イエス・キリスト 2022.6.30
1.
言葉が肉となった
(ヨハネ1:1)
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。」
○
イエスの名を受け入れる
(ヨハネ1:12口語訳)
「彼を受けいれた者,
すなわち,
その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を
与えたのである。」
イエスの名を受け入れ,
信じる人は,神の子となります。
私たちは行いでは救われません。
神の言が肉体を取ったお方が,
イエス・キリストです。
神の言葉である
イエスを信じることによって
救われます。
○
受胎告知
おことばどおり (ルカ1:38)
「マリヤは言った。
『ほんとうに,
私は主のはしためです。
どうぞ,あなたのおことばどおり
この身になりますように。』」
マリヤに示された,御使いの
「こわがることはない。
マリヤ。
あなたは神から
恵みを受けたのです。」
と言う約束にたいしての,
マリヤの祈りです。
驚いたマリヤも,
神の言葉どうりになりますようにと
言う祈りになります。
☆彡
(ルカ1:26-38)
ところで,その六か月目に,
御使いガブリエルが,
神から遣わされて
ガリラヤのナザレという町の
ひとりの処女のところに来た。
この処女は,
ダビデの家系の
ヨセフという人のいいなずけで,
名をマリヤといった。
御使いは,はいって来ると,
マリヤに言った。
「おめでとう,恵まれた方。
主があなたとともにおられます。」
しかし,マリヤはこのことばに,
ひどくとまどって,
これはいったい何のあいさつかと
考え込んだ。
すると御使いが言った。
「こわがることはない。
マリヤ。
あなたは神から
恵みを受けたのです。
ご覧なさい。
あなたはみごもって,
男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり,
いと高き方の子と呼ばれます。
また,神である主は
彼にその父ダビデの王位を
お与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め,
その国は
終わることがありません。」
そこで,マリヤは御使いに言った。
「どうして
そのようなことになりえましょう。
私はまだ男の人を
知りませんのに。」
御使いは答えて言った。
「聖霊があなたの上に臨み,
いと高き方の力が
あなたをおおいます。
それゆえ,生まれる者は,
聖なる者,神の子と呼ばれます。
ご覧なさい。
あなたの親類のエリサベツも,
あの年になって
男の子を宿しています。
不妊の女といわれていた人なのに,
今はもう六か月です。
神にとって
不可能なことは
一つもありません。」
マリヤは言った。
「ほんとうに,
私は主のはしためです。
どうぞ,
あなたのおことばどおり
この身になりますように。」
こうして
御使いは彼女から去って行った。
○
イエスの誕生
(ルカ2:6,7新共同訳)
「彼らがベツレヘムにいるうちに,
マリアは月が満ちて,
初めての子を産み,
布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所が
なかったからである。」
(ルカ2:7)
「男子の初子を産んだ。
それで,布にくるんで,
飼葉おけに寝かせた。
宿屋には彼らのいる場所が
なかったからである。」
イエス・キリストは,
神が人となってきたものですが,
へりくだった人ととしてきました。
「彼らがそこにいる間に」(ルカ2:6)
メシヤが生れて
ミカ5:2の預言が成就します。
「満ちて」は
「(神によって)満たされた」で,
単に「臨月になった」という以上に,
「神の時がついに満ちた」
との意味があります。
ルカはマリヤのイエス出産を
たった一語
「産んだ」(2:7)とだけ記します。
出産そのものには奇蹟的なことは
何もありませんでした。
マリヤが自分で
「布にくるんで……寝かせた」
ようであり,
それが後に羊飼いたちへの
しるしとなります。(12)
○
羊飼いの礼拝
(ルカ2:11-12)
「きょうダビデの町で,
あなたがたのために,
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがたは,
布にくるまって
