ダーリンから、「親が亡くなっても泣かない○○家の人間は冷たいね」と言われました。
私は5歳上の長兄・3歳上の次兄・私の3人兄弟です。
長兄は日本語が話せないお嫁さんと母と同居していました。
私は母が亡くなった知らせを23時過ぎに受け、翌朝車で向かうつもりでいましたが、朝の渋滞を避けるにはできるだけ早く向かった方がいい、というダーリンの提案に同意し、午前3時前のまだ真っ暗中を、犬2匹(母に会わせてあげたかった)・お酒を飲んでいたダーリンを乗せて出発、5時過ぎに実家に着きました。
次兄は、亡くなった母が帰宅した自宅に翌日昼前に到着、布団に寝かされ冷たくなった母を見て泣きました。
でも、私と長兄は泣きませんでした。
兄は喪主、その兄のサポートを私がしました。
なぜ泣かなかったか。
亡くなった翌朝からすぐ、通夜・告別式の手配打ち合わせ、葬儀の連絡に追われ、哀しむ余裕などなかった、ということがひとつ。
もうひとつは、長兄と私は、元気なころも病に伏してからも、母との時間をたくさん持てたということも、
いくらか関係していると思います。長兄も私も、元気なころの母を北海道や沖縄、群馬や伊豆・箱根などの温泉、海外旅行にも何度か連れて行き、思い出もたくさん作ってきました。
10代後半、問題を起こして借金を作り、当時の家を売却するに至った原因を作った次兄は、それ以来、
実家に姿を見せることはなくなりました。
それでもお正月にはおせちとお雑煮くらいは食べさせたいと思う母は、それは今年の1月もそうでしたが、
次兄のアパートに、最寄り駅から片道30分近い距離を歩いて届けに行ったものでした。
母の状態が楽観視できないとわかってから、母が自ら兄に電話をしましたが、「何度電話をしても出ない、きっともう葬儀にも出る気はないのだろう」と諦めかけているのを聞いて、次兄と唯一とれる連絡手段、SNSを通じて何度か私から連絡。母に残された時間があまりないことを知らせ、病気がわかってからだいぶして、やっと見舞いに訪れました。
話がそれ気味になりましたが、次兄の涙は、悔やんでも悔やみきれない涙だと。
長兄と私は、やれるだけのことはしたという気持ちが少なからずあり(といってもまだこれから沢山のことをしてあげたかった)、多くの時間を共有した大切で大好きな母が、突然いなくなってしまったことを受け入れるのには、もう少し時間が必要なのだろうと、自分では思っています。
現実としてわかっていても、心が、受け入れ拒否(?)をしているとでもいうのでしょうか、
まるで夢を見ているようで。
母の通夜・告別式で、子供のころ近くに住んでいた、昔懐かしい方々と再会したときは
ぶわっと目に涙があふれましたが、こぼれ落ちる前に堪えました。
泣ける時がくるまで無理に泣かなくていい、泣けない自分を責めなくていいと言ってくれる人もいます。
私は、そういう感じなのかなと思います。
本当の哀しみ、悔しさ、寂しさは、これから訪れるような。
初めに戻って、
ダーリンに、「泣かないなんて冷たいね」と言われた言葉、何も言い返しませんでしたが、自分としては心外でショックで、そういう風に受け取られてしまうものなのかな・・・と思いました。
悲しいに決まってます。悔しいに決まってます。でもなぜだか泣けない。
人は本当に悲しいときは、泣くのが難しくなる。
簡単に泣けないものかもしれません。
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カイルア(管理人)
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すみれ
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