鰹節が初めて登場した最古の資料は 室町時代(1513年)のトカラ列島 臥蛇島より領主種子島氏にかつお節を献上したと記録のある
種子島家譜 しかし現在の鰹節の基本製法である焙乾法が確立されたのはこれより約200年後の江戸時代中期
鰹節製造の重要なポイントである鰹漁法 間欠焙乾法カビ付け法の開発とその伝播は土佐・薩摩を中心に拡がった この鰹節の製法開発と
全国への伝播は 活躍した場所 時代は異なるが江戸初期〜後期にかけ 初代甚太郎・二代目甚太郎・森弥兵衛・土佐の与市ら 紀州印南浦の
出身者による功績が大きい
鰹の漁法と熊野節の製法を土佐国清水浦に伝えたのが 紀州印南浦のカツオ漁民 角屋甚太郎親子とその一統といわれちょる
土佐藩は鰹節を藩の貿易品にしようと考え 熊野節の製法を積極的に取り入れた
甚太郎は焙乾(燻乾)の創始者 甚太郎は元禄時代(1688年)前後から安永(1780年)ごろまで 煮熟・焙乾・カビ付けの草案を
作るなどの功績を残し 改良したものは改良土佐節と呼ばれた
それまではわらを用いての火乾 ナラ・クヌギなどの薪を使い 煙で燻す焙乾法が考案された また従来の土佐節はカビが生えやすい欠点が
ありカビ臭さが評判を落とていた 土佐節に力を入れてきた土佐藩はすぐに改善にあたる
とられた対策の一つ目は 焙乾を徹底し日乾を併用すること
二つ目は悪カビ退治のために 逆にカビを利用すること
つまり日乾した節をコモ(藁でできたゴザのようなもの)で包み 一面に良質な鰹節カビを付着させて悪カビの発生を防ぐというもの
その後改良土佐節は鰹節の大消費地・集散地(生産地から食物が集まる土地)だった大坂で主力商品となっていきた
その後色々な改善と創意工夫が実り今に至る 鰹節は日本人の英知のたまものであり 和食の根幹でもある 大切にしていき後世に
伝えべき文化でもある 昨夜湯豆腐を食しながら 鰹節へも思いをはせた
ちなみに今日はおだしの日である
以上の加工方法により、土佐から大坂、さらに江戸までの長い輸送にも耐えられる改良土佐節が完成。この製法は秘伝とされ、甚太郎の故郷・紀州熊野に伝えられた程度で、長く他国へは公開されませんでした。