③ 阿弥陀堂
阿弥陀堂は1336年、吉野城を造営した吉野五郎公の姫君が病死し、その霊を供養するため建立したといわれる。中に60センチほどの木仏が安置されているが誰の作かわからない。地元ではこの御堂を “かさこ神” と呼んで護持している。
③ 阿弥陀堂
阿弥陀堂は1336年、吉野城を造営した吉野五郎公の姫君が病死し、その霊を供養するため建立したといわれる。中に60センチほどの木仏が安置されているが誰の作かわからない。地元ではこの御堂を “かさこ神” と呼んで護持している。
都合により3ヶ月ぶりの投稿になりました、これからもよろしくお願いします。
① 吉野城跡
1333年奥羽鎮圧のため、陸奥守に任じられた北畠親房の顕家は、第八皇子義良親王を奉じ国府多賀城にあった足利尊氏を中心とする北朝勢に敗れ「佐久良」まで南下した。
後に霊山に立てこもるまでは旧国府のあったあたり、現在の桜7区に一時駐屯したといわれる。この時、後醍醐天皇の吉野行宮にあやかって「吉野館」(俗に吉野城)を造営した吉野五郎を館の主とした。北朝からのがれるための義良親王の匿名であるといいつたえられている。