2014年1月は旅からの帰還から始まる。
冒頭から何だが魚関係では無い。
途中の立ち寄りもあったが九州へ帰省していた。
1/3のUターンで乗っていた「のぞみ8号」が有楽町で発生した火災により大幅に遅延した。
川のシーズンでは無いので、年初めに行った魚関係のことといえば、ブログの更新である。
滞っていた前年の遠征記事や定例となっている略歴の作成。
こんな作業から2014年は始まる。
前年から耳にはしていたが、沖縄でナンヨウボウズハゼ属の新顔が見つかる。
新種記載1種、そして沖縄初記録1種である。
新種のハゼの名は、ニライカナイボウズハゼ。
遥か東方にある異界よい、年初に神がやってきて豊穣をもたらす・・・
沖縄の理想郷伝説に由来する名前を持つハゼの登場である。
素晴らしい名前を持つ新種であるが、写真を見る限り僕はコンテリのほうが好きだな。(笑)
初記録のトラフボウズハゼは、中国南部の固有種とされていた種である。
ボウズハゼ類の常として、海に降った仔魚が海流に乗って拡散し沖縄へたどり着いたのだろう。
ただ、どういう海流に乗ったのかは良く解らない。
僕にとって停滞期といえる2013年を過ぎ、年初より今後に期待するようなニュースではあった。
2月の後半、お世話になっている「魚の会」の講演会を聞きに行く。
小田原の少し先の箱根方面であるが、定期的に顔を出しているのですっかりお馴染みである。
研究会へ参加するのもそうだが、こういう機会は交流と人脈を広げる機会と捉えている。
僕の活動エリアはある時期より関西方面へ広がった。
なので、地元神奈川(といっても近くは無い)にもそういう拠点を造ろうとしたのである。
3月の魚類自然史研究会に参加するために大阪へ行く。
会場は大阪工業大学の大宮キャンパスである。
個人的な事情により、直前で参加が危ぶまれる状況となったが何とかなった。
15階の会場で行われた懇親会では、淀川の素晴らしい夕景を眺める。
暮れゆく都会の夜景とワンドの光景は、なかなか美しかった。
いち個人ながら、生き物と自然に関わってきて良かった・・・そう思った。
翌日はワンドのツアーにも参加。
大都会大阪の都市河川にこんな素晴らしい場所があるのに驚いた。
なかなか楽しかったが、帰り際にデジカメを落として破損するという失態を演じる、
陸上撮影用で、コンパクト機の置き換えにと考えていたミラーレス機だ。
ヤクオフで安く入手したものだが、デジカメは相棒、落とすなんて論外である。
4月の半ば、企画展「コメ展」のトークイベントにネイチャーフォトグラファー・内山りゅうさんが出演すると聞き、参加する事にする。
あまり馴染みの無い六本木の東京ミッドタウンが会場だ。
ハゼとは直接は関係ないが、内山さんのイベントなので参加した。
僕も水中カメラマンの端くれ、内山さんは心の師である。
時間ギリギリに到着し席が一杯に近かったが、出演待機中の内山さんと隣の席になる。
嬉しいサプライズである。
4月も終わろうかという頃、久しぶりに内地の川へ行く。
僕の活動が採集から撮影へとシフトしたので、内地の川へ行く機会はずいぶんと減った。
もちろん、採集の楽しさが変わった訳ではないし、お誘いいただければ内地の川にも行く。
川に行く回数は減ったが、パソコン作業は増えた。
言ってみればキャパの問題でもあるかな。
久しぶりにウェダーを履き、カメラを網に持ち替える。
目標のヤマトヌマエビは捕れなかったが、川遊びを楽しんだ。
今年に関しては、仕事の関係でGWの八重山遠征は断念していた。
なんとかなりそうな雲行きになったので、取りあえず調べてみたら航空券は空きがあった。
しかし思わぬ問題が発生する、レンタカーに空きが無いのだ。
いちおう路線バスは走っているが、有効な公共交通機関が皆無な西表ではレンタカーは必須である。
各社当たってみるが、もしかしたら当日にキャンセルがあるかも・・・というレベルである。
最後にダメ元で当たってみたツテが見事にヒットし、奇跡的にレンタカーを確保する。(感謝)
こうして、GWの八重山遠征が実現する。
シュリンパーの夜、高速船、民宿、初枝、そして西表の自然と川のハゼ。
いつもと変わらない遠征の楽しさがそこにあった。
目標なんて無くても良いのかもしれない・・・・ふとそんな気がした。
5月にも魚の会の講演会があり、時間ができたので参加した。
こちらもだいぶ定例行事となりつつある。
