今年は息子と二人で。去年は行くのが早すぎて始まるまで暇だったものだから、今年はギリギリに行ったせいで焦ってしまい、撮影場所をしくじった。
去年の反省むなしく成果は低調。花火と電車のタイミングが今年はよくなかったかも、なんて負け惜しみ。。。
粟生から鈴蘭台に戻ってこんどは三田方面へ。
田園のローカル線といった風情の粟生線に対して、こちらは山の中のニュータウン路線。
ウッディタウン、三田、有馬温泉の順に乗って、有馬口で日が暮れた。
まだ酷暑だった9月半ばの三連休、神鉄に乗りに行ってみた。仕事で一駅だけ乗る機会があったので全くではないが、ほぼ初めて。
神鉄の電車は新開地発着だが、路線の起点は一駅先の湊川。炎天下ではあるが一駅散歩。湊川公園の大ガードの下にレトロな風情の駅入口があった。
一日乗車券を買ってまずは鈴蘭台へ。町と町のわずかな間に駅が廃止されるほどの秘境があるのは六甲が迫る神戸ならではか。登山鉄道のような急勾配を眺めてから鈴蘭台の駅の外へ。駅前も坂道。
鈴蘭台からは粟生方面と三田方面に分かれるが、まずは一時間に一本の粟生線に。来たのは西鈴蘭台行き。少し待って次に来たのは三木行き。
窓外は強烈な青空。集落と緑が交互に現れて、車内が閑散としていく。三木では30分待ち。駅のまわりを散策するのにちょうどいい時間なのだが、あまりに暑くて危険行為だ。すぐ駅に戻ってきてしまい、待ちきれない思いに。
終点粟生は、JRと北条鉄道との接続駅。各線の列車が一斉に発着するようになっていて、束の間のにぎわい。
キハ40が待つ北条鉄道に、40年近くぶりに乗ってみたくなったが、今日は神鉄に専念することにしているので、すぐに折り返し。
酷暑の土曜日、夕方近くなってからチャリで郡山まで。金魚池の水かがみを期待して。
高校まで奈良で過ごしたのに、唐招提寺がこの辺にあるのを知らなかった。。
鶴橋で鮮魚列車を初めて見た。鮮魚列車といえば、昔の近鉄の赤茶一色に白線の地味なやつ、と思ってたのに、こんなイラスト満載になっていたとは。ググってみると正確には、鮮魚運搬専用列車、伊勢志摩お魚図鑑というらしい。扉が開くや、ホームで待ち構えていた業者らしき人が中から発泡スチロールの箱を持ち出して、改札へ一目散。とはいえ、一両を割くほどの荷物は載ってなさそうだった。
刈谷でJRに乗り換え、18きっぷの旅を再開。快速、普通、新快速と乗り継いで、京都まで3時間ほど。米原から琵琶湖の北側をまわって帰る時間も調べてあったが、名鉄乗り歩きで疲れたのでまたこんどに。
大垣はいろんな路線が集散する要衝なのに、垂水鉄道と養老鉄道しか気づいてなかったのがちょっと失敗。それでも、いつも新幹線の窓から見える東海道線から逆に新幹線を眺めるのはなかなか面白かった。
奈良に戻る途中の名鉄寄り道のもう一つの目当ては知立の立体化工事。事業開始前の姿は全く知らないが、複数の路線が乗り入れる駅のダイナミックな工事中の姿を期待して。今は、名古屋本線の下りが高架に移った段階の様子。従来の地上ホームと高架化された新しい駅のコンコースを結ぶ仮設通路の高低差と天井の高さに驚く。
「事業開始前の姿は全く知らないが」と書いたが、2008年に乗りに来た時の写真を探したら何枚か出て来た。全てのホームをいったん仮設ホームに移したのかな。まったく面影がない。
2008年
2024年
吉良吉田から西尾線で知立へ。複線になったかと思えば単線に戻り、高架になったかと思えば地上に戻る。長年かけて少しずつ線路を整備してきた様子。その時々の必要最小限でしのいできたということか。
乗った電車がたまたま急行だったと思ってたのだが、時刻表を見ると日中に吉良吉田を発つ電車はすべて急行。といっても通過する駅はわずか。3つ先の西尾から終点新安城までの各停が、30分おきの急行に寄り添うようにダイヤが組まれている。急行は新安城から本線に乗り入れ、さらに津島線の弥冨や佐屋まで直通する。
40分ほどで知立に到着。駅は高架化工事の真っ最中。(つづく)
名鉄蒲郡線には16年前の夏に乗っているが、三河湾沿いの車窓風景をまた見てみたくなった。月曜の昼間とあって閑散とした車内から見上げる眩しい夏空は、子どもの頃のいろんな夏の思い出を呼び起こしてくれた。
終点の吉良吉田から先には、かつて三河線が接続していた。歩いて5分くらいのところまでは線路が残っているが、新しい家が立ちはだかり、その向こうにはソーラーパネルが並んでいた。名古屋からそんなに離れていないのに鉄道が廃止されるなんて、どんなところなんだろうと気になるが、それはまたの機会に。
東京から奈良への戻りは、新幹線を浜松で下車して18きっぷの旅。浜名湖にかかる幾重もの橋をじかに見ようと弁天橋で降りてみる計画だったがあまりに暑そうなのでパス。昼前に蒲郡に着いた。目当ては名鉄蒲郡線と西尾線。(つづく)