上北沢暗室雑記帳

写真に関するよしなしごとを

フォトシティさがみはら2012 プロの部入賞作品展

2013-02-24 23:59:07 | 写真展


 二つ前の吊革ネタの先週土曜、息子とでんしゃさんぽのついでに新宿ニコンサロンへ。プロの部の各賞受賞者は、北島敬三、Ying Ang、古賀絵里子、笹岡啓子。
 北島のIsolated Placesは、作家と作品が今まで結びついていなかった。鉛直方向の線がぴしっと入り色味をおさえた壁面と地面の幾何学的な空間の列が、迫力あるモノクロスナップとか白シャツのポートレートと同じ作家によるものかと意外な感じ。たいていの画面に「隅っこ」が写っているところに、長瀬さんの空き地を連想する。「21世紀の日本を急速に浸潤し、覆うようになった「顔と名前を失った風景」への覚醒」…20世紀の風景には顔と名前があったのか?と疑問を呈してしまうが、名もなき風景への覚醒という面では共感が持てる。見入るほどに、その場に行ってみたくなる。あるいは、ほのかな既視感に親しみを覚えたり。「今の日本のどこにでもある風景だが、私たちがその場所に気づくことはない。そこは履歴を忘れ、行く先を見失った"ISOLATED PLACES"だ。」と言われると、逆に、履歴を記憶し行く先を強く指向している場所ってどこ?、つい思ってしまう。欧米の都市のような(?)昔も今も変わらぬ街並みとか。
 笹岡の津波に流された街の風景。瓦礫や流された建物の中身が散乱している段階、それらが取り払われ、建物の基礎だけが整然とある段階、それらが草に覆われ一見もとの土地利用が推し量れない段階。さきほどの「履歴を記憶し行く先を強く指向している場所」に、これらも当てはまるのではないか、なんてね。ここ2年、テレビや新聞で見慣れてしまった風景ではあるが、クライマックス性を排した落ち着いたトーンの画面は、作家とともにそこに立ち、ともに眺めているように錯覚させる。
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街道久々

2013-01-25 07:08:54 | 写真展

 前の日曜のことだが、まだ雪の残る中、チャリでギャラリー街道へ。りぼんから街道に戻って1、2度は行っているはずだが、子供ができてからは初めてか?。それくらい久しぶりで道を忘れていた。迷いついでに善福寺川緑地で子供を遊ばせてたら風が強くなってきて撤収。急ぐ。電柱広告が消えていたが、最後の曲がり角は何となくわかった。
 岡部文/東京パトロール海外篇 PATROL IN LONDON。陰鬱と聞く天気がどっしりとした背景になって人々を浮かび上がらせていた。パリフォトのあとロンドンに回って、テートモダンでウィリアムクラインを見てきたとのこと。かっこいい。最近、新聞で大道とクラインの二人展のことを見たがそれらしい。10月から1月27日まで。
 久しぶりの街道は、思い思いのプリントが壁を埋めていて、楽しい空間が健在。暗室やりたくなったよ。
 帰りは、すっかり古い建物が消えた荻窪団地に寄り道したが、20分ほどで帰宅。鎌倉街道まっすぐ、が最短ルートだったことを思い出した。


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写美久々

2013-01-14 10:04:18 | 写真展

 操上和美も新世紀も彦馬賞も機を逸して見に行けなかったので、会期末間近、子連れでささっと写美に行ってきた。全然元が取れてない友の会の更新もあり。三連休とはいえ松の内だからか、電車も美術館もそれほど混んでおらず、ベビーカーを押しながらでもそんなに迷惑な感じでなくて幸い。
 日本の新進作家展vol.11は、70年代生まれの女性作家5人展。同じ場に居合わせて撮ったら画角もタイミングも色も一番かけ離れていそうなのが笹岡、似た感じのを撮ってしまいそうで撮れないのが蔵、と不遜ながら思っているところ。今回の蔵作品は、そこ撮っちゃうよねー的なところで相変わらずだったが、笹岡作品には今までの意外感が薄かった。微笑ましかったのが大塚千野のタイムマシーン。色あせたサービス判のカラー写真に幼少の頃と現在の作家の姿が違和感なく同居している。よくもまあこんなに巧く今の自分がはまり込めるように、記念写真を撮ってあったものだと感心してしまった。作家の意図とは違うかもしれないが、笑いとノスタルジーの合わさった画面は強く心に焼きついた。続編を期待。
 北井一夫いつか見た風景展は、別室で作家のトークイベントをやってる最中のはずなのに、展示室も結構な混雑。暗めの照明で子供がむずかりだし、後半は抱きかかえて駆け足で見る羽目になった。この人のプリントはどんな景色も昔話のように古く見せてしまう。東北の被災地の写真がその典型。下町の子供たちは、伊兵衛とか長野重一を見てるような気分。野鳥やナメクジの写真とかもあって、全く大家らしからぬところがある意味すごい。三里塚の少年行動隊に見る子供らの笑顔が、闘争の意外な一面を見た思いで記憶に残った。
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写真力

