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戦時中の奈良公園の鹿

奈良公園の鹿・・・戦時中の記録があります。
奈良公園の象徴でもある国の天然記念物である「奈良のシカ」。古来、神の使い、神鹿としてあがめられてきました。しかしながら・・・戦中・戦後は食糧難のため密猟や乱獲が横行したそうです。一時は絶滅の危機だったそうです。今の平和な日本からは、考えられない事が起こっていました。
時は春日大社が創建された奈良時代。春日大社には、平城京を守るために鹿島神宮から祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白い鹿に乗って御蓋山(みかさやま)に降り立ったとの神話が残ります。それ以来、奈良のシカは「神鹿」として神聖視されるようになったといわれています。
太平洋戦争の後半には・・・奈良市内でも深刻な食糧難が起きたそうです。追い詰められた人々の中には「神鹿」に手を出すしかなかったとの事です。当時、県は奈良公園周辺で鹿を殺したり、傷つけたりすることを禁ずる「殺傷禁止区域」を設定されていたそうです。飢えをしのぐため、密猟・乱獲が横行されたとの事です。研究者によらば、戦前に公園周辺に約900頭いたとされる鹿は、戦後間もなく1割以下の79頭まで激減していたそうです。全てが狩猟されたわけではなく、猟銃で撃たれる仲間を見て春日山や市外に逃走し、戻って来なくなった鹿も相当数いたのではないかと指摘されています。
この事態を重く見た奈良の鹿愛護会(1947年に春日神鹿保護会から改称)は、鹿の保護育成に取り組み、55年には378頭まで回復させました。雌鹿は環境が良ければ、ほぼ毎年子どもを1頭生むそうです。研究者は、鹿の繁殖力の高さと保護活動が掛け合わさったからこそ、飛躍的に頭数を伸ばすことができたと分析する。その後も頭数を増やし、国の天然記念物に指定された57年以降は、大きく頭数を減らすことなく推移。約1200頭が生息しているそうです。
研究されている先生は、当時の深刻な食糧難を伝える史実として、今後も語り継いでいかなければならない」と話している。
なんとも複雑な思いですが・・・これも戦争がもたらした歴史ですね(😭)





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