私の部屋には、遺影と同じ母の写真立てが置いてあります。
通夜・告別式を終え火葬しお骨を拾っても、まだ半分信じられず、自分のことではないような気持ち。
電話をかけたら母が出るんじゃないか、そんな気がします。
母の闘病をまとめてみます。
●3月4日 吐血&入院
●3月19日 手術を決め一時退院
●3月31日 再入院
●4月1日 手術のため開腹するも、腹膜播種(がんが、内臓を包む腹膜に米粒のように散らばっている状態)とわかり、なにもせずに閉じる。
●4月19日 自宅での抗がん剤(TS-1)治療に切り替え退院
●4月28日 体調すぐれず(抗がん剤治療に耐え得る体力がなく)再入院
●5月21日 23時過ぎ逝去
お腹を切っただけで終わった手術から、母は日ごとに衰弱が進んでゆきました。
まず、歩けなくなりました。歩行器を使っていましたが、そのうち立てなくなりました。
ペンを持っても震えて文字が書けなくなりました。
食欲が落ち、日ごとに食べられなくなってゆきました。
水分(水と氷、果物の汁)しか受け付けなくなりました。
それでもすべて吐いてしまうようになりました。
声が出なくなり、会話がままならなくなりました。
目を開けていることが難しくなりました。
2ヶ月半で11回お見舞いに行きましたが、行く度にできたことができなくなっている、
衰弱があまりに速く進んでいることが怖く、見ていて言葉が出ないほど辛かったです。
亡くなる前日、5月20日(火)6:38、私のスマホにメールが届きました。
遅延など登録している路線情報のお知らせメールかと思ってメーラーを開くと、母のアドレスから。
なにも書いていない真っ白なメールでした。
その3日前に母を見舞った次兄から、「電話をかけようとしたができなかったが、おまえに何か伝えたいことがあるようだ」と聞かされました。
最期、私に何を伝えたかったのか、伝えようとしたのか。悔しいけれどわかりません。
母が亡くなったことは厳然たる事実、目の前の出来事は進んでいくのに、自分の中では本当に
実感が湧かず。それは、どこかで認めたくない自分の心がそうさせるのかもしれません。
私が実家に連れてきて、長年暮らしてきた猫が、母が亡くなる4日前、ひっそりと姿を消しました。
戻ってくるかと思いましたが、もう戻ってこないような気がします。
母を探しに行ったのか、己の死期を悟り姿を消したのか、
実家から2つの命が消えてしまい、なんとも寂しい気持ちです。
母から届いたこれまでのメール、20日に届いた何もない白いメール、
とても消すことはできず、でも、ふとした拍子に目に入ると複雑な思いに心が覆われていくのを感じます。
仕事も再開して、私自体は元気は元気です。
というか、まだ泣けていない。泣いていない。
泣きたいような、泣きたくないような、自分でもよくわからず・・・。
きっとこれからじわじわと、街で母と年の頃や姿が似た人を目にするときなどの
ふとした拍子に、喪失感を感じていくのだろうと思います。
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カイルア(管理人)
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