今日は朝6時半に妻をチェンマイ大学病院(スアンドーク病院)へ連れて行きました。家に戻り、3人の子供たちを学校へ送りました。そしてすぐ病院へトンボ返りしました。
(スアンドーク病院の外来)
スアンドーク病院では毎週月曜の午後1時から、乳がんの専門医による「ミーティング」が開かれます。残念ながら、その場面をカメラに納めるのは忘れたのですが、教授を頂点に、手術を担当する外科医、抗がん剤治療・放射線治療の専門医などの医療スタッフ15人ほどが集まって、患者一人一人の扱いを検討するのです。大学病院ですから、若い医師たちの教育的な意味合いもあると思います。
今日のミーティングのために朝6時半に来るように先週言われたのですが、実は午後1時からだと知ったのは病院に行ってからでした。朝は別のミーティングがあったのです。
午後の医師たちのミーティングに備えて、がん経験者のボランティアの方が、現役の患者たちにいろいろとアドバイスするミーティングが午前中に開かれました。
向かって左の人は、乳がん歴12年で、なんと5回も再発を繰り返し、そのたびに手術しているというのです。5年前には骨にも転移したそうです。でも全く健康に見えるので不思議でした。
ボランティアは医療スタッフではないので、専門的なことは答えられません。日常生活で気をつけていることや苦労したことなどを話してくれたのでしょう。会話のテンポが速すぎるのと、教科書的ではない、くだけたタイ語なので、私にはごく一部しか理解できませんでした。
ただ、午後の医師たちのミーティングでも思ったのですが、タイ人のミーティングは実に形式ばらないホンネのミーティングです。しかも一人が多数に話しかけるような形ではなく、複数の会話があちこちで同時進行するのです。極端に言えば、みんなが同時に話しているかのような状況になります。妻も、午前のボランティアミーティングでは実によく喋っていました。
午後の医師たちのミーティングでは、患者一人一人が会議室に呼びこまれ、自分の治療方針について医師たちの活発なやり取りを聞かされることになります。今日は妻を含めて10人の患者が対象でした。なぜか妻は朝6時半に一番乗りしたのに、呼び込みは最後になってしまいました。
会議室に入った患者は、早い人で5分もせずに出てきます。長い人で10分くらいでしょうか。妻が一人一人に「どうだった?」と聞くと、「私は手術の前に抗がん剤を6回やることになったの」とか、「私は抗がん剤はやらなくて、放射線治療だけでいいと言われたの」とか、報告してくれます。
最後に妻の番でした。小さい会議室なのに、若い医師がたくさんテーブルを囲んでいます。若くてとびきり美人の医師が2人もいるのが私の目に飛び込んできました。60代くらいの初老の紳士も2人います。教授でしょう。
私たちが部屋に入ると、もうすでに若い男性医師によって妻の2年間の経過報告が始まっていました。スクリーンに、発病から手術、抗がん剤治療、放射線治療などの履歴を整理した画面が大写しされています。専門用語、しかもアルファベットの略語がほとんどですが、私にもほとんど意味が理解できました。インターネットで勉強した成果です。
医師たちは実に和気藹々としています。報告の途中でいろんな人が勝手に発言します。教授と思われる初老の医師が妻に話しかけてきました。「バンコク病院で手術した医師の名前は?」「3回やってるけど、毎回その先生だったの?」
もう一人の年配医師は、報告を聞いて「抗がん剤は今年になって6回やってるから、もういいだろう」と私たちを安心させるような発言をしました。そして真後ろにいる妻の方にくるりと向き直って右手を触り、「ずいぶん腫れてるけど、いつからなの?」と質問してきました。年配の2人の男性医師は発言が実にやさしく、態度が温厚で、ものすごく好感を持ちました。
美人の女医の一人が「放射線治療を追加したほうがいいと思います」と発言しました。彼女は放射線医だったのですね。とくに反対の声は上がらなかったのですが、別の女性医師が妻の所に来て、妻が持参してきたバンコク病院とチュラロンコーン病院の治療記録を持っていきました。何かをチェックするためです。彼女は以前も資料に目を通したことがあるので、鞄の中に詰まっているたくさんの記録の中から目的のものをあっという間に見つけ出して発言しました。「確かに、右の脇の下は前回は放射線を当てていないので、やることは可能だと思います。やったほうが安心できるでしょう。でも、右手の腫れがひどいので、それがおさまってからにしたほうがよいのではないでしょうか。」
別のベテラン医師がその発言を支持しました。それによって妻の取り扱いを決めるミーティングは終わりました。多分、患者10人の中で一番長かったような気がします。20分くらいだったでしょうか。それにしても、実に明るく活発なミーティング風景でした。ユーモアのある発言も多く、笑い声が随所に聞かれました。
「私も放射線治療はやったほうがよいと思います。でも私は手術担当の外科医ですから、一切責任はありませんけどね。」医師たちは爆笑でした。
ということで、妻は、右手の浮腫が改善してから、昨年12月に手術した右わきの下の再発部位中心に、部分的な放射線治療を行うことになりました。放射線治療は1年以上前、右乳房を中心に広範囲に一度やっています。
今日病院で出会った9人の乳がん患者は、病気が見つかって1か月の初心者もいれば、もう10年も経っているベテランもいました。見るからに辛そうだったのは、肺に転移してからすでに何年も経っていて、最近目の奥の骨に転移したという人です。人それぞれですが、乳がんは息の長い闘いを患者に強いる厄介な慢性病です。妻も、これからまだまだ長い道のりがあるんだと思います。医学の力はもちろん必要ですが、家族がしっかり支えなければと思います。
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ご家族が支えることで、奥様はどれらけ心強いだろうと思います。
前向きな姿勢があれば、病を和らげることができると聞きますので、きっと奥様も良くなられるんじゃないでしょうか。
これも人生と思って、本人も家族も、病気と付き合いながら生活していくより他に選択肢はないのです。治る、治らないにかかわらず、あきらめないで精一杯できることをやっていきます。
タイ人のハイソ系の方は日本人と共通するものがあるような気がしていましたが違うのですね♪
それから
>>若くてとびきり美人の医師が2人もいるのが私の目に飛び込んできました。
読んで笑ってしまいました。失礼ながら、うさぎさんも男よのお! なんて思ったりしました。^^
私ならその美人医師目的で病院訪問が楽しくなりそうです。
なんにしても病人とそれを支える家族って大変な事だと思ってます。
少なくとも気持ちだけは明るく・プラス思考でいたいですよね (^^)
大体タイは王様の前とか、特別な場面以外はあまり緊張感がないみたいです。庶民もハイソな人たちも、その点では同じなのではないでしょうか。
もちろん私も、美人で若いときたら、目がないですよ。もはや何の期待も(ほとんど)抱くことはないですけどね(笑)。ほとんど(笑)。