に時宗の僧国阿が再興して正法寺と改め時宗の寺院となった
山門
本堂 まだ修復できてない
柏のお札 伊勢参りの人たちは必ず国阿堂に詣り、国阿の木造を拝み国阿が旅で使った木履や杖を戴いて行路の無事を祈願したという 国阿は国阿阿弥陀仏とも呼ばれ、伊勢神宮を信仰し、たびたび足駄をはいて伊勢参詣に出かけたという 森浩一 道中安全祈願のお札が今でも続いているのが、驚き
鏡池
水が湧き出ている
庫裏
地蔵堂
国阿上人板碑(鎌倉時代)京都の三板碑」の一つに数えられ、他は紫野・西向寺、百万遍・了蓮寺)にある
正法寺五輪卒塔婆(鎌倉時代後期 文保二年 1318年)
内側から見た山門