jump in the box

この小さな箱の中で飛んだり跳ねたりしてみます(笑)

許せるわがままと許せないわがまま

2006年07月04日 | サッカー
「逃げるのか?」
ヒデ引退のニュースを聞いて真っ先に浮かんだ感想だった。

テレビのニュースやHPで発言を読んでも
その違和感はぬぐいきれないどころか
ますますその感を強く持つ事になってしまった。

「自分探しの旅」
ヒデの口からまさかこんなバカげた台詞が出てくるとは思わなかった。
彼もイマドキの迷える若者の一人だったということか?
まさか!
彼自身も語っているように
「サッカーを愛して止まない」男が一体何を探すというのだ?
初めてサッカーボールを蹴った時から何一つブレる事はなかったはずだし
これからもそれは変わらないはずだ。

6月22日
ドルトムントの空を見上げてこみ上げてきた感情。
それは最後と決めたW杯3試合を全力で走り戦ったからこそではなかったのか?
で、あるならば日本代表を、日本のサッカーを投げ捨てて後悔は無いのか?
同じように涙を流せるのか?

スタイルを変える事は恥ではない。
人はそれを進化とも呼ぶ。
ドルトムントの芝の上で、サポーターに対峙したときに
湧き上がり溢れた感情を表に出すサッカーをしてもいいじゃないか。
そうしてまた一つ脱皮した姿を見せることに抵抗があるのだろうか?

彼には彼なりの考えがあり
簡単に出した結論でない事は十分すぎるほどわかる。
しかし、与えられた才能には個人を超えた責任が伴う。
そのことを理解しているのだろうか?
自分を過小評価しすぎていないか?

日本のサッカーバブルを産んだ責任の一旦はあきらかにヒデにある
それをそのまま放置して負けたまま去っていいのか?
サッカーから与えられたものを
サッカーに返さないままピッチを離れていいのか?

彼は「みんな」が理解してくれているから「安心」だと言う。
果たして本当にそうなのだろうか?
どうしても僕はそうは思えない。
もっともっと伝えなければならない事があるはずだ。
それを多くの日本人はドイツのピッチで走るヒデを見て悟ったのではなかったか?
だとすれば彼の本当の仕事はこれからのはずだ。

できる人間がやらねばならない事をせずに辞める事を
「逃げる」と言う。
使命を果たさず引退する事は才能を与えた神に失礼だ。

引退撤回は何も珍しい事でも恥ずかしい事でもない。
愛して止まないサッカーから少し離れてみて
やっぱりその溢れる感情を抑えきれないなら
いつでも戻ってくればいい。

僕らは路地裏でボールを蹴るヒデは見たくもなんともない。
街はそこでもいいグリーンの芝の上を背筋を伸ばして駆け回る姿が見たいのだ。
そうして走る姿こそがファンや子供たちにサッカーの夢を見させるのだし
何より理想とする彼の想いを伝える一番の方法なのだから。

僕は彼のピッチ上のわがままはいくらでも許せるが
こういうわがままは許せないと思った。