同じものに興味を持つ人たちとの交流は、どんな状況でも楽しいものである。
5月の末になり、突然耳の聞こえが悪くなる。
医師の所見は突発性難聴とのことだった。
全く聞こえない訳では無く、日常生活に大きな支障はない。
ただ、突発性難聴は初期治療が全てで、数か月後に治療をしても効果が無い・・・
との医師の意見に従い、短期入院による集中治療を受ける。
入院の最中ではあったが、「銚子川四季のスライドショー」のお披露目公演会に行くため外出許可を得る。
東京の三重テラスが会場である。
お目当ては、もちろん内山りゅうさんの講演だ。(追っかけか?笑)
この入院は短期間ではあったが、自分に心境の変化をもたらした。
それから思いがけない方からお見舞いいただいた。
人さまの好意に感謝しつつ、人と関りあう事のありがたさを痛感する。
7月に入り、1冊の書籍が届く。
台湾の有志が造った川のハゼの図鑑・鰕虎圖典 Goby Pediaである。
著者のおひとりよりメールを頂き、ハゼの写真を提供させていただいた。
その図鑑が完成したのだ。
中国のヨシノボリなども多数取り上げられており、なかなかの出来栄えだ。
その1ページに協力できた事を嬉しく思っている。
2014年のゴリ研究会は少し遅めの8月、藤沢にある日本大学生物資源科学部での開催となる。
つまり県内の開催で旅をする必要は無い。
とはいえ、懇親会など夜の部が楽しみなので、宿を取ることにする。
手際が悪く、取れたのはカプセルホテルであった。
とても楽しかったが、業務多忙な時期でもあり、詳細な記事を書いていない。
そして画像も全く整理していないという状況である。
藤沢の夜は楽しかった・・・と書いておこう。(笑)
9月の3連休は、久しぶりに静岡方面の川へ行く。
今回は水中撮影の装備は持たず、川遊びだけとした。
ゴクラクハゼって、けっこう綺麗なハゼだったんだ・・・と改めて実感する。
頬の青い斑点がハッキリしたルリヨシノボリ、カッコいいクロヨシノボリなどに遭遇する。
内地の川を存分に楽しんだ。
10月最初の3連休は沖縄本島遠征の計画があった。
特に目標を設定しなかったGWの八重山遠征と異なり、明確な目標を設定した。
残念ながら、台風19号により、遠征は中止。
楽しみにしていたプール付リゾートホテルも幻となる。
ガラに無い事はするなとの天の導きですかね?
10月の末から11月の連休にかけて、八重山へ行く。
初日は午後半休とし、半日を移動に当て、石垣島に一泊というのが最近のトレンドだ。
初日に寄ったシュリンパーでは、写真家のMさんとお会いする事ができた。
以前からネットでその存在を知ってはいたが、実際にお会いするのは初めてである。
遅くまで生物談義が続く、楽しい夜となった。
しかし、西表島は約40年ぶりという渇水のさなかで、成果は貧弱なものとなった。
それでも、西表の川の奥地まで、もはや探検とでも言うレベルの探索を決行する。
想像していていたほど命の危険は感じなかったが、かなりハードな1日であった。
11月の半ばに、日本魚類学会の年会があった。
会場は、魚の会でもお馴染みの神奈川県立生命の星・地球博物館である。
2日間に渡り、魚類の研究者や大学関係者による研究発表が行われる。
僕が魚類学会の会員となったのは、年会が目当てで、首都圏近郊で開催された今回に狙いを定めていた。
裏の目標は、日本で最も高名なハゼの研究者と遭遇すること。
早くから出席されるとのウワサがあったのである。
残念ながら目標は達成できなかったが、濃密な2日間を過ごすことができた。
10月に行けなかった沖縄本島へ11月の後半に行く。
結果として、目標を明確にした唯一の遠征となった。
まだ遭遇していない、新種を含む小型ボウズハゼ類の撮影である。
3日間の遠征で川三昧したのだが、遭遇できなかった。
最近西表島であまり遭遇できないコンテリボウズハゼを久しぶりに撮影。
目標達成は・・・成らず。
とはいえ、撮影に集中できた楽しい遠征であった。
この遠征で、川で水中撮影をしていた人と出会う。
後にネットにアップされた写真を拝見したが、素晴らしいデキである。
やはり、人と出会い、人と関ることから得られる刺激は大きいものがある。
11月の沖縄本島遠征を持って、年内のお魚系の活動は終了となった。
2014年は、多忙な業務に追われ、あまり活動の無かった1年であった。
それでも、研究会などのイベントでの交流を楽しむ事ができた。
