片付けで一番頭を悩ませていたのが人形と和箪笥。
気にしない人は「燃えないゴミ」で簡単に捨てられるのだろうが…
古臭い慣習に縛られて育った私には『ゴミ』とは思えなかった。
母には「顔形のあるものは魂が宿る」みたいなことを言われてきたので、自分が作ったフェルトのいびつなマスコットでさえも捨てられず、地域のドンドン焼きに持ち込んでいた。
町内のドンドン焼きも中止となり数年、最近は神社やお寺でも自分のところ以外の御札は持ち込まないようにと言う。
両親が旅行のお土産に買い求めた日本人形やコケシ、木彫りの熊等、扱いに困っていた。
そして、姉と私の雛人形。
ガラスケースに入ったものが20体程。
加えて甥っ子達の五月人形も不要と言う。姉も30歳をとうに過ぎた息子達に端午の節句を祝うことはないので処分したいと言う。
母の和服を買い取ってもらった業者に和箪笥の事を話すと、提携している行者を紹介してくれた。
自分で探すのも面倒なので、とりあえず見積もりだけでもと電話してみた。
和服買い取り業者と同じような大手なのかと思ったら、地元の個人営業の若者だった。
若いが言葉遣いもしっかりしており、礼儀正しく好感の持てる青年だった。
見た目で判断してはいけない。
電話でのやり取りが何度かあり、見積もりに来てくれることになった。
当日、事故渋滞で遅れたことを非常に恐縮して何度も詫びてくれる。
いやいや、もういいから
仕事なんて予定通りにいかないもんね。
どうやら午前中に訪問した家で高齢男性に理不尽に怒られ、酷く嫌な思いをしたようでマジで凹んでいた。
私が訪問介護の仕事をしていて、ゴミ屋敷の片付けをした経験や認知症高齢者とのやり取りで苦労したことを話し、「分かるよ。オニイサンも大変だよね〜。」と言うと、「良いお客さんで良かった」とホッとした様子だった。
これから仕事をお願いするのに不快な気分でさせることはないのだ。
和箪笥と雛人形の他に、骨董や貴金属など買い取りもしているらしい。
貴金属は和服買い取り業者に頼んだと言うと、大手さんは買取額が低い。自分のところのほうがお得ですよ、と言う。
そんなモノがいっぱいある家ならいいが、いたって普通、中流家庭だ。
父の古い巻き上げ式のカメラや時計、ウイスキーなど捨ててしまったことを後悔しても後の祭り。
当日、業者さんは更に若い男子をひとり助手に連れてきた。
和箪笥一竿とサイドボード、人形。
他に置物やら雑貨を積み込むと小型トラックの荷台いっぱいになった。
「ついでに二階の本棚も降ろせますかね?」と聞いてみた。
オニイサンは快く引き受けてくれた。分解できない本棚は階段から降ろせず、ロープで吊ってベランダから降ろした。
ちょっと大掛かりだったけど嫌な顔もせず、むしろ上手く降ろせたことに満足していたようだ。
大きな郵便ポスト型の貯金箱やら木彫りの熊、恵比寿大黒の像も持っていってくれた。
変色してしまった銀の皿、チェーンの切れたプラチナのネックレス、若い頃に買ったピンキーリングやプチネックレスも24金だったか?
処分する物と買い取ってもらった物でほぼプラスマイナスゼロとなった。
ごみ収集も大金がかかると聴いたので、ホッとした。
父母の時代ではどこの家の茶の間にもあったような者達、今では詠歌やドラマで見かけるような物ばかりだったが綺麗サッパリ無くなった。
母の嫁入り道具の鏡台や和裁の道具も片付いた。
ガランとした和室を見渡す。
高次脳機能障害と認知症の母はたまに驚くほどシッカリと物を言うが、入院前にこんな事を言った…
「変な夢を見たんだよ。
家の中がガランとしていて何も無いんだよ。そこでね、おねーちゃんだかお前だか分かんないけどさ、ずーっと外を観てるんだよ。」
母は私がこの家を出て何処かに行ってしまうのを一番恐れていた。
私がこの家を出たいと思っていたのを縛り付けたことを後悔していたのだろうか?
縛られていたとか縛っていたとか、そんなことはどうでもいい遠い昔だ。
お互いに相手の文句を言いながら好きなように暮らしいていたパラサイト母娘だと、笑って言えるようになったのは年月を重ね、親の亡くなった歳に近づいたからだ。
住む所を遺してくれた父母に感謝、今はそれしかない。
しかし、まだまだ遺品整理は続く。
一番の精神的負担、たくさんの写真や日記が残っているのだ。