創業者の中内さん・・・かつての1兆円企業を作った。中内さんはフィリピンの飢餓戦上で、敵の被弾を受け意識もうろうとする中で・・・子どもの頃食べた牛肉のすき焼きをもう一度腹いっぱい食べたいと思ったそうです。戦後にスーパーを始めるきっかけになったそうなんです。中内さんにとって人々を満腹にさせること!!小売業の原点と考え、無駄な戦争を未然に防ぐ手立てだったそうです。中内さんが京阪の千林駅前に主婦の店・ダイエー1号店を出したのは!!1957年9月23日だったそうです。開店の前日、中内と13人の従業員はベニヤ板を敷布団代わりにして、棍棒片手に店に泊まり込んだそうです。安売りを妨害するため近くの商店が雇った暴力団の殴り込みに備えるためだったとか!まさに命がけ・・・そんな時代だったのかも知れません。ダイエーの安売りは大きな評判を呼びました。首からゴムひもでつった定期券をぶら下げた主婦たちが京都から大挙して買い物にやってきたそうです。この年の大晦日・・・千林商店街を埋め尽くした買い物客(^_^)/閉店したのは翌日元旦の午前2時すぎだったそうです。千林の繁盛店でも一日1万円の売り上げは至難とされていた時代だった。しかし!ダイエーの売上げはこの日1日で100万円を記録したそうです。店内に残っていたのは歯ブラシ3本とオカキ2袋のみだったそうです(笑)ダイエーの名前を一躍高めたのは、東京五輪が開催された1964年から始まった松下電器との30年戦争・・・・。適正価格を主張する松下に対し、中内さんは!いくらで売ろうと勝手。価格はお客が決めると対抗して、当時破格の5万9800円というプライベートブランドのカラーテレビを発売。価格はメーカーではなく、客が決める。これが中内さんの流通革命の生命線でした。価格破壊の最初であり革命であった当時。日本の流通業に大きな影響を与えたダイエーが幕を閉じます。ん~淋しい限り・・・
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