研究者や学生さんなど、だいぶ人脈が広がった。
個人運営の淡水魚系のサイトでの交流は縮小していく傾向にある。
情報発信はブログ中心だが、交流は個人運営の掲示板類からSNSへと移行した。
個人サイトである限り、サイト運営者の考えや方針は尊重しなければならない。
その点SNSであれば基本的に立場は対等、自由に交流が可能である。
ネットからリアルへ、交流の場が変化したことにより、ハンドル名より実名を名乗る事が多くなった。
これには、実名主義のフェイスブックを本格的に使い始めた事も背景にある。
あまり積極的ではないものの、メールアドレスやブログ名称の変更も検討する事があるかもしれない。
gooのメールシステムがリニューアルされ、移行作業の過程で気が付いた事がある。
このアドレスは2005年に取得したという事である。
ヨシノボリに興味を持った頃、ヨシノボリとボウズハゼに特化したWebサイトを見つけた。
T氏のサイトの掲示板にデビューするために用意したのが、「かっちゃん」のハンドル名とgooのメールアドレスであった。
つまり、僕のハゼ・ライフも10年になろうとしているのである。
全てのものは「変化」する。
当然、僕自身も僕の気持も例外では無い。
目標を明確にし、それを実現するためにはどうすれば良いか?
それだけを考え、まっすぐに行動する。
そういう状況も変わりつつある。
でも、それを憂う必要は無い。
時間は止まらないし、同じままでいる事などできるはずはないのだから。
たとえ、あの頃の自分に戻る事ができないとしても、変わらないものがある。
それは、胸の内で灯のように静かに燃え続けているのだ。
内地の川に行かなくなり、網を持つこともすごく少なくなった。
かっちゃんは変わったと思う人もいるかもしれない。
でもご心配なく。
僕は1度本気になった事をずっと忘れない人なのです。
行動は変化したかもしれないけど、内面は何も変わっていないのです。
2015年もフィールドで、研究会で、そしてネットの世界でお目にかかりましょう。
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冒頭から何だが魚関係では無い。
途中の立ち寄りもあったが九州へ帰省していた。
1/3のUターンで乗っていた「のぞみ8号」が有楽町で発生した火災により大幅に遅延した。
川のシーズンでは無いので、年初めに行った魚関係のことといえば、ブログの更新である。
滞っていた前年の遠征記事や定例となっている略歴の作成。
こんな作業から2014年は始まる。
前年から耳にはしていたが、沖縄でナンヨウボウズハゼ属の新顔が見つかる。
新種記載1種、そして沖縄初記録1種である。
新種のハゼの名は、ニライカナイボウズハゼ。
遥か東方にある異界よい、年初に神がやってきて豊穣をもたらす・・・
沖縄の理想郷伝説に由来する名前を持つハゼの登場である。
素晴らしい名前を持つ新種であるが、写真を見る限り僕はコンテリのほうが好きだな。(笑)
初記録のトラフボウズハゼは、中国南部の固有種とされていた種である。
ボウズハゼ類の常として、海に降った仔魚が海流に乗って拡散し沖縄へたどり着いたのだろう。
ただ、どういう海流に乗ったのかは良く解らない。
僕にとって停滞期といえる2013年を過ぎ、年初より今後に期待するようなニュースではあった。
2月の後半、お世話になっている「魚の会」の講演会を聞きに行く。
小田原の少し先の箱根方面であるが、定期的に顔を出しているのですっかりお馴染みである。
研究会へ参加するのもそうだが、こういう機会は交流と人脈を広げる機会と捉えている。
僕の活動エリアはある時期より関西方面へ広がった。
なので、地元神奈川(といっても近くは無い)にもそういう拠点を造ろうとしたのである。
3月の魚類自然史研究会に参加するために大阪へ行く。
会場は大阪工業大学の大宮キャンパスである。
個人的な事情により、直前で参加が危ぶまれる状況となったが何とかなった。
15階の会場で行われた懇親会では、淀川の素晴らしい夕景を眺める。
暮れゆく都会の夜景とワンドの光景は、なかなか美しかった。
いち個人ながら、生き物と自然に関わってきて良かった・・・そう思った。
翌日はワンドのツアーにも参加。
大都会大阪の都市河川にこんな素晴らしい場所があるのに驚いた。
なかなか楽しかったが、帰り際にデジカメを落として破損するという失態を演じる、
