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朝の光(聖書の言葉)

132 聖書の言葉  福音書  降誕 (ルカ1:35)ほか  2024.1.27

福音書 





降誕


(ルカ1:35)

「御使いは答えて言った。
『聖霊があなたの上に臨み,
いと高き方の力が
あなたをおおいます。
それゆえ,生まれる者は,
聖なる者,
神の子と呼ばれます。』」


神はへりくだり,

この世に来られました。

神が私たちと

一つとなるためでした。


そして,

わたしたちの心のうちに

降って来られます。


そして,

聖霊はわたしたちの

内に外にあり,

天国まで,

永遠に共にいるのです。






まぶねのかたえに

「まぶねのかたえに」

(讃美歌21 256番)


1 まぶねのかたえに われは立ちて,
  受けたるたまもの ささげまつる。
  いのちの主イェスよ,わが身も心も
  とりて祝したまえ。

2 くらき死の夜に われは伏して,
  輝く太陽 今ぞ仰ぐ。
  主こそうるわしき いのちの輝き,
  つきぬ喜びなり。

3 救いのみ恵み わが身に満ち,
  かがやくみ姿 こころに映ゆ。
  貴きわが主よ,みもとを離れて
  われはいずこに行かん。

4 きらめく明か星 うまやに照り,
  わびしき乾草 まぶねに散る。
  こがねのゆりかご 錦のうぶぎぞ
  きみにふさわしきを。

5 この世の栄えを 望みまさず,
  われらに代わりて 悩みたもう。
  とうとき貧しさ  知りえしわが身は
  いかにたたえまつらん。

6 愛する主イェスよ,今ささぐる
  ひとつの願いを 聞きたまえや。
  この身と心を 主のまぶねとなし,
  とわに宿りたまえ。

  ルカ2:7 マラ3:20 Ⅱコリ8:9






神の小羊


(ヨハネ1:29)新共同訳

「その翌日,ヨハネは,
自分の方へイエスが
来られるのを見て言った。
『見よ,
世の罪を取り除く神の小羊だ。』」


イエス・キリストは罪のための

最後のいけにえです。


☆彡


(ヨハネ1:29-34)新共同訳

「その翌日,ヨハネは,
自分の方へイエスが
来られるのを見て言った。
「見よ,世の罪を取り除く神の小羊だ。
『わたしの後から一人の人が来られる。
その方はわたしにまさる。
わたしよりも先におられたからである』
とわたしが言ったのは,
この方のことである。
わたしはこの方を知らなかった。
しかし,
この方がイスラエルに現れるために,
わたしは,
水で洗礼を授けに来た。」
そしてヨハネは証しした。
「わたしは,
“霊”が鳩のように天から降って,
この方の上にとどまるのを見た。
わたしはこの方を知らなかった。
しかし,水で洗礼を授けるために
わたしをお遣わしになった方が,
『“霊”が降って,
ある人にとどまるのを見たら,
その人が,
聖霊によって洗礼を授ける人である』
とわたしに言われた。
わたしはそれを見た。
だから,この方こそ
神の子であると証ししたのである。」





洗礼


(ルカ3:21,22)

「民衆がみな
バプテスマを受けていたころ,
イエスも
バプテスマをお受けになり,
そして祈っておられると,
天が開け,聖霊が,
鳩のような形をして,
自分の上に下られるのを
ご覧になった。
また,天から声がした。
『あなたは,わたしの愛する子,
わたしはあなたを喜ぶ。』」


イエスを信じる者は洗礼を受けます。


それは,わたしたちが,

イエスと共に洗礼を

受けたことになるのでしょう。


わたしたちにとっては

罪の悔い改め,

神への従順の表明です。


聖霊が降り,天からの声は,

主にあってわたしたちも

受けるものです。


主にあっては,

わたしたちにも,聖霊は下り,

また

『あなたは,わたしの愛する子,

わたしはあなたを喜ぶ。』

と天から声をかけてくださいます。





悪魔の誘惑


(ルカ4:1,2)

「さて,聖霊に満ちたイエスは,
ヨルダンから帰られた。
そして御霊に導かれて荒野におり,
四十日間,悪魔の試みに会われた。
その間何も食べず,
その時が終わると,
空腹を覚えられた。」



(ルカ4:13)

