日韓トンネルの推進団体として
翌1983年5月24日に
★「日韓トンネル研究会」(2004年2月にNPO法人化、
★ 麻生太郎、古賀誠、久間章生
など多数の九州の自民党有力議員が顧問
★保守政治家が賛同したとされた。
これら保守政治家と反共という面でつながりのある
統一教会ではこのプロジェクトのため信者に献金が奨励さ
れ、借金までして多額の献金をする者が多く出ている[5]。
1986年10月に
★佐賀県東松浦郡鎮西町(現在は唐津市に属する)名護屋で
★「日韓トンネル名護屋調査斜坑」 が起工され、
470mまで掘られた[4][7][8]。
掘削に使われた機械は2010年初頭時点でも入り口周囲に置かれたままになっている。
★ルートは概ね戦前の弾丸列車計画時のものと同じで、佐賀県の東松浦半島から壱岐、対馬を経て釜山または巨済島へ至る構想であり、全長は約220km[7]。
ユーラシア・ドライブウェイ構想における日韓トンネル
★大林組の構想した日韓トンネルでは、
東松浦半島から壱岐までは、この海域に点在する加部島、加唐島、名島を結ぶ吊り橋と斜張橋を連続して建設し、総全長32kmの橋で渡る。
壱岐から対馬までは青函トンネルと同様に60kmの海底トンネルを掘削して対馬の南端に上陸する。
対馬島内は地上を縦断する。
対馬から釜山までの朝鮮海峡(対馬海峡西水道)は水深が220mもあり、海底断層が存在する上に地盤が軟弱であるため、海底に支持架を建設して円筒形のトンネルユニットを据え付ける海中トンネルを構想していた。
★「日韓議員連盟」 会長の竹下登元首相が
自民党での検討を指示したり、
羽田孜元首相も自著で「日本再生プログラム」の一環として日韓トンネル構想に言及している。
1990年に訪日した韓国の盧泰愚大統領や翌1991年に訪韓した
★海部俊樹首相なども推進の意向を示すなど、日韓双方で話し合われた。
1995年、国連ESCAP(アジア太平洋経済社会委員会)がアジアとヨーロッパを繋ぐ縦断鉄道建設を推進する見解を表明した。しかし、日韓トンネル構想については言及されなかった[9]。
2000年には韓国の金大中大統領が自治体首長会議で海底トンネル建設案について肯定的な発言をしていると報じられ[10]、。
★森喜朗首相が日韓トンネルの共同建設を韓国側に提案した[11]。
2002年、韓国政府は約700万円の調査費を計上し、交通開発研究院が同年4月から技術的問題点、日韓の工事費負担割合、韓国にとっての交通・物流戦略上の価値などについて分析を進めた[3]。
2003年2月25日には韓国の盧武鉉大統領が就任式の直後の小泉純一郎首相との首脳会談で、「北朝鮮問題が解決すれば経済界から取り上げられるだろう」との旨を語った。
同年、
自民党では政党アクションプログラムの一つ
★ 「夢実現21世紀会議」(議長:麻生太郎)
において実現に向けた政策提言を行なっていたが、
2008年度の自民党の機構図にはこの会議は載っておらず、現在この会議が機能しているかは不明である。
また、同年、
★自民党の外交調査会は
「日韓トンネル研究会」の高橋彦治・濱建介からヒアリングを行ない、
★技術的には実現可能との見解を示した[12]。
同報告書について、「日韓トンネル研究会」は「経済性は十分ある」と反論している。
「日韓トンネル研究会」
は同年、ソウルで開催された「第3回アジア七カ国土木会議」の会場にブースを設置し、PRビデオ上映やパンフレット配布などで海底トンネルのPR活動を行った[14]。
2008年3月、自民党九州選出議員を中心に日韓海底トンネル推進議連が発足した。
★2009年12月、韓国で李明博大統領より2020年までの国土開発基本構想が発表され、日韓トンネルの研究が盛り込まれる[15]。
★ 完成は最短で2010年より30年後とされている。
想定ルートに関連する報道 [編集]2010年(平成22年)3月15日放送の「やりすぎコージー」都市伝説SPで、「日韓トンネルの真相に迫る」と称するVTRが放送された。
★ 釜山の加徳島から巨済島に向けて掘削されているトンネルの工事現場を調査員フットボールアワー後藤が取材した。
★ 番組取材時、すでに3km堀り進められていた[7]。
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日韓トンネル出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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