アラフィフのキャンプ好き日記

見守るしかできないかな。。。

4~5年前、習い事で知り合った同い年の友人(というほど深いつきあいがあったり親しくしてきたわけではないが)が
昨年、突然の(といっても高血圧などの兆候はあったのでしょう)脳梗塞で倒れ、数か月入院し先日退院した。

入院も退院も直接連絡があったわけではなくて、
入院は同じ習い事の教室のなかのいい方とランチした時にたまたま聞いて、退院は彼女のSNSの投稿で知った。

彼女はいい意味でちょっと変わっている人ですが、とても努力家。

習い事の腕もぐんぐんあげて、付随する習い事もさらに始めて、
50過ぎてから新しい技術が必要な仕事に就くために、結構な費用を捻出し、講習を受けて
さぁやっとスタート、順調に1年が過ぎ、よしもっと頑張るぞというときに、
突然、気を失って倒れたらしい。

旦那さんと、お子さんは18歳の娘さんと16歳の息子さん。あとワンコがひとり。
小学生とかではなくてまだよかったのかもしれないけど、まだ成人しておらず社会にも出ていない、
母から離れるのはまだ早い年齢だ。

とにかく彼女は、何事にも全力投球で頑張ってきたのを私は知っている。

仕事では求められれば休みを返上、休憩も惜しんで、全力で頑張ってきた。
あるときは、この日のためにかなり練習してきた習い事の晴れ舞台にも仕事で間に合わない、ということもあった。

彼女には、半身に麻痺が残った。
両手を使う習い事(弦楽器)は、休会。楽器にふれることができても、以前のような演奏は
とてもできる状態ではなくなってしまった。

歩くときは杖を使う。脚には装具を付ける。
亡くなった義母と同じだ。
麻痺の影響で、顔が、引きつったように見えてしまう。

以前のように、自由に、行きたいときに行きたい所へ自由に出かけることはできなくなった。

当たり前にしていた家事も、以前のようにはできなくなった。

例えば缶の蓋をあけること、調味料の蓋を取ること、以前なら至極簡単にできていたこと、一つ一つが
思うようにできなくなった。

どんなこともそうだけど、「当事者」になってみなければ、当事者の気持ちはわからない。

悔しさや焦りや、それでも命拾いをしたのだから少しでも前向きに、でも思い通りにならないもどかしさ、
どんなにリハビリを頑張っても、もとには完全には戻れないのではという絶望にも似た気持ち、
でも1年後、2年後にはきっとこうなっているんだと、自分自分でを奮い立たせるようとする気持ち。

さっきも書いたけど、やっぱり、私や周囲の友人知人、ご主人でさえ、当事者の気持ちは想像はしても、
やはり当事者になってみなければ、わからない。


少し不自由な手で、彼女はまめにSNSの更新をする。

「よく周りから『焦りすぎずに』とか『焦らずに頑張って』と言われるけれど、
どうして焦らずにいられる??焦らずにいられるわけないじゃん。

中途半端な慰めの言葉なんていらない。
いいことばを見つけて慰めようとなんてしないでほしい。」

実際の文章は違うけど、そういうようなニュアンスの投稿がよくあがる。

そうすると、読んだ人は言葉の掛けようがなくなってくる。

せめて、できるのは、彼女の投稿に対する応援の気持ちのリアクション、と思っていた人も、
偽善のような気がして書き込めなくなる。

私は数回しかコメントを入れなかったけど、まめにリアクションしていた人と同じ気持ちだ。

彼女は書く。

誰もが、病気や事故など思いもよらない何かに遭遇すると。

本当にそうだと思う。
私だって、いつどんな風に病に倒れるか、事故に遭うかわからないと思う。

何を書きたかったのかだんだんわからなくなってきたけど、
そっと見守るしかできないのかなと思う。

へんなおせっかいはしないで。

体の自由が奪われることは、想像もできないくらい辛く悔しいことだと思う。
腱鞘炎で、手が自由に使えなくなったときですら、そうだったから。

それを受け入れたくないから、病院に走り、手術をして治したのだから。

今言えるのは、彼女が、完全に元に戻ることはないかもしれないけれど、
無心になれる何かや、幸せを感じられることを、一つ一つどうか見つけていってほしいということ。

そんなこと言われなくたって、彼女はきっとそうするけれど。

年が近い友人に、こういうことが起きると、いろいろと考えてしまいます。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事