「誘惑の手を尽くしたあとで,
悪魔はしばらくの間
イエスから離れた。」


わたしたちも主と共にいて,

この誘惑に打ち勝ったのです。


わたしたちが主のうちにあって,

悪魔に打ち勝つのです。





山上の説教


(マタイ5:1,2)

「この群衆を見て,
イエスは山に登り,
おすわりになると,
弟子たちがみもとに来た。
そこで,イエスは口を開き,
彼らに教えて,言われた。」


山上の説教において,

十戒を新しく

教えてくださいます。


この戒めを行えたのは,

イエスだけです。


わたしたちは,

イエスの内にあって

義とされるのです。


イエスを義の衣として,

わたしたちは着ているのです。





敵を愛す


(マタイ5:44)

「わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し,
迫害する者のために祈りなさい。」


敵を愛することを,

主には出来ました。


わたしたちが主の内にあり,

主が共にいるときだけ,

自分の敵を愛することが

出来るのです。




風と湖をしかる


(マタイ8:26,27)

「イエスは言われた。
『なぜこわがるのか,
信仰の薄い者たちだ。』
それから,起き上がって,
風と湖をしかりつけられると,
大なぎになった。
人々は驚いてこう言った。
『風や湖までが
言うことをきくとは,
いったいこの方は
どういう方なのだろう。』」



イエスはへりくだった,

優しい方です。


また神として,

病をいやし,

自然を支配し,

悪魔に打ち勝ちます。





罪人を招く


(マタイ9:12,13)

「イエスはこれを聞いて言われた。
『医者を必要とするのは
丈夫な者ではなく,
病人です。
『わたしはあわれみは好むが,
いけにえは好まない』
とはどういう意味か,
行って学んで来なさい。
わたしは正しい人を
招くためではなく,
罪人を招くために来たのです。』」


イエスが来られたのは

罪人を救うためでした。

罪人に聖霊が降り,

うちに聖霊が宿ります。


☆彡


(マタイ9:9-13)

イエスは,そこを去って道を通りながら,
収税所にすわっている
マタイという人をご覧になって,
「わたしについて来なさい」
と言われた。
すると彼は立ち上がって,
イエスに従った。
イエスが家で食事の席に
着いておられるとき,
見よ,取税人や罪人が大ぜい来て,
イエスやその弟子たちといっしょに
食卓に着いていた。
すると,これを見たパリサイ人たちが,
イエスの弟子たちに言った。
「なぜ,あなたがたの先生は,
取税人や罪人といっしょに
食事をするのですか。」
イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは
丈夫な者ではなく,
病人です。
『わたしはあわれみは好むが,
いけにえは好まない』
とはどういう意味か,
行って学んで来なさい。
わたしは正しい人を
招くためではなく,
罪人を招くために来たのです。」






弟子の派遣


(マタイ10:6-8)

「イスラエルの家の
失われた羊のところに行きなさい。
行って,
『天の御国が近づいた』
と宣べ伝えなさい。
病人をいやし,
死人を生き返らせ,
ツァラアトに冒された者をきよめ,
悪霊を追い出しなさい。
あなたがたは,
ただで受けたのだから,
ただで与えなさい。」



奇蹟をするイエスのうちに,

私たちがいます。

そのイエスが業をなさいます。




祈り


(マタイ6:6)

「あなたは,
祈るときには
自分の奥まった部屋に入りなさい。
そして,戸をしめて,
隠れた所におられる
あなたの父に祈りなさい。
そうすれば,
隠れた所で見ておられる
あなたの父が,
あなたに報いてくださいます。」


祈りは内なる聖霊を通して,

イエスと交わることです。


それが願ともなります。





たとえで話す


(マタイ13:10,11)

「すると,
弟子たちが近寄って来て,
イエスに言った。
『なぜ,彼らにたとえで
お話しになったのですか。』
イエスは答えて言われた。
『あなたがたには,
天の御国の奥義を
知ることが許されているが,
彼らには許されていません。』」


イエスの教えは

弟子にしかわかりませんでした。

イエスを信じない者には

たとえで話されました。


たとえは,

わたしたちの内の聖霊によって

解き明かされます。






くびきを負う


(マタイ11:28-30)

「すべて,疲れた人,
重荷を負っている人は,
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを
休ませてあげます。
わたしは心優しく,
へりくだっているから,
あなたがたも
わたしのくびきを負って,
わたしから学びなさい。
そうすればたましいに
安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく,
わたしの荷は軽いからです。」