2012-12-15 23:40:27 | 写真展

 かみさんが髪を切りに行ってる間に、息子の散歩がてらオペラシティへ、もうじき終わってしまう篠山紀信を見に。15時以降なら空いている、17時以降ならもっと空いている、とギャラリーのサイトに出ていたので、もう真っ暗だったが17時前に家を出た。
 作家の公式サイトによると「国内美術館初の大規模な個展」だそうで、たしかにこの人の作品は雑誌でしか見てこなかった。超特大サイズのプリントが多いせいか、あっという間に出口まで来てしまい、本当に終わりなのか信じられず、上のフロアに続きがあるのではと確かめに行ってしまったほど。あっけなく感じたのは、息子の機嫌を気にしながらだったのと(3つ目の部屋でミッキーマウスの写真が出てきて落ち着いてくれた)、見たことのある作品が少なくなかったからかもしれない。
 「「写真力」とは何か?篠山は「写真の力が漲った写真」であり、撮られた者も、撮った者も、それを見る人々も、唖然とするような「尊い写真」だと言います。」これは作家のサイトからの引用だが、その文意に異論はないものの、そういう写真を選りすぐったと会場の最後に書いてあったのには、ちょっと物足りない思いが勝ってしまった。この人の場合、大道や荒木のように何を撮ってもその人色の画面になってしまうというタイプではなく、とにかく大仕掛けに撮るのがこの人流なわけで、紅白の小林幸子を見て感動で涙する人はほとんどいないだろうが「唖然とする」人はたくさんいるはずで、そういう点で作家の言うことにウソはないわけだ。妙に期待して見に行ってしまった私が悪かったということ。
 それにしてもシノラマなんかX700とかα7000を3台並べて撮ってたはずなのに、こんなに大伸ばしでピシッとしているのは何故?。すっごい画像処理がしてあるってことなのかね。


(恒例のツリーの電飾も息子には不評)

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発信する風景

2012-11-29 00:19:05 | 写真展

 家の前の木の葉がすっかり赤くなった三連休最終日の日曜、予報通りからっと晴れたので、チャリで写大ギャラリーへ。途中、富士見町駅近くの、以前来たときは官舎のようなのを壊していたのが、暫定公園として開放されていて、そこで弁当。じっとしてるとちょっと寒いくらいだったが、広場では大勢遊んでいた。


 写大では正門や旧ギャラリーのあった建物が取り壊されていて驚いた。キャンパス整備の第三期計画なんだそうな。
 新ギャラリーを訪れるのはまだ2回目だったか。子連れでは初めて。この階段の柵、ちびっこにとっては超キケン。息子から手を離せなかった。


 で、「発信する風景」はルイスボルツと柴田敏雄のコレクション展。ボルツの乾いた光と、柴田のしっとりとした明暗が対照的。妙な例えで伝わらないとは思うが、かさぶたとピアスのような差異をふと感じてしまった。が、大自然の中にねじ込んだような人工物を、柴田は決して環境破壊だとか、自然を身体に見立てた官能とかではなくて、きわめて穏やかに捉えている、というようなことを、写美のビューで耳にしたのを思い出した。柴田作品、どれでもいいから1枚ほしい!。
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色づく樹々

2012-11-13 07:23:44 | 写真展

 身近な樹々が急に色づいてきた。路上には落ち葉も。先週気づいたギャラリーは、ホームページを見ると昨年6月にブロイラースペースが終了してすぐ7月からスタートしたらしい。気づくのが遅過ぎるね。といっても先週のでまだ4度目の写真展。無理もない。


