入り口を入ると遠くに祭壇があり、天井には素敵な模様のアーチがめぐらされて、赤い絨毯の両側に椅子が並べられいました。
両端の窓はステンドグラス。それを外から見るとこんな風↓
上の祭壇を外から見ると↓・・・まったく雰囲気が違いますね。
=説明文より=
信徒達が奉仕と犠牲の結晶としてひとつひとつ積み上げた煉瓦造りの聖堂は大正9年(1920年)ドロ神父の指導で完成。簡素な構成が煉瓦の美しさを際立たせ、深い奥行きの内部はステンドグラスが印象的。
その奥行きは祭壇との中間付近で振り返った時のこの写真で↓
ちょうどここを出ようと表に出た時鐘が鳴り出しました。正午でした。この鐘楼は隠れキリシタンの帰依を願って設置されたものだそうです。遠くまで響くカランカラン・・ガランガランだったかな?
ではお別れに全体写真を
両端の窓はステンドグラス。それを外から見るとこんな風↓
上の祭壇を外から見ると↓・・・まったく雰囲気が違いますね。
=説明文より=
信徒達が奉仕と犠牲の結晶としてひとつひとつ積み上げた煉瓦造りの聖堂は大正9年(1920年)ドロ神父の指導で完成。簡素な構成が煉瓦の美しさを際立たせ、深い奥行きの内部はステンドグラスが印象的。
その奥行きは祭壇との中間付近で振り返った時のこの写真で↓
ちょうどここを出ようと表に出た時鐘が鳴り出しました。正午でした。この鐘楼は隠れキリシタンの帰依を願って設置されたものだそうです。遠くまで響くカランカラン・・ガランガランだったかな?
ではお別れに全体写真を
長崎、行ってみたい場所です^^
呼ばれているとか
呼ばれていた、とか聞いたことがあります
1867年ド・ロ神父様が派遣され
明治30年に敷地を造成したが
実際に完成したのは1920年
資金難のためだったそうです
天井はリブヴォールトという形式です
枯松神社には禁教時代の宣教師
「サンジワンさま」がまつられています
11月には慰霊祭が行なわれているそうです
ド・ロ神父の時代は教会の鐘も地域の方々の生活の一部として親しまれていたんですね。
今は「うるさい」といわれて、ほとんど聞けなくなりました。
ちなみに教会の鐘には(全部かわかりませんが)名前がついています。
東京カテドラルの関口会館(信徒会館)には昔使われていた鐘が展示されていますが「私は~といいます」と自己紹介しています(笑)
機会があったらぜひ長崎へいらして下さい。見所いっぱい。ついこの前も友人たちを案内して・・・みなさん足が痛くなったみたいで^^;
どうぞ足腰を鍛えておいてください。坂の町ですから
unaさん
やっぱり詳しいですね。天井の形式もわかりました。
バスチャン屋敷後っていうのが案内図にありましたが、この方はサンジワン神父を師と仰いでいた日本人伝導しだそう。江戸時代その枯松神社に隠れキリシタンが集まりオラショを捧げたそうですね。
オラショといえば県北部の生月島も有名です。
アクアさん
鐘に名前・・・微笑ましいですね。
ところで浦上天主堂の鐘は誰もうるさいとは言わないみたいですね。早朝ちゃんと大きな音で鳴っているそうです。近くでなくて良かった