キリストはダビデの子
(ルカ20:40-44)新改訳
20:40 彼らはもうそれ以上
何も質問する勇気がなかった。
20:41 すると,
イエスが彼らに言われた。
「どうして人々は,
キリストをダビデの子と言うのですか。
20:42 ダビデ自身が
詩篇の中でこう言っています。
『主は私の主に言われた。
20:43 「わたしが,
あなたの敵をあなたの足台とする時まで,
わたしの右の座に着いていなさい。」』
20:44 こういうわけで,
ダビデがキリストを主と呼んでいるのに,
どうしてキリストがダビデの子でしょう。」
イエス・キリストは
「どうして人々は,
キリストをダビデの子と言うのですか。」
と人々に問います。
イエスは,
ダビデの作った詩篇(110:1)を
引用します。
「敵をあなた(キリスト)の
足台とする時まで,
わたし(父なる神)の右の座に
着いていなさい」
キリストはローマと戦って
ダビデの王国を再建するのではなく
霊の敵と戦い
神の国を確立するのです。
○
からし種のたとえ
(マタイ13:31,32)新改訳
13:31 イエスは,
また別のたとえを彼らに示して言われた。
「天の御国は,
からし種のようなものです。
それを取って,畑に蒔くと,
13:32 どんな種よりも小さいのですが,
生長すると,
どの野菜よりも大きくなり,
空の鳥が来て,
その枝に巣を作るほどの木になります。」
イエスのたとえです。
からし種は神の言葉であり,
畑は私たちの心でしょうか。
種は成長して天の御国となります。
○
福音
(ローマ1:16,17)新改訳
1:16 私は福音を恥とは思いません。
福音は,ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも,
信じるすべての人にとって,
救いを得させる神の力です。
1:17 なぜなら,
福音のうちには神の義が啓示されていて,
その義は,
信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる」
と書いてあるとおりです。
福音とは,
罪人のための
キリストの救いの御業です。
イエスキリストを信じることによって
罪人が義とされることです。
義とは,
神によって良しとされることです。
「義人は信仰によって生きる」は
旧約聖書の預言書ハバクク2:4
の引用です。
○
神のさばき
(1コリント4:3,4)新改訳
4:3 私にとっては,
あなたがたによる判定,
あるいは,
およそ人間による判決を受けることは,
非常に小さなことです。
事実,私は自分で自分を
さばくことさえしません。
4:4 私にはやましいことは
少しもありませんが,
だからといって,
それで無罪とされるのではありません。
私をさばく方は主です。
私たちをさばくのは神です。
人からのさばきを気にしません。
そして,自分自身さえも
さばくことをしません。
○
神の右の座
(エペソ1:20,21)新改訳
1:20 神は,
その全能の力をキリストのうちに働かせて,
キリストを死者の中からよみがえらせ,
天上においてご自分の右の座に着かせて,
1:21 すべての支配,権威,
権力,主権の上に,
また,今の世ばかりでなく,
次に来る世においてもとなえられる,
すべての名の上に高く置かれました。
キリストは十字架に架けられ
死にますが,復活します。
そして天にあげられ,
「神の右の座」に着きます。
☆
キリストは教会を満たす。
(エペソ1:22)新改訳
1:22 また,神は,
いっさいのものを
キリストの足の下に従わせ,
いっさいのものの上に
立つかしらであるキリストを,
教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストのからだであり,
いっさいのものを
いっさいのものによって
満たす方の満ちておられるところです。
そして,「神の右の座」から,
教会の必要を満たします。
☆
エペソ(2:6)新改訳
「キリスト・イエスにおいて,
ともによみがえらせ,
ともに天の所に
すわらせてくださいました。」
そして私たちもまた
「神の右の座」である「天のところ」
に住まわせてくださいます。