イエスの軛を負うことは,

わたしたちにとっては,

少しも重荷にはなりません。


主がともにおられるからです。




うちに住む御霊


(ヨハネ14:15-17)

「もしあなたがたが
わたしを愛するなら,
あなたがたは
わたしの戒めを守るはずです。
わたしは父にお願いします。
そうすれば,
父はもうひとりの助け主を
あなたがたにお与えになります。
その助け主が
いつまでもあなたがたと,
ともにおられるためにです。
その方は,真理の御霊です。
世はその方を
受け入れることができません。
世はその方を見もせず,
知りもしないからです。
しかし,
あなたがたは
その方を知っています。
その方はあなたがたとともに住み,
あなたがたのうちに
おられるからです。」


聖霊はわたしたちの内にいます。




自分の十字架を負う


(マタイ16:24,25)

「それから,
イエスは弟子たちに言われた。
『だれでもわたしに
ついて来たいと思うなら,
自分を捨て,
自分の十字架を負い,
そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと
思う者はそれを失い,
わたしのためにいのちを失う者は,
それを見いだすのです。』」


自分を捨て,

イエスを信じ従うなら,

命を見つけるのです。


いのちは,

イエスのうちにあります。






聖餐式


(マタイ26:26-29)

「彼らが食事をしているとき,
イエスはパンを取り,
祝福して後,
これを裂き,
弟子たちに与えて言われた。
『取って食べなさい。
これはわたしのからだです。』
また杯を取り,
感謝をささげて後,
こう言って彼らにお与えになった。
『みな,この杯から飲みなさい。
これは,わたしの契約の血です。
罪を赦すために
多くの人のために
流されるものです。
ただ,言っておきます。
わたしの父の御国で,
あなたがたと
新しく飲むその日までは,
わたしはもはや,
ぶどうの実で造った物を
飲むことはありません。』


聖餐式は,わたしたちの内に

イエスを受け入れることです。




真理の霊


(ヨハネ15:26)新共同訳 

「 わたしが父のもとから
あなたがたに
遣わそうとしている弁護者,
すなわち,
父のもとから出る
真理の霊が来るとき,
その方がわたしについて
証しをなさるはずである。」


イエスは「弁護者」,

「真理の霊」を

わたしたちに送ってくださいます。


「弁護者」,「真理の霊」とは

聖霊のことです。




父なる神の愛


(ヨハネ17:26)新共同訳 

「わたしは
御名を彼らに知らせました。
また,これからも知らせます。
わたしに対するあなたの愛が
彼らの内にあり,
わたしも彼らの内に
いるようになるためです。」


父なる神は,

子なる神であるイエスを

愛しています。


この愛が,

イエスを信じる者に

あるようにと言います。





十字架


(ルカ19:16-19)

「そこでピラトは,そのとき,
イエスを,
十字架につけるため
彼らに引き渡した。
彼らはイエスを受け取った。
そして,
イエスはご自分で
十字架を負って,
『どくろの地』という場所
(ヘブル語でゴルゴタと言われる)
に出て行かれた。
彼らはそこで
イエスを十字架につけた。
イエスといっしょに,
ほかのふたりの者を
それぞれ両側に,
イエスを真ん中にしてであった。
ピラトは罪状書きも書いて,
十字架の上に掲げた。
それには
『ユダヤ人の王ナザレ人イエス』
と書いてあった。」


イエスが私たちと共に

一つとなり十字架につけられました。

十字架での苦しみはイエスにあり,

信じる者は主の内にあるのですが,

苦しみは主が背負ったのです。




埋葬


(ヨハネ19:41,42)

「イエスが
十字架につけられた場所に
園があって,
そこには,
まだだれも葬られたことのない
新しい墓があった。
その日がユダヤ人の
備え日であったため,
墓が近かったので,
彼らはイエスをそこに納めた。」


埋葬は

イエスの死が

確かなものであることを

示している。


しかし,わたしたちにとっては,

安息の時でもあり,

次の復活を待つ時です。




復活


(マタイ28:5-7)

「すると,
御使いは女たちに言った。
『恐れてはいけません。
あなたがたが十字架につけられた
イエスを捜しているのを,
私は知っています。
ここにはおられません。
前から言っておられたように,
よみがえられたからです。
来て,
納めてあった場所を
見てごらんなさい。
ですから急いで行って,
お弟子たちにこのことを知らせなさい。
イエスが死人の中から
よみがえられたこと,
そして,
あなたがたより先に
ガリラヤに行かれ,
あなたがたは,
そこで,
お会いできるということです。
では,
これだけはお伝えしました。』」