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ご近所写真展巡り

2012-11-05 01:01:56 | 写真展

 快晴の日曜、ベビーカーを押して、区民センターでの文化祭を覗いてからいつもの散歩コースを逆まわりに歩いていくと、以前ブロイラースペースだったところで写真展をやっていた。子供を抱いて2階に上がったりするのも面倒なので、歩道から窓越しに見える範囲で眺めてきたが、ギャラリー名も作家名も失念。ハガキの1枚でももらってくればよかった。ギャラリーとして復活するのなら楽しみなこと。
 下高井戸で電車を、というより踏切をしばし眺めてから家の方へ。日大の前を通りかかると学園祭をやっていた。写真部の作品展でもひかしてやろうかと行ってみたが、合評か何かの最中なのか、部外者お断りのような雰囲気(学祭なのに?)。息子は泣き出すし。そそくさと退散し、それではと前々から気になってた、描かれた〈満・蒙〉展を目当てに資料館に行ってみたものの、薄暗い会場に恐れをなしたかここでも息子が泣き出す…。
 そのうち子連れで写美に行ってみようと思っていたのだが、ちょっと難しいかもしれないな。。
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横須賀

2012-04-30 23:55:59 | 写真展

 拙ブログにたびたびコメントくださる空き地の長瀬先生の写真展が今日から始まった。空き地に迷い撮り、否、迷い鳥横須賀と題した撮り下ろし。連休とは言え子守に忙殺される日々、横須賀くんだりまで行ってる暇は本来ならないのだが、かみさんが厚木で用事があるとか言うのでクルマで送り届けたついでに行ってみた。厚木からだと横須賀は家に帰るより遠いくらいなので、ついでというにはやや強引か。連休のわりに道は空いていて、期せずしてオープン5分後に押しかけたら、案の定まだ脚立が出ていた。
 横須賀の街角写真は大家のモノクロ作品で記号化していると言っても過言ではないと思うが、坂とトンネルの街が長瀬流でしっとりと切り取られていた。共演の伊藤昭一さんの作品群は一見ちょっとくたびれた街がもつシブい活力をとらえた明るい画面。二人の作品は、空の色が対照的。
 帰りは16号を通って横浜まで下道を走ったのだが、斜面にへばりつく住宅群やトンネル群がすごく写真的。しんどいかもしれないが、そのうちチャリで撮りまわりたいものだ。あと、横浜浅間町のあたりも気になるところ、とここに書いておけばそのうち忘れず行くだろう。


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JAMCA PRIZE 2011受賞作品展

2011-11-06 09:37:11 | 写真展
 1ヶ月半ほど書き込みできなかった。ここんとこ撮る写真は我が子ばかりだし、子守やら何やらでゆっくりPCに向かう時間もないしで。そんな中、JAMCAの受賞作品展を見てきた。久しぶりに入賞したようで。


 審査員の講評ビデオによると、JAMCA会長賞は本当に会長本人が選んだらしい。写真撮るのに夢中で選考理由は聞き流してしまったが、ほのぼの系が奏功したようだ。他の審査員奨励賞も国交省や文科省の専門官とかが自ら選んでいておどろいた。そうなるとやはり被写体の政策的意義とかが出てきちゃうわけだな。今回、本命はこれ↓だったのだが、こんなのはどうしようもないか。


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ニュー・ドキュメンタリー展

2011-06-26 10:47:05 | 写真展

 オペラシティの「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」展、せっかく近所でやってるので、24日(金)、初めてベビーカーで電車に乗る試みを兼ねて家族で見てきた。息子は、電車の中ではおとなしくしてくれていたのだが、一つ目の展示室で早くもぐずぐず。ご近所の散歩でも、ベビーカーを止めるとぐずり出す傾向がみられたがそのパターンか。平日ながら会期末間近とあってわりと人が入っていて、赤ん坊の声を響かせるのは気が引ける。抱いてあやしながら早足で見て回った。最後の展示室は、真っ暗な中、中平卓馬が煙草に火を付けるシーンの動画。ここでは完全に泣き出してしまったw。こわかったよね。
 「ニュー・ドキュメンタリー」と題した本展、冒頭のTokyo and My Daugherが実は他人の娘を撮ったものだと知っていたせいもあり、ドキュメントどころか全てがフィクションに見えた。モノの見え方、の中でも、身のまわりにあふれる画像情報から人々はどれほどの「真実」を取捨できているのか、は、今さらそれほど「ニュー」なテーマとは思えない。サバービアで見せてくれた現実のウソっぽさの活用形、というのが本展の感想かな。
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写真展巡り101121