陸上撮影用で、コンパクト機の置き換えにと考えていたミラーレス機だ。
ヤクオフで安く入手したものだが、デジカメは相棒、落とすなんて論外である。
4月の半ば、企画展「コメ展」のトークイベントにネイチャーフォトグラファー・内山りゅうさんが出演すると聞き、参加する事にする。
あまり馴染みの無い六本木の東京ミッドタウンが会場だ。
ハゼとは直接は関係ないが、内山さんのイベントなので参加した。
僕も水中カメラマンの端くれ、内山さんは心の師である。
時間ギリギリに到着し席が一杯に近かったが、出演待機中の内山さんと隣の席になる。
嬉しいサプライズである。
4月も終わろうかという頃、久しぶりに内地の川へ行く。
僕の活動が採集から撮影へとシフトしたので、内地の川へ行く機会はずいぶんと減った。
もちろん、採集の楽しさが変わった訳ではないし、お誘いいただければ内地の川にも行く。
川に行く回数は減ったが、パソコン作業は増えた。
言ってみればキャパの問題でもあるかな。
久しぶりにウェダーを履き、カメラを網に持ち替える。
目標のヤマトヌマエビは捕れなかったが、川遊びを楽しんだ。
今年に関しては、仕事の関係でGWの八重山遠征は断念していた。
なんとかなりそうな雲行きになったので、取りあえず調べてみたら航空券は空きがあった。
しかし思わぬ問題が発生する、レンタカーに空きが無いのだ。
いちおう路線バスは走っているが、有効な公共交通機関が皆無な西表ではレンタカーは必須である。
各社当たってみるが、もしかしたら当日にキャンセルがあるかも・・・というレベルである。
最後にダメ元で当たってみたツテが見事にヒットし、奇跡的にレンタカーを確保する。(感謝)
こうして、GWの八重山遠征が実現する。
シュリンパーの夜、高速船、民宿、初枝、そして西表の自然と川のハゼ。
いつもと変わらない遠征の楽しさがそこにあった。
目標なんて無くても良いのかもしれない・・・・ふとそんな気がした。
5月にも魚の会の講演会があり、時間ができたので参加した。
こちらもだいぶ定例行事となりつつある。
同じものに興味を持つ人たちとの交流は、どんな状況でも楽しいものである。
5月の末になり、突然耳の聞こえが悪くなる。
医師の所見は突発性難聴とのことだった。
全く聞こえない訳では無く、日常生活に大きな支障はない。
ただ、突発性難聴は初期治療が全てで、数か月後に治療をしても効果が無い・・・
との医師の意見に従い、短期入院による集中治療を受ける。
入院の最中ではあったが、「銚子川四季のスライドショー」のお披露目公演会に行くため外出許可を得る。
東京の三重テラスが会場である。
お目当ては、もちろん内山りゅうさんの講演だ。(追っかけか?笑)
この入院は短期間ではあったが、自分に心境の変化をもたらした。
それから思いがけない方からお見舞いいただいた。
人さまの好意に感謝しつつ、人と関りあう事のありがたさを痛感する。
7月に入り、1冊の書籍が届く。
台湾の有志が造った川のハゼの図鑑・鰕虎圖典 Goby Pediaである。
著者のおひとりよりメールを頂き、ハゼの写真を提供させていただいた。
その図鑑が完成したのだ。
中国のヨシノボリなども多数取り上げられており、なかなかの出来栄えだ。
その1ページに協力できた事を嬉しく思っている。
2014年のゴリ研究会は少し遅めの8月、藤沢にある日本大学生物資源科学部での開催となる。
つまり県内の開催で旅をする必要は無い。
とはいえ、懇親会など夜の部が楽しみなので、宿を取ることにする。
手際が悪く、取れたのはカプセルホテルであった。
とても楽しかったが、業務多忙な時期でもあり、詳細な記事を書いていない。
そして画像も全く整理していないという状況である。
藤沢の夜は楽しかった・・・と書いておこう。(笑)
9月の3連休は、久しぶりに静岡方面の川へ行く。
今回は水中撮影の装備は持たず、川遊びだけとした。
ゴクラクハゼって、けっこう綺麗なハゼだったんだ・・・と改めて実感する。
頬の青い斑点がハッキリしたルリヨシノボリ、カッコいいクロヨシノボリなどに遭遇する。
内地の川を存分に楽しんだ。
10月最初の3連休は沖縄本島遠征の計画があった。
特に目標を設定しなかったGWの八重山遠征と異なり、明確な目標を設定した。
残念ながら、台風19号により、遠征は中止。
楽しみにしていたプール付リゾートホテルも幻となる。
ガラに無い事はするなとの天の導きですかね?
