静岡県 静岡市の 神戸(かんべ)です 

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静岡市の古地図

2012年10月18日 | 静岡地域の話題
《百四隣精図?》
百四隣ってなんだろう?
字体は旧漢字が多い
横書きは右から左に書かれている
明治30年に書かれて36年に改訂された地図だ
印刷者に吉見義次とあるが、あの吉見書店の吉見さんだそうだ
わからないところがいろいろあるけど見ていて面白いです


《静岡市》
この頃の静岡市は現在の葵区の中心部だけですね
長谷通り(浅間神社の参道)から北は『安東村』
その東側は『千代田村』北街道の南は東鷹匠までが静岡市
安西通り(浅間さんから安西橋へつながる道)から北とさつま通りから西へ安倍川までは『南賎機村(みなみあさばたむら)』
宝台院から駒形通りを結ぶ道から西側と駒形通りの南、宝台院から静岡駅までの線路の南側は『大里村』
その東側の静岡駅から東へ続くのが『豊田村』その北が千代田村
安東村・南賎機村・大里村・豊田村・千代田村に囲まれる狭い一帯が旧静岡市


《当時は》
多分現在地震防災センターがある辺りに安倍川町と書いてある、ここは遊郭だったそうな
宝台院は現在の5倍くらい広かった
ここから北へ伸びる道沿いにお寺が10件くらい並んでいる、このお寺たちが移転になり、現在の愛宕霊園周辺のお寺になったのだと聞いたことがある

東海道本線は東海道鉄道・静岡駅は静岡停車場・駿府城公園は陸軍第34連隊・文化会館は静岡県監獄・旧国立病院の城東町のあたりに大きな陸軍錬兵場・市役所の庁舎は静岡御用邸・当時の市役所は現県警あたり

長谷通りに旧徳川邸とある、ここに徳川15代将軍の慶喜さんの屋敷があった
現在安倍川橋は本通につながっているが、当時は新通りにつながっていて本通はカクンと曲がって新通りにぶつかっている、今の逆だね

地図内の距離をあらわす表示、現在では  に100mとかあるが、当時は一町・二町となっている


じっくり見るとまだまだ面白そうなものが見えてくる
ただ細かい字が若干にじんでいるところが多く読みにくい

原本は市立中央図書館にあるそうだ
一度見に行ってみようかな・・

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