2010-11-22 22:48:26 | 写真展

 今年の新宿駅西口はカラフルだ。

■青山裕企・田福敏史・中里伸也/写真三銃士2010/新宿眼科画廊
 写真三銃士久しぶり。青山さんはソラリーマンの人であったか。展示は女子高校生のシリーズ。中里さんのは不思議なアウトフォーカス。

■小野啓/群青/新宿ニコンサロン
 数年間に渡って撮られた高校生のポートレイト。オトナだったりコドモだったり。脱力した姿態とは裏腹に、どこか突っ張った視線だったり、指先だったり、服装だっり。何なのだろう、この直視したくない、居心地の悪さは。コンプレックスなんだろうか。橋口の十七歳の地図より俄然この子らがかわいらしく見えるのは年をとったということだろう。大半が学生であるせいもあるか。

■無心/大西マサエ/新宿ニコンサロン
 リバーサルの重い色合いが新鮮。外国みたい。撮影から展示に至るまで何段階もの思考の網に晒される中で、無心を貫いていくのは大変なことだろう。私ならどこかで無心でなくなりそう。
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写真展巡り101103

2010-11-03 23:41:06 | 写真展

■鈴木清/百の階梯、千の来歴/国立近代美術館
 行き当たりばったりのろくでもないスナップに飽き足らなくなっている今日この頃、日カメで本展の記事を見て軽い衝撃を覚え近代美術館へ。文化の日で入場無料。ラッキー。それほど広くないスペースに生前既刊の8冊の写真集の作品がダイジェストしてある。プリントは全てオリジナルのようだ。見とれてしまうような一枚というのはないのだが、それぞれが強く記憶に残り、群として訴えかけてくるような感じ。「愚者の船」は一枚ごとのメッセージがより鮮烈。久しぶりに力のある写真を見た。

 好天の休日なので、水道橋、本郷へと足を向けると、6月末に見つけた猫だまりに一匹だけいた猫にちょっかいを出していると、見覚えのあるキジトラが鳴きながら擦り寄ってきた。4ヶ月前はまだ若者風だったのが、もう大人。相変わらずやたらと毛並みがいい。


 さらに北の方に歩いて西方、千駄木、谷中。MONTHLYの5月に載せた魚拓は、すっかり剥がれ落ちていた。


 何を撮るでもなく歩き続けて、あまり猫も見かけず、足が棒になってきたので日暮里で電車に乗った。

■HYUNMIN RYU/Giggle/新宿ニコンサロン
 展の名はくすくす笑うの意。作家とその仲間が白ずくめの衣装で演じるパロディが、まじめくさった構図と色調で大きくプリントされ、見るものをクスリとさせる。

■副添智子/青い鳥/新宿ニコンサロン
 すっと目になじむスナップ。今日一日ぶらぶら歩き続けた延長のような錯覚すら覚える違和感のない視線。
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写真展10/09/25

2010-09-28 00:01:23 | 写真展
 この土曜日、朝から降ってた雨が上がってにわかに晴れ間が出てきた。昼前にはすがすがしい秋晴れ。チャリ日和なので、どこがいいかなと考えてみる。自宅から北東方向にはあまり行ったことがないかも、と、まずは水道道路をまっすぐ環七まで。中央線の北まで上がって、環八とのあいだの中野区大和町から杉並区下井草のあたりの狭い道を選んでうろついてみたものの、特に惹かれるものには出会わず。妙正寺公園では子供会の運動会らしきものが催されていて賑やかだったが、そこからは区の遊歩道を南下。荻窪あたりで思いついて、街道りぼんに寄ってみた。


