説明板を見て歩く 思い出の写真

名所旧跡を訪ね説明板から由来など知ることが楽しみ。

説明板 慈眼大師、南光坊 天海大僧正について

2013-06-01 06:33:55 | 日記



所在地 滋賀県大津市 比叡山 
年月日 2013.5.12 日曜日 晴
明智光秀は、山崎の戦いで豊臣秀吉に破れて敗走中に、土民の竹槍で突かれて死んだと歴史書にある。だが実際は死なずに比叡山に落ちのび南光坊天海として歴史の舞台に舞い戻り、徳川家康の宗教的な政策を推し進め、秀忠・家光は勿論のこと家康まで、彼の意見に従ったので「黒衣の将軍」とまで呼ばれた人物になったという。天海と明智光秀は同じ人物であるという根拠は、比叡山の松禅寺に明智光秀寄進の石燈籠に寄進日が慶長20年(1615)の日付がある。この年代は歴史書ではすでに明智光秀は死んでいるのだが、これは光秀がこの年に生きていた証拠である。また日光の華厳の滝が見える平地を「明知平」と天海が名付けている。さらに天海が開いた日光の陽明門の脇の隋身の着物は2対とも明智家の家紋の桔梗紋をつけている。また、明智光秀の木像と御位牌のある寺が慈眼寺、天海も慈眼大師というのも、天海は過去の事を一切話さなかったので、天海の出自が明らかでないというのも納得できる。



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