時代が進むにつれ 多くの現代人の記憶から薄れつつある 日本人の忠義の心意気
そう本日は赤穂浪士討ち入りの日なんぢゃ 忠義ちゅ~考え方は武士道のなせる業 合理主義的な西欧諸国には全く無い世界
んなら なして12月14日なんか? なんでこの日に討ち入ることになったのか?
答えは赤穂浪士の一人横川勘平による情報であった
それは達筆で有名だった横川勘平に 吉良邸に出入りする寺僧より 吉良上野介が12月の14日に年忘れの茶会を催すことになり 茶会の招待状の代筆を頼まれた
ことで発覚した
くしくも14日は亡君・浅野内匠頭の月命日であり 浪士たちは因縁を感じたかも知れん
そして1702年12月14日に討ち入りし本懐を果たす
幕府では大石以下の行為は
「公儀を恐れざるの段 重々不届き」
であるとして切腹を命じ 翌1703年2月4日全員が死についた 吉良邸に討ち入ったのは47人ともいわれるが このとき死んだのは46人(寺坂信行を除く)
である 彼らは死後義士・義人として世にたたえられた
現在は毎年12月14日前後に 東京都港区高輪の泉岳寺や兵庫県明石市の大石神社・花岳寺などで義士たちの供養として義士祭が行われる