10月の末から11月の連休にかけて、八重山へ行く。
初日は午後半休とし、半日を移動に当て、石垣島に一泊というのが最近のトレンドだ。
初日に寄ったシュリンパーでは、写真家のMさんとお会いする事ができた。
以前からネットでその存在を知ってはいたが、実際にお会いするのは初めてである。
遅くまで生物談義が続く、楽しい夜となった。
しかし、西表島は約40年ぶりという渇水のさなかで、成果は貧弱なものとなった。
それでも、西表の川の奥地まで、もはや探検とでも言うレベルの探索を決行する。
想像していていたほど命の危険は感じなかったが、かなりハードな1日であった。
11月の半ばに、日本魚類学会の年会があった。
会場は、魚の会でもお馴染みの神奈川県立生命の星・地球博物館である。
2日間に渡り、魚類の研究者や大学関係者による研究発表が行われる。
僕が魚類学会の会員となったのは、年会が目当てで、首都圏近郊で開催された今回に狙いを定めていた。
裏の目標は、日本で最も高名なハゼの研究者と遭遇すること。
早くから出席されるとのウワサがあったのである。
残念ながら目標は達成できなかったが、濃密な2日間を過ごすことができた。
10月に行けなかった沖縄本島へ11月の後半に行く。
結果として、目標を明確にした唯一の遠征となった。
まだ遭遇していない、新種を含む小型ボウズハゼ類の撮影である。
3日間の遠征で川三昧したのだが、遭遇できなかった。
最近西表島であまり遭遇できないコンテリボウズハゼを久しぶりに撮影。
目標達成は・・・成らず。
とはいえ、撮影に集中できた楽しい遠征であった。
この遠征で、川で水中撮影をしていた人と出会う。
後にネットにアップされた写真を拝見したが、素晴らしいデキである。
やはり、人と出会い、人と関ることから得られる刺激は大きいものがある。
11月の沖縄本島遠征を持って、年内のお魚系の活動は終了となった。
2014年は、多忙な業務に追われ、あまり活動の無かった1年であった。
それでも、研究会などのイベントでの交流を楽しむ事ができた。
研究者や学生さんなど、だいぶ人脈が広がった。
個人運営の淡水魚系のサイトでの交流は縮小していく傾向にある。
情報発信はブログ中心だが、交流は個人運営の掲示板類からSNSへと移行した。
個人サイトである限り、サイト運営者の考えや方針は尊重しなければならない。
その点SNSであれば基本的に立場は対等、自由に交流が可能である。
ネットからリアルへ、交流の場が変化したことにより、ハンドル名より実名を名乗る事が多くなった。
これには、実名主義のフェイスブックを本格的に使い始めた事も背景にある。
あまり積極的ではないものの、メールアドレスやブログ名称の変更も検討する事があるかもしれない。
gooのメールシステムがリニューアルされ、移行作業の過程で気が付いた事がある。
このアドレスは2005年に取得したという事である。
ヨシノボリに興味を持った頃、ヨシノボリとボウズハゼに特化したWebサイトを見つけた。
T氏のサイトの掲示板にデビューするために用意したのが、「かっちゃん」のハンドル名とgooのメールアドレスであった。
つまり、僕のハゼ・ライフも10年になろうとしているのである。
全てのものは「変化」する。
当然、僕自身も僕の気持も例外では無い。
目標を明確にし、それを実現するためにはどうすれば良いか?
それだけを考え、まっすぐに行動する。
そういう状況も変わりつつある。
でも、それを憂う必要は無い。
時間は止まらないし、同じままでいる事などできるはずはないのだから。
たとえ、あの頃の自分に戻る事ができないとしても、変わらないものがある。
それは、胸の内で灯のように静かに燃え続けているのだ。
内地の川に行かなくなり、網を持つこともすごく少なくなった。
かっちゃんは変わったと思う人もいるかもしれない。
でもご心配なく。
僕は1度本気になった事をずっと忘れない人なのです。
行動は変化したかもしれないけど、内面は何も変わっていないのです。
2015年もフィールドで、研究会で、そしてネットの世界でお目にかかりましょう。
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