NHK BS1スペシャル
「そして街から人が消えた〜封鎖都市・ベネチア〜」
2020年4月19日放送
2月8日
ヴェネツィア・カーニバル2020が開幕。
18日間にわたってイベントが繰り広げられ、世界中から300万人を集める世界三大カーニバルの一つ。
特に今年のカーニバルについては、昨年11月の高潮被害 〜過去50年で最高(→歴代2位)の水位(→187cm)を記録、街の大部分が浸水、ヴェネツィアは半分死んだも同然と言われるほどの被害 〜からの復活を世界に宣言する、との関係者たちの強い思いが込められての開幕である。
このときのイタリア全土の状況。
感染者:3名
死亡者:0名
感染者は、中国・マカオからの旅行者に限られた。
2月9日
手漕ぎボートによる水上パレードの開催。
このとき、ヴェネツィアを含む州内の空港では体温チェックの開始など検査が強化された。
2月15日
マリア祭の開催。地元の若い女性12人が、中世の衣装を着て街を練り歩く。
かつてこの地を支配した元首が貧しい女性たちのために結婚の宴を行ったとの逸話をもとにするもの。
その数日前の選考会にて地元の70人余りの応募者から選ばれた12名。実行委員会では、ヴェネツィアの歴史を伝えることに加え、高潮の被害者を励ますなどの社会的活動も行う考えでいた。
このときのイタリア全土の状況。
感染者:3名
死亡者:0名
1週間前のカーニバル初日から変化なし。
中国からの航空機の乗入れ禁止措置といった水際作戦が功を奏していると考えられた。
14世紀から17世紀までに20回以上ヴェネツィアを襲ったペスト
・「ペストの医者」の仮面
目の部分にはガラスをはめ、口ばし当たる部分には薬草を詰める。
この仮面と長い杖と厚いコートによって、ペストにうつらないとされていた。

・ペスト感染者の隔離
感染者を「ラッザレット・ベッキオ島」(→15世紀から使用)に隔離することで、被害を最小限に抑える対策をとっていた。
2月21日
ヴェネツィアの街の雰囲気が変わり始める。ここ数日来、マスクをする人が観光客を中心に目立ち始め、不安の声も聞こえてくるようになる。
このときのイタリア全土の状況。
感染者:20名
死亡者:1名
イタリア初の死亡者。ヴェネツィアが属するヴェネト州内でも、初の感染者。感染経路が分からないケースが増えてきた。
2月22日
カーニバルのハイライトというべき仮面舞踏会が開催される。
このときのイタリア全土の状況。
感染者:77名
死亡者:2名
最初の感染者が入院した病院でのクラスター発生が確認された。
2月23日
サンマルコ広場にて、数万人の観客を集めた、仮面・仮装を披露するコンテストが開催される。
その日、突然、翌日からのカーニバルの中止が発表される。
残り会期は2日。1979年にカーニバルが180年ぶりに復活してからは、初めての中止であった。
このときのイタリア全土の状況。
感染者:146名
死亡者:3名
隣の州では、初の死亡者が出るほか、感染が急拡大していた。
2月24日
カーニバルの片付け作業が開始される。
街のいたるところで消毒作業が行われ、学校は休校、人が集まる集会・イベントが禁止される。
このときのイタリア全土の状況。
感染者:229名
死亡者:7名
3月8日
ヴェネツィアを含むイタリア北部の都市が封鎖される。
(→3/10には全国が対象となる。)
原則自宅から出ることが禁止され、違反者には罰金。食料品や医薬品以外の店は営業できなくなる。
ヴェネツィアのレデンドーレ教会にてミサが行われる(→ヴェネツィアの人口の4分の1の命を奪ったペストが1576年に収束したことの神への感謝として建てられた教会)。信者は、参列不可、テレビを通じて祈る。
このときのイタリア全土の状況。
感染者:7,375名
死亡者:366名
3月15日
窓に虹の絵が掲げられるようになる。Andrà Tutto Bene!
感染者男性からのビデオメッセージが公開される。
そして今
イタリア全土で死亡者20,000人超。
封鎖は5月まで続けられることとなっている。
ヴェネツィア市民なら誰でも知っている。
この街は何度も悲劇を乗り越えて、美しく強くなってきたことを。
空っぽのヴェネツィア。
頭や骨にしみるような静寂。
恐ろしい静寂です。
【追記:5/9地上波放送時の記事】