辻邦生
『春の戴冠』全4巻
中公文庫
フィレンツェ・ルネサンスの画家サンドロ・ボッティチェッリの生涯とその時代、15世紀後半の約50年を描く長編小説。
あるフィレンツェ人の回想記の形を取る。
その男は、サンドロの幼馴染みで、生涯の友。その芸術の軌跡を幼少期からずっと間近で見ている。
男自身は、古典学者の道を進む。フィチーノの弟子・助手として、プラトン・アカデミアに列席し、哲学者・詩人たち、時には大ロレンツォ公本人とも交流する。シモネッタの個人教師も務める。
また、その思想動向をサンドロにつぶさに伝える。
父親は、裕福な羊毛輸出入商。その経営状況を側から見て、男は都市の経済の浮き沈みを実感する。
週末の晩餐の席では、父親の友人たちが集まって政治・外交・社会・芸術などの議論を交わす。男は意見を聞き、また述べる。
叔父は、事業の傍ら、都市の行政に携わり、メディチ派の長老の一人となる。
都市の大イベント開催時は、そのツテでVIP席を男に提供する。
後年には、当時の裏舞台を男に教える。
末娘は、泣き虫党の熱心な一員となり、「少年隊」として虚飾回収に参加する。
フィレンツェの上流界にこれだけの人的ネットワークを持つ男による回想記。その設定に感心する。
「レオ」をはじめとして、ルネサンスの画家の名前が多く登場する。ただし、三大巨匠のあと2人、ミケやラファエロは次の世代なのだろう、出てこない。
明礬の街ヴォルテッラの惨劇、これは堪らない。
疫病の流行期も登場するが、裕福な男の一族に罹患者が発生することはない。
この時代のフィレンツェの史実については、いくつかの書籍を通じて多少は承知していたが、こうした長編小説において、ひとりの男の人生のなかに、ひとつひとつ位置付けられていくと、そのひとつひとつに重みがあり、生きた出来事だったことを感じる。
本著は、1972〜76年に執筆され、1977年に新潮社より単行本が刊行。2008年に中公文庫として刊行。
私が購入したのは、1巻が2018年の3刷、2〜4巻が2016年の2刷。
最寄駅の書店で、普段見ない中公文庫の棚に新しそうな本書が並んでいるのを見て、むろさんさんのコメントを思い出し、衝動買い。無事に面白く読了。
後半から登場する男の遠縁の娘さん、さらなる活躍を期待していたところ、結婚によりフェードアウト。それがその時代なのかもしれない。
それにしても、あの長編小説をよく一気にお読みになりましたね。私は途中の桜草談義が延々と続くところで辟易としながらも我慢して読み続け、後半に入ったらサヴォナローラを軸にストーリーの展開が速くなったので、一気に読み終えたように覚えています。(私はボッティチェリに興味を持ってから1年後ぐらいに、新聞広告でこの本が出ることを知り、単行本を買って読みました。)
そしてこの本に出合ったことが、ルカ・ランドウッチの日記の日本語訳を読むことにつながったというのが、(この小説の内容よりも)これを読んだことによって得た最大の財産です。(ランドウッチの日記も買われましたよね。)春の戴冠の最後の部分(黒衣の女性たちがシニョリーア広場の処刑の場所にひざまずいて~)と日記の1498.5.26の記事を見比べると、小説家が史実のうち、どこを膨らませるのかが分ります。そして、私にとってはフィレンツェを訪れたら、まずこの処刑跡の円形記念碑の上に立つのが夢であり、そこを確認してからウフィッツイ美術館へと向かいました。春やヴィーナスの誕生、フォルテッツアなどを堪能し、最後はサンドロゆかりのオニサンティ教会(家のすぐ近く。ギルランダイオと競作のフレスコ画やサンドロの墓)というボッティチェリ漬けの1日で初めてのフィレンツェ訪問が過ぎていったことを思い出します(春の戴冠を読んでから2年で実現できました)。
実は私もつい最近、ルネサンス美術好きの人とのブログ上のやり取りで、この春の戴冠のことが話題となり、その関係で辻佐保子氏の著書を調べる機会がありました。そして、「たえず書く人 辻邦生と暮らして」という本(中央公論社の単行本。中公文庫にもあり)に春の戴冠の解説が出ていたので、すぐに地元の図書館で借りて読みました。これは辻邦生没後に出た辻邦生全集の解説用に奥様が書いたものであり、著者のすぐ近くにいた人しか知りえない裏話や美術史の専門家(中世ロマネスク美術)として、春の戴冠執筆にどう貢献していたかなどが分る本として、私にとっては新潮社「波」の辻―高階対談と同じくらい興味深く読みました。(波のコピーもお持ちですね。)文庫版なら多分お近くの図書館にもあると思いますので、ご一読することをお勧めします。少なくとも春の戴冠文庫版の東大小佐野先生の解説よりは面白いと思います。また、こちらは古い本なのでさがしにくいと思いますが、「作家の世界 辻邦生」番町書房1978年発行 も春の戴冠の解説が何編か掲載されています。辻邦生本人のことや著書について、(亡くなられるまで、その後21年あるので、全生涯の事績ではありませんが)詳しく知るには最適な本です。ご興味があれば図書館でさがしてみてください。
