関東大震災100年記念 令和5年度秋季特別展
子どもたちの関東大震災
横川尋常小学校四年女子二組の文集より
2023月8月29日〜11月26日
東京都復興記念館
小学生による震災作文は、関東大震災の重要な情報源・研究資料となっているようだ。
当時、被災地の小学校では震災作文集の制作が推奨されていたのか、出版書籍以外にも、各地で文集が残っているようだ。
本展では、東京都復興記念館が所蔵する横川尋常小学校の震災作文が紹介される。
横川尋常小学校(現:横川小学校)は、東京都復興記念館のある横網町公園から約1.5kmの墨田区東駒形にある。
関東大震災では、校舎のみならず、学区内のほとんどが火災で焼けてしまったという、被害の甚大な地域にあった。
その文集は、震災から半年後の1924年3月にまとめられたもので、ほぼ全学年の分を館は開館当時から収蔵しているという。
そのなかで、四年女子二組の3名の作文が取り上げられる。
被災時や避難の状況がよくわかる、ということで選んだという。
【余記】
1923年9月1日は土曜日。
子どもたちにとっては、新学期の始まる日。
大人たちにとっては、当時の土曜日は半ドンではなく(除く官庁)、平日と同様の勤務。
ただ、その日は月に2回設けられていた動力用電気の休電日にあたり、工場の多くはそれに合わせて休日としていたという。
前日の8月31日は、大正天皇の誕生日である天長節で休日。
つまり、貴重な3連休の2日目にあたる工場労働者も少なくなかった。
そのためか、それとも昼時には勤務先から自宅に戻る人も多かったのか、父親も含めて家族で昼ごはん、というところで地震におそわれる。
一人は両親と離ればなれになりながらも妹と女中とで上野公園へ(父親とは翌日上野公園で、母親とは巣鴨で再会)、一人は学区外のおそらく親戚か知り合いの家へ、一人は隣接区へ、避難している。
加えて、6学級(一年女子、二年女子二組、三年男子、四年女子二組、五年女子、六年男子一組)の全344編(1学級平均50人半ば)を調査対象として、主に何が書かれているかについて、グラフ化して紹介している。
全体では、被災・避難が約8割と大半。次に、バラック生活、死者・行方不明者、救難・救護などが続く。流言飛語に関することや、震災には触れていないものもあるという。
死者・行方不明者については、付随的に書かれたものを含めると、約1割の作文が触れているという。
これらはパネル展示であるが、パネル展示内容すべてを収録したカラーの冊子が無料配布されている。
あわせて、横川尋常小学校の震災作文集の実物が展示される。
館が収蔵する14冊すべての表紙を見ることができる。
・一年男子組、一年女子組
・二年男子一組、二年女子一組?
・三年、三年女子組?
・四年男子一組、四年男子二組?
・四年女子一組、四年女子二組
・五年男子一組?、五年女子組?
・六年男子組、六年女子組
上記文集とは別に書かれたという6年生の作文集も展示される。
当時の人々の震災像、その地域の震災実態を知る貴重な資料となりうる小学生の作文集。
物が物だけに、経年劣化も激しく、その保存は課題となっているだろう。
本展で取り上げた作文集は、昨年度修補が完了したとのこと。
それにより作文集の全貌が明らかとなり、本展の開催に至ったのだという。