内なるキリスト
(ガラテヤ2:20)
「私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が,
この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった神の御子を
信じる信仰によっているのです。」
パウロの言葉です。
この言葉は
多くの人によって愛されています。
暗記しているいる方も
多いようです。
私たちが
イエス・キリストを信じるなら,
わたしたちのうちに
キリストが住みます。
わたしたちの内にいるキリストを,
「内なるキリスト」,
あるいは「内住のキリスト」
と呼ぶことがあります。
パウロは,「内なるキリスト」を
次のようにも述べています。
(コロサイ1:27)
「神は聖徒たちに,
この奥義が
異邦人の間にあってどのように
栄光に富んだものであるかを,
知らせたいと思われたのです。
この奥義とは,
あなたがたの中におられる
キリスト,
栄光の望みのことです。」
「奥義」とは,神が決めた時まで,
隠してこられたことがらです。
この箇所の「奥義」とは,
イエス・キリストが
十字架にかかり,
復活し,聖霊が降り,
わたしたちの心に
キリストが宿ることです。
内なるキリストは,
旧約聖書では,
預言者のエゼキエルが
次のように預言しました。
(エゼキエル11:19-20)
「わたしは彼ら
に一つの心を与える。
すなわち,
わたしはあなたがたのうちに
新しい霊を与える。
わたしは彼らのからだから
石の心を取り除き,
彼らに肉の心を与える。
それは,
彼らがわたしのおきてに
従って歩み,
わたしの定めを
守り行なうためである。
こうして,
彼らはわたしの民となり,
わたしは彼らの神となる。」
「内なるキリスト」については,
聖歌は次のように賛美しています。
♪ 「神の子なるイエス」
(新聖歌342)
「神の子なるイエス
わが心に
住(す)まわせ給う
妙(たえ)なるかな
わが内に主は在(い)ます
奇(くす)しくも妙なる
わが内に在す主は
来るべき王なり」
ガラテヤ2:20にぴったりの曲は
次のものです。
♪
「生くる甲斐(かい)も無しと」
(新聖歌111)
1.
生くる甲斐(かい)も無しと
独り 定めたりし者を
死をも賭(と)して
救いませる
深きイェスの愛よ
十字架
十字架
そこに
君は
付きて死に給えり
十字架
十字架
そこに我の
罪も共に死せり
2.
罪をそこに付けし今は
いかで
罪に問われん
神にありて
常にきよく
生くる身にしあれば
3.
君の御手(みて)に支えられて
道を歩む我に
御名(みな)を誉むる
称(たた)え歌の
絶ゆる時はあらじ」
2015-11-07