昨日はブログ書かんで申し訳ありませんでした ヾ(_ _*) スンマセン 言い訳するんなら 仲の良いメーカー
さんと急激な円安と 輸入先のやはり急激なインフレによる価格高騰の対応を 話し合っておりました
そ~でなくともフライフィッシャーの枯渇で 息絶え絶えの店とメーカー・・・・・・
そんぢゃぁ もうや~めた!!!! と店が無くなると フライフック買うのも フロータント買うのも
みんな ITでとなる 毛先の折れエルクや傷んだマテリアル ITだと文句も言えない
文句でもゆ~たら 即クレ~マ~ちゅ~別枠に加えられる 存続出来るかどうかはお客さんにかかっちょります
まぁそんなことはさておき
昨日はドイツ統一の日
1989年11月9日 社会主義統一党中央委員会のギュンター・シャボウスキー政治局員は 記者会見の際
さして重要でもない様子で ドイツ民主共和国はただちに出入国を自由化すると述べた その後すぐに
数千人の東ドイツ市民が国境検問所に押し寄せて 建設から28年壁は崩壊した
1990年10月3日午前0時 ドイツ国歌が演奏される中 ベルリンの帝国議会議事堂の前に 黒赤金の
ドイツ国旗が掲揚 ベルリン市街では数十万人が祝い ドイツの各都市でもドイツ再統一を祝った
第二次世界大戦でナチス・ドイツが敗れたあと ドイツはアメリカ・フランス・イギリス・ソ連の
連合国4ヶ国によって占領 1949年までの4年間 連合国はドイツの非ナチス化 民主化を目的とし
それぞれの占領地を管 当時の首都ベルリンも4ヶ国によって分割占領され アメリカ・フランス・イギリスの
占領地が西ベルリンに ソ連が占領した地域が東ベルリンになる また西ベルリンは東ドイツ内の飛び地となる
やがてドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立 それに対抗するように東側もドイツ民主共和国(東ドイツ)の
建国を宣言 ドイツは東西に分断され資本主義の西ドイツと 社会主義の東ドイツは別々の道を歩むことに
なる
東西ドイツの分断は西側にアメリカ 東側にソ連という大国が控えていることもあり 世界を二分する前線と
なった 中でもベルリンは東ドイツ内にある東西対立の最前線として 当時最も危険な地域であったと認識され
ていた
そして旧西ドイツは 旧東ドイツの経済負担を背負い尻ぬぐいで 経済的ダメージを受けた だがドイツは
不死鳥の如く蘇った ソ連はロシアに変わったが 形だけで旧共産主義のまんまである 民主主義国家では
ありえないプーチンの長き政権 共産主義から脱却し 真の民主主義国家になるにはかなりの時間がかかる
民主主義国家になれば NATOを恐れることなど無くなる NATOに脅威を感じることは共産主義だからと思う