■松谷友美/明るい雨/GALLERY街道りぼん
 気が付いたら外は雨だった風な、暑くなる前の季節の穏やかな雨に濡れる景色。雨の日の匂いを呼び覚ます景色、色、あるいは明るさというのは人それぞれにあるのではないかと思う。雨なのに乾いた感じがしたのは、そこが作家と私とで異なるせいだろう。
■藤田進、尾仲浩二/'88-'92街道展/GALLERY街道りぼん
 88~92年と言えばちょぅど大学生だった時期。新宿には縁のない生活だったから街道の存在は知らない。自主ギャラリーの系譜などもよく知らないが、CAMPとかMoleとかから、今も四谷・新宿界隈に散在するギャラリーの中の一つとして、西新宿にあったものなんだろうな、という程度の認識。そんな伝説のギャラリーの創設者の黄ばんだ旧作を愛でるのが本展の目的ではおそらくなくて、18日に行われたトークショーで、写真を始めたばかりの若い世代が今風の行儀よさでもっておじさんたちの若い頃の悩みのひとつでも打ち明けてもらう場を設けて安心したかったのではないか、などと邪推する。石内、大道、丹野(と言いつつ、章と清志の区別がついていない)といったそうそうたる顔ぶれによるアンケート形式の思い出話がずらりと貼りだされていて豪華なんだが、内輪話でよくわからない。


 善福寺緑地で彼岸花がぽつぽつ咲いているのを見かけた。猛暑のせいで彼岸を過ぎてからの開花か。急に終わった夏に、待ってましたとばかりの様子。
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広田尚敬/蒸気機関車の時代~昭和34年とF~

2010-07-19 23:31:28 | 写真展

 三連休は、半日出勤、大掃除と洗濯、暗室1回、近所の盆踊りの撮影2回といった感じで2日が過ぎ、最終日は7、8月に軒並み締切を迎える鉄道系のフォトコン作品の打ち出しでも、と思っていたらインクが切れていた。猛暑の中、新宿まで買い出しに行くならついでに写真展でもとネットを見てたらJCIIで広田の写真展を発見。新宿のついでとは言い難いが行ってみた。
 本展は「昭和三十四年二月北海道」と「Fの時代」という二つの写真集の作品を再構成したもの。ばりばりの鉄道古写真展かと思いきや、冒頭のスナップ写真にいきなり腰を砕かれる。停車中の旧型客車のデッキ、雪が吹き込んで真っ白になってるところに犬が一匹。手前に見えているのは荷役の馬の背か。いいなあ…。こんなの撮ってみたいなあ。
 その後続く蒸気機関車の勇姿や雄大な風景写真は、物心着いた頃には蒸機は絶滅していた世代としては記号化したものなのだが、それらに織り交ぜられた鉄道員や乗客のスナップに吸い寄せられる。根北線の客車内で座席に腰を下ろして女性客と語らう車掌の写真は、映画のワンシーンのようだ。もしかしてほんとに映画のロケ風景だったりして。ホームでくつろぐ荷役の職員達のスナップもゆるい時間の流れを存分に感じさせてくれる。一様に板を肩に背負って雪のホームに群れるスキー客の大群や馬車鉄など、もはや民俗資料館的な被写体をこんな形で見せられると、今自分が撮っている風景もいつかはそう見えるようになるのかもと不思議な気持ちにさせられたりもする。
 これまで二度も拙作のモノクロスナップを評価してくれた作家の作品がこんなにも魅力的だったことを今さらながら思い知った。
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FELIX THIOLLIER展

2010-06-24 23:45:58 | 写真展

 前の前の日曜、千葉モノレールの次の日のことだが、車の点検の待ち時間に世田谷美術館へ。どうせ古写真と高をくくって入ってみたら、階調の豊かさと人物スナップの存在にびっくり。100年前の撮影なのに、一体どんなカメラで撮ったの?と思ってたら会場の最後に真鍮メッキのレンズが取り付けられた木の箱が置いてあった。やっぱりガラス乾板?で布被るやつね。よくこんなので。どれほどのシャッター速度だったのだろう。人物がほとんどぶれていない。100年前時点で既に感材の類はそれなりに進歩していたということね。見るのに疲れるほどの点数だったが、共感の持てる写真が多かった。そうそう、こういうの撮るよね、ってかんじで。アマチュアカメラマンの超先駆け、だったんだな、この人。あいにく名前は覚えられそうにないが。。。
 苔むしたように汚れた車を点検ついでに洗ってもらい、買い換えの勧誘を、かみさんが免許取り立て壊し盛りだからと断って帰宅後、チャリでビール買い出しついでに芦花の婆さん猫詣で。かわいそうにまた耳の後ろが爛れ始めている。暑い時期ならではのものなのか。


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