速水融著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006年3月刊)を読了する。
1918〜20年にかけて世界を襲ったスペイン・インフルエンザ。
全世界で2000〜4500万人の命を奪ったとされる。
著者は、日本各地のスペイン・インフルエンザ流行の推移・状況について、国の統計・報告資料のほか、各道府県の新聞記事を使用して記す。各地で起こる悲劇。
日本では、1918年秋から1919年春までと、1919年暮から1920年春までと、本格的流行が2回あり、約45万人の命が奪われた(外地(樺太、朝鮮、台湾。関東州はデータなし)を含めると約74万人)、と著者は推定する。
当時は、スペイン・インフルエンザの正体が分かっていない。だから、適切な予防、診断、治療は不可能であった。
行政や医学界は、予防ワクチンの注射を奨励した。しかし、そもそも病原体が分かっていないので、効果のあるものではなかった。
また、マスクの使用や、うがいと手洗いの励行、人混みを避けることなど、呼吸器系の感染症対策の基本について、繰り返し注意喚起を行った。
小中学校は、罹患者が出れば休校となった。
以下、当時の予防啓発ポスター。
内務省衛生局編『流行性感冒』(1922年3月)に掲載
(国立保健医療科学院電子図書館HP)
【1920年1月:標語小札】
【1920年2月頃:5種】
手當が早ければ直ぐ治る
恐るべし「ハヤリカゼ」の「バイキン」!
マスクをかけぬ命知らず!
「テバナシ」に「セキ」をされては堪らない
「ハヤリカゼ」はこんな事からうつる!
含嗽(うがひ)せよ朝な夕なに
豫防注射で宿のなくなる風乃神
【1920年12月頃:3種】
悪性感冒 病人は成るべく別の部屋に!
「マスク」と「うがひ」
汽車電車人の中では『マスク』せよ
外出の後は『ウガヒ』忘るな
豫防注射と日光消毒
経済・社会活動について、特に積極的な感染拡大防止抑制の対策はなされなかったようである。
軍隊は、例年どおり12月1日に新兵を迎え入れ、その数日後に多数の罹患者を出した。
公共インフラである交通機関や郵便・電信・電話は、休務者の多発により機能を低下させつつも、なんとかやりくりして、最悪の事態を回避した。
劇場や映画館等の興行の閉鎖は、関東州を除いて、なされなかった。
神仏に救いを求めて殺到する満員電車の乗客には、何の規制も加えられなかった。
そういうなか、医療関係者は疲弊し、罹患者・死亡者も多数出した。
甚大な人的被害を出して、2度の本格的流行が収束した。その後、新たな本格的流行は、何故かやってこなかった。
収束の3年後に関東大震災。約10.5万人の死亡者と、甚大な物的被害。
そして、昭和期の戦争。さらにも増しての甚大な人的被害と、さらにも増しての甚大な物的被害。
一方、スペイン・インフルエンザによっては、日本の景観は少しも変わらなかった。
こうして、スペイン・インフルエンザは忘れられる。長く。
与謝野晶子「感冒の床から」
1918年11月10日『横浜貿易新報』寄稿
今度の風邪は世界全体に流行って居るのだと云います。風邪までが交通機関の発達に伴れて世界的になりました。
この風邪の伝染性の急劇なのには実に驚かれます。私の宅などでも一人の子供が小学から伝染して来ると、家内全体が順々に伝染して仕舞いました。唯だ此夏備前の海岸へ行って居た二人の男の子だけがまだ今日まで煩わずに居るのは、海水浴の効験がこんなに著しいものかと感心されます。
東京でも大阪でもこの風邪から急性肺炎を起して死ぬ人の多いのは、新聞に死亡広告が殖えたのでも想像することが出来ます。文壇から俄に島村抱月さんを亡ったのも、この風邪の与えた大きな損害の一つです。
盗人を見てから縄を綯うと云うような日本人の便宜主義がこう云う場合にも目に附きます。どの幼稚園も、どの小学や女学校も生徒が七八分通り風邪に罹って仕舞って後に、漸く相談会などを開いて幾日かの休校を決しました。どの学校にも学校医と云う者がありながら、衛生上の予防や応急手段に就て不親切も甚だしいと思います。米騒動が起らねば物価暴騰の苦痛が有産階級に解らず、学生の凍死を見ねば非科学的な登山旅行の危険が教育界に解らないのと同じく、日本人に共通した目前主義や便宜主義の性癖の致す所だと思います。
米騒動の時には重立った都市で五人以上集まって歩くことを禁じました。伝染性の急劇な風邪の害は米騒動の一時的局部的の害とは異い、直ちに大多数の人間の健康と労働力とを奪うものです。政府はなぜ逸早くこの危険を防止する為に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、成るべく此際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同様の事を子供達に注意して居るのです。社会的施設に統一と徹底との欠けて居る為に、国民はどんなに多くの避らるべき、禍を避けずに居るか知れません。
今度の風邪は高度の熱を起し易く、熱を放任して置くと肺炎をも誘発しますから、解熱剤を服して熱の進向を頓挫させる必要があると云います。然るに大抵の町医師は薬価の関係から、最上の解熱剤であるミグレニンを初めピラミドンをも呑ませません。胃を害し易い和製のアスピリンを投薬するのが関の山です。一般の下層階級にあっては売薬の解熱剤を以て間に合せて居ります。こう云う状態ですから患者も早く癒らず、風邪の流行も一層烈しいのでは無いでしょうか。官公私の衛生機関と富豪とが協力して、ミグレニンやピラミドンを中流以下の患者に廉売するような応急手段が、米の廉売と同じ意味から行われたら宜しかろうと思います。平等はルッソオに始まったとは限らず、孔子も『貧しきを憂いず、均しからざるを憂う』と云い、列子も『均しきは天下の至理なり』と云いました。同じ時に団体生活を共にして居る人間でありながら、貧民であると云う物質的の理由だけで、最も有効な第一位の解熱剤を服すことが出来ず他の人よりも余計に苦しみ、余計に危険を感じると云う事は、今日の新しい倫理意識に考えて確に不合理であると思います。
(以降は、大戦集結に向けての意見。省略)