隠し里

聖書の言葉。
イタリア語と日本語を記載しました。

本日のミサ 年間第19主日 ヘブライ人への手紙11.1-2 8-19

2022-08-07 12:20:53 | 典礼

Or la fede è certezza di cose che si sperano, dimostrazione di cose che non si vedono.

Infatti, per essa fu resa buona testimonianza agli antichi.

 

Per fede Abramo, essendo chiamato, ubbidì, per andarsene in un luogo ch’egli avea da ricevere in eredità; e partì senza sapere dove andava.

Per fede soggiornò nella terra promessa, come in terra straniera, abitando in tende con Isacco e Giacobbe, eredi con lui della stessa promessa,

perché aspettava la città che ha i veri fondamenti e il cui architetto e costruttore è Dio.

Per fede Sara anch’ella, benché fuori d’età, ricevette forza di concepire, perché reputò fedele Colui che avea fatto la promessa.

E perciò, da uno solo, e già svigorito, è nata una discendenza numerosa come le stelle del cielo, come la rena lungo la riva del mare che non si può contare.

In fede moriron tutti costoro, senz’aver ricevuto le cose promesse, ma avendole vedute e salutate da lontano, e avendo confessato che erano forestieri e pellegrini sulla terra.

Poiché quelli che dicon tali cose dimostrano che cercano una patria.

E se pur si ricordavano di quella ond’erano usciti, certo avean tempo di ritornarvi.

Ma ora ne desiderano una migliore, cioè una celeste; perciò Iddio non si vergogna d’esser chiamato il loro Dio, poiché ha preparato loro una città.

Per fede Abramo, quando fu provato, offerse Isacco; ed egli, che avea ricevuto le promesse, offerse il suo unigenito: egli, a cui era stato detto:

E’ in Isacco che ti sarà chiamata una progenie,

ritenendo che Dio è potente anche da far risuscitare dai morti; ond’è che lo riebbe per una specie di risurrezione.

 

 

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

 

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。

信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。

もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

 



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