角田じいじの奮闘記

「心身共に元気で過ごす」を目標に趣味の一つである写真と日記を綴ってみたいと思います。

朝顔の花が満開状態

2013-08-26 17:02:59 | 日記

やっと朝顔が咲きました

 今年は鉢植えの朝顔は早くから咲きましたが、地植えの朝顔は葉はものすごく繁茂し、猛暑には大いに役立ちましたが、なかなか花が咲かず諦めていました、

最近やっと花が咲いてくれました。

 


角田〝桜〟おらほの見どころ-15

2013-08-26 11:21:05 | 桜の見どころ

⑥ 猫神さま

 二和多理神社は竹内宿彌を祭神とする梶賀の鎮守として数百年間、村民の心の拠り所として崇拝されてきた。その後猫神権現を合祀し仙光院を別当としてまつり継がれた五穀豊穣を祈る神様である。

⑦ 猫神さまの石碑

 梶賀に帯刀と言う者が住んでいた。その妻に大蛇がまといつき困っていた。飼い猫が妻によくなつき、いつも離れることがなく、かわや(トイレ)までついていく程であったが、その時の猫の目は異様でしだいに恐ろしくなった。ある日妻がかわやに行った後を帯刀がついていくと猫の目は恐ろしく、ただならぬ様子に帯刀は脇差で猫の首をきりおとした。切られた猫の首は天井まで飛び大蛇に咬みつき、妻を守ったとつたえられている。


角田〝桜〟おらほの見どころ-14

2013-08-05 17:53:49 | 桜の見どころ

⑤ 高良玉垂神社

 旧梶賀村では二和多理神社を村の鎮守としてまつってきたが、1867年「神仏分離令」1872年二は「集験道廃止令」が出され、1972年3月5日に高良玉垂神社を村社としてまつることとなった。高良玉垂神社は、第十四代仲哀天皇の時代に九州地方の乱を鎮めるため竹内宿彌を派遣し“高良山”を中心に戦い平和をもたらした。後に先祖の「玉垂の命」が子孫の苦難を救うため竹内宿彌を身代りとして派遣した際、当社を建立したといわれ、武神として崇められている。


角田〝桜〟おらほの見どころ-13

2013-08-03 15:41:26 | 桜の見どころ

④ 日弁聖人の供養塔

 1311年日蓮大聖人の高弟日弁聖人は伊具郡で布教に努めていたが、聖人をねたむ暴徒によって襲撃され亡くなった。後にこの殉難に対し供養塔が建立され、現在は桜6区のある個人宅で護持されている。


角田〝桜〟おらほの見どころ-12

2013-07-30 06:42:55 | 桜の見どころ

③ 阿弥陀堂

 阿弥陀堂は1336年、吉野城を造営した吉野五郎公の姫君が病死し、その霊を供養するため建立したといわれる。中に60センチほどの木仏が安置されているが誰の作かわからない。地元ではこの御堂を “かさこ神” と呼んで護持している。