梅田 耕太郎さん に国民栄誉賞を!!
新幹線殺傷事件で 乗客の命を救い 犠牲になった
下記の記事 梅田耕太郎さんのことを 詳しく書いているので 拡散・記録に残したい と思います
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56182
新幹線殺傷事件の被害者・梅田耕太郎さんの無念を思う
本当に立派な方でした
週刊現代
講談社
毎週月曜日発売
自らの命を犠牲に、刃物を振り回す男から乗客2人の命を救った梅田耕太郎さん。勇気ある行動をとった彼の半生を振り返りたい。元同僚や同級生が明かした、知られざるエピソードを紹介する。
刺されても立ち向かった
「梅田君は、普段は大人しくて穏やかですが、困っている人を見ると、積極的に手を差し伸べてくれる人でした。今回の彼の行動も、考えるよりも先に身体が反応したのかもしれません」
東京大学大学院でともに学んだ友人は、そう語った。
6月9日夜、会社員・梅田耕太郎さん(享年38)が、搬送された小田原市内の病院で亡くなった。
司法解剖の結果、死因は失血死。身体には胸や肩をはじめ約60ヵ所の傷があった。致命傷となった首には約18cmの切り傷があり、なたで切られたとみられている。
一人の男性の命が犠牲となった、この凄惨な事件を振り返る――。
同日午後9時42分。東海道新幹線「のぞみ265号」は、ダイヤ通りに新横浜駅を出発した。
外資系の化学メーカーBASFジャパンに勤める梅田さんは、乗車すると最後列の通路側の席に腰を下ろした。横浜で2日間の社内研修を終えて、兵庫県尼崎市の自宅への帰途についたところだ。しかし、ひと息つく間もなく事件は起こる。
「逃げて逃げて!」
午後9時45分ごろ、車内に叫び声が響いた。
梅田さんの2列前に座っていた小島一朗容疑者(22歳)が、無言で立ちあがり、右側に座る女性をなたで切りつけたのだ。
突然の出来事に、車内は大パニック。恐怖に震えた乗客は、猛ダッシュで隣の車両へと急いだ。それを横目に、決死の行動で男に立ち向かったのが、梅田さんだった。
梅田さんは、加害者の背後から気づかれないように近づいた。身長180cm弱の彼は、小島を後ろから抑えて動きを制止。その隙に、女性は肩から血を流しながらも後方に逃げることができた。
その後、梅田さんは刃物を持った小島と激しくもみ合って転倒。すると、小島は迷うことなく、通路を挟んで左隣に座る女性に襲いかかった。
倒れていた梅田さんは、すぐに立ち上がり、男の凶行から女性を守るべく、再び止めに入った。
もう一人の女性を後方へ避難させた梅田さんに、小島は刃物で容赦なく襲いかかった。はじめは応戦していた梅田さんだったが、馬乗りになった小島に切りつけられていくうちに、途中で動かなくなってしまう。
午後10時ごろ、臨時停車した車両に警察官が駆け付けると、無表情の小島は抵抗する素振りも見せず、現行犯逮捕。通路の床一面は血の海で、事件の惨状を物語っていた。
自らの命をなげうって、見ず知らずの乗客2名を救った梅田さん。彼の勇気ある行動は、誰にでも真似できるものではない。38歳という若さで凶刃に倒れた梅田さんは、どんな人生を歩んできたのだろうか。
「彼らしいな」と
梅田さんは、神奈川県横浜市で育った。近隣住民によると、彼は地元では知られた人物だという。
「耕ちゃんは子供の頃から賢いことで有名。地元では『梅林小、始まって以来の秀才』と評判でした。しかも、頭が良いだけではありません。社交的で、キチンと挨拶のできる明るい子だったんです」(近隣住民)
小学校時代の梅田さんをよく知る男性も同様の意見だった。
「見知らぬ女性を守って犠牲になった、と聞いて『耕太郎君らしいな』と感じました。彼は子供の頃から正義感を持ち合わせていましたから。
たとえば、子供同士で仲間外れが起きると、『そういうのやめようよ』と注意できるタイプだったんです」
梅田さんは、梅林小学校を卒業すると、私立栄光学園に入学。元首相の細川護熙氏や、東京大学名誉教授で解剖学者の養老孟司氏らを輩出した神奈川県が誇る超名門中高一貫校だ。
「栄光学園の中でも、成績は優秀でした。しかも単なるガリ勉ではありません。スポーツも好きで、たしかバスケットボール部に入っていました。バンドも組んでいたと思います」(高校時代の同級生)
高校を卒業すると、東京大学工学部へ進学。勉強に励む一方で、テニスサークルの活動にも精力的に取り組んでいたという。
「経歴だけを見ればエリートそのもの。でも、頭が良いだけじゃないんです。それもご両親の教育のおかげでしょう。お父さんはマスコミで働いていた方。お母さんは専業主婦。どちらもしっかりした方です。
お姉さんも東大出身なのですが、子供の自慢をすることもなければ、偉ぶることもない。今回、乗客を助けたのも、たまたまできる行動ではありません。子供の頃からの教育あってのことだと思います。
それだけに『なぜ、あんないい子が』という思いがあります。残念でなりません」(前出の近隣住民)
