父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

木村藤子さんの話は理解不能

2021年04月25日 | よもやま話
私は、「木村藤子さんタイプ」ではなく、「江原啓之さんタイプ」でもなく、「浅見帆帆子さんタイプ」な人間なので、木村藤子さんが言っている「透視能力」の話に関しては、全く理解できていません。

江原啓之さんが言っている「オーラ」も全く見えていなくて、一見、普通の人間なのです。

でも、「浅見帆帆子さん的な奇跡」は、いっぱい体験してきた人間なので、「普通の人間」では、ないみたいです。

2021年4月25日(日曜日)の今日、午後2時半くらいに、木村藤子さんの本『「気づき」の幸せ』(2007年出版)を読み直していると、不思議なことが起こりました。

これは、「その時のことを文章で残して」というメッセージかもしれないので、一応、書き残しておきます。

私が、上記の3行目くらいまでの記事を書き終えて、続きの文章を書くために、参考にと、上記の木村藤子さんの本を読み始めると、「本の下の部分の紙」と「私の小指」がスレて、第一関節の部分がカッターで切られたみたいになって、出血してしまったのです。

滅多にないことが、このタイミングで来たので、私は「これには何の意味があるんだろう?」と考え始めました。

「なんか私が文章を書くのに手助けになることなのかな」と考えたのです。

それで、書く予定だった文章の方向性を変えて、この現象について、書いてみることにしました。

この時、私は、「普通に」本を読んでいたので、「三蔵法師の輪」は飛んできていませんでした。

何年か前に、「三蔵法師の輪」が飛んできた時も、木村藤子さんの本を読んでいる最中だったので、「その時と今は違うよ」ということなのかもしれません。

江原啓之さんの本を読んで、「江原啓之さんって何者なの?」という記事を書いた直後に「三蔵法師の輪」が飛んできて苦しんだ記憶がまだ生々しいので(汗)、私は、ちゃんと、頭の中でも、木村藤子さんに対して失礼がないように読んでいたのです。

このことを、書いて欲しかったのかもしれません。

そして、「グッドタイミングで指が切れた」という不思議な現象は、何度も体験してきた私だから、なんとなく分かることなのですが、おそらく、これは、「私の運命」と「本の運命」を神が操って成し得たことなのです。

「私がこういう風に動く」という「私の運命」、「本がこういう風に動く」という「本の運命」、この、両方の運命を見通せて操れる神だからこそ、成し得た技、ということなのでしょう。