イエスが復活したとき,

私たちはイエスの内にいました。

主と共に,死に打ち勝のです。


わたしたちの罪は,

イエスが背負い,

イエスの赦しと義は

わたしたちが受けるという

転換(チェンジ)が起きたのです。


(ローマ5:8,9)

「しかし
私たちがまだ罪人であったとき,
キリストが
私たちのために
死んでくださったことにより,
神は私たちに対する
ご自身の愛を
明らかにしておられます。
ですから,
今すでにキリストの血によって
義と認められた私たちが,
彼によって
神の怒りから救われるのは,
なおさらのことです。」





主が共にいます


(マタイ28:18-20)

「イエスは近づいて来て,
彼らにこう言われた。
『わたしには天においても,
地においても,
いっさいの権威が
与えられています。
それゆえ,あなたがたは行って,
あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして,父,子,聖霊の御名によって
バプテスマを授け,
また,わたしがあなたがたに
命じておいた
すべてのことを守るように,
彼らを教えなさい。
見よ。
わたしは,世の終わりまで,
いつも,
あなたがたとともにいます。』」



わたしたちは,

復活のイエスと共に生きます。


わたしたちは,

聖霊によって

イエスと交わることが出来ます。


そして,主にあって歩み,

祈り,喜び,感謝が出来るのです。





ペンテコステ


(使徒2:2-4)

「すると突然,天から,
激しい風が吹いて来るような
響きが起こり,
彼らのいた家全体に響き渡った。
また,炎のような分かれた舌が現れて,
ひとりひとりの上にとどまった。
すると,みなが聖霊に満たされ,
御霊が話させてくださるとおりに,
他国のことばで話しだした。」


わたしたちが聖霊を受けるのですが

聖霊はわたしたちが,

天地創造の時から,

天国に入るまで,

イエス・キリストの生涯を通し

永遠から永遠まで共にいて,

すべてのことを知らせてくださいます。


聖霊はわたしたちの心に満たされます。

そして,イエス・キリスト御自身と

恵みのすべてをわたしたちは,

受け取ることが出来るのです。




天に上げられる


(ルカ24:50-53)

「それから,イエスは,
彼らをベタニヤまで連れて行き,
手を上げて祝福された。
そして祝福しながら,
彼らから離れて行かれた。
彼らは,
非常な喜びを抱いて
エルサレムに帰り,
いつも宮にいて
神をほめたたえていた。」




神の右の座


(エペソ1:20-23)

「神は,その全能の力を
キリストのうちに働かせて,
キリストを死者の中から
よみがえらせ,
天上において
ご自分の右の座に着かせて,
すべての支配,権威,権力,
主権の上に,
また,今の世ばかりでなく,
次に来る世において
もとなえられる,
すべての名の上に
高く置かれました。
また,神は,いっさいのものを
キリストの足の下に従わせ,
いっさいのものの上に立つ
かしらであるキリストを,
教会にお与えになりました。
教会はキリストのからだであり,
いっさいのものを
いっさいのものによって
満たす方の
満ちておられるところです。」


主が今ともにいてくださいます。


キリストの愛からは

引き離されません





将来の栄光


(ローマ8:23)

「そればかりでなく,
御霊の初穂を
いただいている私たち自身も,
心の中でうめきながら,
子にしていただくこと,
すなわち,
私たちのからだの贖われることを
待ち望んでいます。」



からだが,

イエス・キリストの再臨のとき

贖われます。


私たちの体が回復し,完成します。

そして,栄光が与えられます。


この恵みは,

待ち望み与えられる恵みです。




新しい天と地


(黙示21:3,4)

「そのとき私は,
御座から出る大きな声が
こう言うのを聞いた。
『見よ。
神の幕屋が人とともにある。
神は彼らとともに住み,
彼らはその民となる。
また,
神ご自身が彼らとともにおられて,
彼らの目の涙を
すっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく,
悲しみ,叫び,苦しみもない。
なぜなら,以前のものが,
もはや過ぎ去ったからである。』」


天国では,

神は人と共に住んでいます。


神が天地を造りましたが,

人が罪を犯し,

破壊されましたが,

イエスの贖いによって,

回復されます。


そして,

完成された姿がここにあります。





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