コメントありがとうございます。
購入時期は9月ですので、読了まで2ヶ月ほどかかりました。
『ランドウッチの日記』は購入してよかったです。通読してはいませんが、結構見ることがありますし、本小説を読んでいる時にも時折参照しました。
ご紹介いただいた辻佐保子氏の『たえず書く人 辻邦生と暮らして』は、中公文庫なので(品切中のようですが)読んでみようと思います。『作家の世界 辻邦生』番町書房も。
以前取得した新潮社「波」のコピーは、再読しようと思っていますが、いま行方不明。紙資料の整理は不得手なので、やはりこの有様。
いろいろ教えていただき、ありがとうございます。
ついでながら、上記本文でボッティチェリと同時代の三巨匠でミケランジェロとラファエロが登場しないということを書かれていたので、ボッティチェリとミケランジェロの関係で最近目にした本をご紹介しておきます。記録上でこの二人に関係するものは、私の知る範囲では1496年7月2日付けのミケランジェロからロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチあての手紙をボッティチェリ経由で送ったこと(ボッティチェリ51歳、ミケランジェロ21歳)、1504年1月25日にダヴィデ像設置場所の審議委員会に2人も参加していたことの2件だけです。ダヴィデ設置場所審議委員会の件は、以前このブログとコメントで壺屋めりの本と石鍋真澄の論文を話題にしていますが(2018.6.30の記事)、ボッティチェリ経由の手紙は、一度内容を読みたいと思っていました。この手紙の内容は、有名になる前のミケランジェロが眠れるキューピッドの大理石像を作り、それが古代彫刻と偽って売られ、後日もめごとになったという話に関係するものです。なお、ミケランジェロはこの件で才能が知られ、後の公式デビューにつながったようです。ボッティチェリが取り次ぎ役となったのは、サヴォナローラ政権のフィレンツェから逃亡していたピエルフランチェスコに手紙が確実に届くと思われていたためです。H.ホーンの著書ボッティチェリ(1908年発行。1980年のペーパーバックの再版を持っています)には内容が英語で出ていますが、日本語で読みたいと思っていたら、日本語訳の本がありました。ミケランジェロの手紙 杉浦民平訳 岩波1995年というものです。1510年9月5日の手紙の注釈を読むと、システィーナ礼拝堂の天井画の次には、ボッティチェリやペルジーノが描いた側壁にもミケランジェロが壁画を描く契約になっていたとのことで、教皇側の事情でこの契約が破棄され、今の絵が残ったことは幸いでした(契約が実行されていたら、ミケランジェロの傑作がもう一つ増えることになりますが)。ご興味があれば図書館でさがしてみてください。
なお、サヴォナローラの伝記である「サヴォナローラ イタリア・ルネサンスの政治と宗教」エンツォ・グアラッツイ著秋本典子訳中央公論社1987年発行 も上記2018.6.30の記事のコメントで話題にしていますが、これも「春の戴冠」の背景を知るためには役に立ちます。処刑の場面については、3人が処刑台の階段を登るところでこの伝記は終わりです。
コメントありがとうございます。
いろいろとご教示くださり、ありがとうございます。
まずは、前回教えてくださった辻佐保子氏の『たえず書く人 辻邦生と暮らして』を優先させます。あと、『作家の世界 辻邦生』番町書房。
2016年のボッティチェリ展図録は持っているので、そのコラムも読みます。
『ミケランジェロの手紙』やサヴォナローラの伝記までは余力がないですが、いつの日か機が熟することがあれば。
ミケランジェロがピエルフランチェスコ・デ・メディチあての手紙をボッティチェリ経由で送った、というのは初めて知りました。30の年齢差のあるミケランジェロとボッティチェリにも相応に繋がりがあるのですね。
ありがとうございます。