「浅見帆帆子さん的な奇跡」というのは、全部が全部、ではないと思いますが、その部分に、「神からのメッセージ」が含まれていることが多いのだと思います。

「神が見ている」場合なら、こういった奇跡は簡単に起こせる、ということなのでしょう。

話が横道にそれてしまったので、今回は、これで話を終えて、木村藤子さんの本の話は、後々、しようと思います。

~~~ 以下、2021年4月25日の午後7時に追記 ~~~

私が、今回の記事で「書く予定だった文章を変更した」と書いてから30分後くらいの午後6時に夕食を食べにキッチンへ行くと、母親が「今日の夕食のメニューを変更した」と言ってきました。

「バンバンジー」から「キムチ鍋」へと変更したみたいで、この「タイミングが良すぎる」というのが「浅見帆帆子さん的な奇跡」で、私の周りでは、しょっちゅう起こっています。

書き始めるとキリがないから、今回の記事のように「特別なメッセージを見つけた時」以外は書かないようにしているのですが、どんな奇跡が起こっているのかを、もっと知りたい方は「フリートーク【熟考バージョン】」カテゴリーにある「シンクロニシティー」という記事を読んでみて下さい。

「ウソはなし」で、これだけ不思議な現象が起こっているのだから、私も、十分、「特殊な人間」であることは、間違いないようです。

「私が記事の内容を変更した」と「母親が夕食のメニューを変更した」がシンクロニシティーになっているのは、「その記事の内容は当たりだよ」ということなのかもしれません。

私が、「簡単そう」に書いてるから、神からのメッセージを受け取るのは「簡単に出来そう」に見えるけど、実は、これは、簡単に出来ることじゃない。

神からの「偶然を装った奇跡」を受け取ってメッセージ化できているのは、私が「神関連のカルマを解消できている」人間だからなのです。

船井幸雄さんは悪い人じゃなかったから、船井幸雄さんに悪気はなかったと思いますが、船井幸雄さんみたいに「周りからチヤホヤされて自分が神様みたいな存在だと錯覚して神を見下してしまう」というカルマが残っている人間が、その奇跡を受け取ると、「私が奇跡を起こしたのだ~」「私が神様なのだ~」みたいな感じになっちゃう訳です。

だから、船井幸雄さんは「神の視点」へと辿り着けなかったのです。

「社会的な地位が高い」人や、東大出のエリートみたいに「秀逸な脳」を持っている人などは、「人を見下す」というクセが付いてしまっていて、その流れから、「神を見下す」という悪循環へと陥りやすい。

「上から目線」のクセが付いてしまっているから、「神が起こした奇跡」を「自分の手柄」だと勘違いしてしまったりして、神に関する話で「かなりズレた発言」をしてしまう事態となってしまうのです。

その点、私の場合は、「ずっと社会的に落ちこぼれていた」人間で、脳も「ポンコツ」であるから、「人を見下す」という気持ちがほとんどなくなっているのです。

「三蔵法師の輪」を食らって、我に返って、すぐに「人を見下さない人間」へと戻れるのは、こういった理由があるからで、「人を見下す」というカルマを解消している私だから、もちろん、「神を見下す」ことはしなくて、だから、「神からのメッセージ」を、かなり正確に伝えることが出来ている。

「普通に生きられない」私から見たら、普通の人が「神様みたいな存在」となっているから、「下から目線」が身に付いていて、「神が起こした奇跡」を「下から目線」で見れているから、その奇跡を、解説しやすい人間となっているのです。

「弱者の立場」を経験して苦しんで「弱者の気持ちを理解できるようになる」、という風に、「弱者をないがしろにしてしまう」というカルマを解消した人間じゃないと、「神からのメッセージ」を正確に受け取ることは出来ない。

もちろん、今回(現世)の人生で、ずっと「強者」であった人でも、「弱者の気持ちを思いやれている」という人は存在していて、その場合は、「前回(前世)までで、そのカルマを解消していた」ということなのでしょう。

今現在の私は、まだまだ未熟な人間で、全ての「神の教え」に順じて「全部のカルマを解消する」という所までは至っていない人間ですが(汗)、「神からのメッセージを受け取る」ということに関しては、「その障害となるカルマ」をほとんど解消した人間だから、かなり正確に「神からのメッセージを受け取る」ことが出来ている、ということなのです。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

全記事をパソコンにダウンロード(無料):https://www.vector.co.jp/soft/data/edu/se517755.html

2021年1月28日にso-netが無料でホームページを提供するサービスを終了しました。
それに伴い、今はホームページを表示できない状態となってしまっています。
NTTのフレッツ光で、プロバイダをso-netに選択してインターネット回線に繋いでいて、そのso-netの無料ホームページサービスを利用する形で、そこに記事を載せたり、トップページから全記事をダウンロードできるようにしていたのですが、それが出来なくなってしまいました。
なので、新たにホームページ先を見つけるまでは、一時的に、ソフトダウンロードサイトであるVectorのみから全記事をダウンロードできる形をとっています。
多くの人にダウンロードしてもらって多くの人に読んでもらえるのが、これから私が文章を書く意欲にも繋がると思うので、今は、まだ、読むつもりがない人であっても、とりあえずダウンロードしてもらって、パソコンの片隅にでも残しておいてもらえると嬉しいです。
Vectorさんは大手のダウンロードサイトなので安心してダウンロードしてもらえるかと思います。