東京でカラヴァッジョ 日記

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長崎の記憶

2020年08月09日 | その他
   当時、小学校低学年であった私は、2歳年上の兄とともに、父方の伯父の家に預けられていた。
 
   母が体調を崩して入院することになり、まだ幼い妹は母の元に残り、私たち2人が預けられることとなったのである。
   父は、数年前に病死していた。父の思い出といえば、電車に長く乗って、入院していた軍病院に見舞いに1度行ったことくらい。今となっては顔も覚えていない。
 
   伯父さんの家でひどい目にあったというわけではないが、やはり自分の子とは取り扱いが違う。私たちより年上のいとこには靴や靴下を与えていたが、私たちは藁草履で、冬は本当に辛かった。
   おやつと言えば、芋飴であった。サツマイモを蒸して天井に吊るす。固かった。
   伯父さんは働き者ではあったが、酒飲みであった。
   魚屋に買い物に行った。店に並んでいたが、周りの大人たちは我先きにと先を争い、追い出される。売り切れ。夜遅く何も持たずに帰るのは、辛かった。
 
   8月9日。登校日であったが、警報が発令がされたため、公園に集まることとなった。仲間と遊びながら、先生の到着を待っていた。突然の衝撃。落ちるのを見た。お日様が落ちたみたいであった。絵に描かれた太陽のように見えた。上級生が「伏せろ」と叫んだ。木の根っこのところで伏せて、手で鼻や口を塞いだ。紙の燃えかすのようなものが飛んできた。空が真っ黒になった。夜のようになった。太陽が月のように見えた。先生が来ないので、家に戻ることとした。誰もいなかった。暗かった。暗いし、さびしいし、で外に出て立っていた。
 
   その後、進駐軍がやってきた。その頃、兄がハジの木の樹液にかぶれ、顔半分がひどく腫れ上がっていた。通訳を通じて爆弾のせいかと質問された、と後で聞いた。
 
   伯父さん家には約2年いた。そして母の元に戻った。


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