梅田さんの父親は、日本経済新聞社の元取締役で東京本社広告局長まで務めた人物だった。
妻は帰りを待っていた
東京大学を卒業した梅田さんは、その後、東京大学大学院新領域創成科学研究科に進む。修士課程を経て、博士課程の特別研究員となった。
「特別研究員は、研究者としての将来を期待され、研究費をもらいながら学べる優秀な研究員のことです。梅田君はそれくらい優れた学生でした。『プラズマ核融合』の研究を進めていて、成果も挙げています」
そう語る当時の研究仲間は、彼の人柄について次のように語った。
「梅田君は非常に穏やかな性格で、人付き合いも積極的な学生。当時、研究室には経済的に貧しい留学生が多く、飲み会に参加する費用も持ち合わせていなかったほど。
そんな時、彼は留学生の参加費を安くしてあげて、懇親を深めようと働きかけをしてくれました。分けへだてなく留学生たちをみんな仲間に入れようとしていたことが印象深いです。
他の日本人学生は面倒くさがってやりませんが、梅田君は誰とでも交流を深めるような男でした」
母国で結婚式を挙げる時に、梅田さんを招待した研究室の留学生はこう話している。
「私は、日本語が上手く喋れない上に、日本の生活習慣が分かりませんでした。当時は自分の研究で精いっぱいで、みんなが忙しくしていたので、助けてくれる人は少なかったです。
だけど、梅田サンは、困っている時にいつも助けてくれました。母国で結婚式を挙げた時に、恩人である梅田サンを招待したのは当然のことでした」
学生時代から、こうしたエピソードに事欠かない梅田さん。大学院を卒業した後、京セラから、SABIC、そしてBASFジャパンへと職場を変えたが、その評判はまったく変わらない。
職場の元同僚はこう明かす。
「京セラでは、もともとの研究分野でもある太陽光パネルの開発をしていましたが、SABICではプラスチックを扱うということで、一から勉強していましたね。
梅田君は頭が良くて、キャッチアップもすごく早いです。入社して2~3ヵ月目には独自で動いていくような人でした。
英語も流暢に話せましたし、彼が優秀だったのは間違いありません。これは他の同僚に聞いても同じように言っています。外資系にいる30代の中でも、特に活躍していたんじゃないでしょうか。
また、正義感があって、仕事中も後輩に対する配慮ができる人。キャリアに関しても向上心がありました。『もっとレベルアップできる転職をしたい』と話していたこともあります。
京セラから外資系のウチへ転職した理由は、年功序列で、若く有能な人が評価されづらい日系企業に多少の不満を感じていたからだとか。『若手が評価されにくい環境になっている』『後輩がなかなか評価されないんだよね』と、自分以外の人に対する配慮をしていました」
彼が所属していた社会人テニスサークルの仲間は、梅田さんについてこう語った。
「梅田さんは、上級者のクラスでプレーしていて、テニスはかなり上手でした。彼は立ち向かっていくようなプレースタイルで、逃げたりはしないタイプでしたね。
お酒は好きで、サークルが終わってから一緒に飲みに行ったりしていました。男女問わず、誰にでも声をかけてくれて、紳士的な印象が強いです。テニスが上手いのに、それをひけらかすこともせず、いつも謙虚。
東大出身だということも今回の報道で知りました。彼のプライベートについては聞いたことがありません。今思えば、仕事や私生活で忙しくしていたのかもしれないですね」
'14年頃、梅田さんは東京で仕事をしていたが、夫人は関西にいたという。事件当日も、夫人が待つ兵庫の家に戻る最中だった。
梅田さんの家庭について、別の元同僚は次のように答えた。
「遠距離婚、週末婚みたいな形だったと思います。『一緒に暮らしたいな』と、彼が話していたのも覚えています。それもあって、今の会社(大阪支社)に転職したんじゃないでしょうか。
お子さんはいないみたいで、奥さんのお仕事も忙しいようでした。『奥さんには負けられない』と言っていましたね」
残された夫人の心痛は察するにあまりある。
母校の理念を体現
事件から翌々日の6月11日の午後に、本誌は梅田さんの実家を訪れた。瀟洒な一軒家は昼間から雨戸もカーテンも閉め切られており、それは家主の悲しみを象徴するかのようだった。
「ご両親の二人暮らしで、彼の母親は憔悴しきっていました。今は、上のお姉さんや親族の方が手伝いに来ているので、我々近所の人間はそっと見守っています」(別の近隣住民)
高校時代の友人は事件をこう振りかえった。
「栄光学園の教育理念は『Men for others(他者のための人間)』というのですが、梅田君はそれを体現していたと思います。見ず知らずの他人を助けるなんて、口では言えても実際にできる事じゃありません」
命を賭して乗客の命を守った、梅田耕太郎さんのご冥福を心よりお祈りしたい――。
「週刊現代」2018年6月30日号より
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