飼葉おけに寝ておられる
みどりごを見つけます。
これが,
あなたがたのためのしるしです。」
神はこの宝物を,
飼い葉おけの中に
入れてくださいました。
救い主が,
飼い葉おけで
寝かされていることが,
しるしでした。
この神の子に出会えた人は
幸せでした。
神はへりくだった姿で
来られました。
イエス・キリストは,
最も貧しい者として生まれました。
このことばを,
何の抵抗もなく受け入れたのは,
野宿をしていた羊飼いでした。
キリストは,
貧しく生まれました。
はじめて礼拝する者も,
貧しい人たちでした。
○
イエス,洗礼を受ける。
(ルカ3:21,22)
「民衆がみな
バプテスマを受けていたころ,
イエスもバプテスマを
お受けになり,
そして祈っておられると,
天が開け,
聖霊が,鳩のような形をして,
自分の上に下られるのを
ご覧になった。
また,天から声がした。
『あなたは,わたしの愛する子,
わたしはあなたを喜ぶ。』」
イエス・キリストが
洗礼を受けたときの様子です。
わたしたちが
イエス・キリストを信じるなら,
イエスと一つとなります。
そして,天が開け,
聖霊が降ります。
天からの声である
「あなたは,
わたしの愛する子,
わたしはあなたを喜ぶ」
は,
わたしたちにも語られるのです。
○
(マタイ4: 23)
「イエスはガリラヤ全土を巡って,
会堂で教え,
御国の福音を宣べ伝え,
民の中のあらゆる病気,
あらゆるわずらいを直された。」
イエス・キリストは,
御国の福音を宣べ伝え,
病気,患い,悪霊についた人を
いやされます。
神の国はたましいや霊だけでなく,
体や心のための癒しであり,
祝福でした。
○
山上の説教
敵を愛し,
迫害する者のために祈れ。
(マタイ5:43,44)
「『自分の隣人を愛し,
自分の敵を憎め』
と言われたのを,
あなたがたは聞いています。
しかし,
わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し,
迫害する者のために祈りなさい。」
イエスは,ガリラヤ地方の山に登り,
弟子たちに,
新しい教えをします。
隣人に対する考えを
イエス・キリストが教えています。
イエスは自分の敵さえも愛するようにと,
言います。
それは,人を分け隔てせず,
太陽や雨という恩恵を与える
神の愛に倣うものです。
○
5千人に食べ物を与える
(マタイ14:19-21)
「そしてイエスは,
群衆に命じて草の上にすわらせ,
五つのパンと二匹の魚を取り,
天を見上げて,それらを祝福し,
パンを裂いて
それを弟子たちに与えられたので,
弟子たちは群衆に配った。
人々はみな,食べて満腹した。
そして,
パン切れの余りを取り集めると,
十二のかごにいっぱいあった。」
ユダヤ人は,
第2のモーセである
メシア(キリスト)は,
モーセがしたことを
みな行うと信じていました。
この奇蹟は,
天からのマナが再び降りさせた
イエスこそが
真のキリストであることを
示しました。
これはイスラエルの民が荒野で
神からマナを与えられた
奇蹟を思い起します。
民を養う神のわざをイエスが再現し,
彼がメシヤであることがあかしされた,
マナを与えた神の立場に
イエスが立っているとも言えます。
この奇蹟には終末の神の国で
食卓を囲む祝福の先取りの
意味もあります。
○
パラダイスにいる
(ルカ23:42,43)
「(犯罪人の一人が)言った,
『イエスよ,
あなたが御国の権威をもって
おいでになる時には,
わたしを思い出してください』。
イエスは言われた,
『よく言っておくが,
あなたはきょう,
わたしと一緒に
パラダイスにいるであろう』」。
「パラダイス」とは,
エデンの園であり,
神の国であり,天国です。
この犯罪人は,
イエスを頼り信じました。
そして,
業によらず,神の恵みと,
信仰によって救われ,
パラダイスに入れられました。
○
エマオの途上の二人の弟子たちへの
現われ(顕現)
(ルカ24:33-35)
「すぐさまふたりは立って,
エルサレムに戻ってみると,
十一使徒とその仲間が集まって,
『本当に主はよみがえって,
シモンにお姿を現わされた。』
といっていた。
彼らも,
道であったいろいろなことや,
パンを裂かれたときに
イエスだとわかった次第を
話した。」
弟子たちは復活したイエスに
会いましたが,
イエスとは分かりませんでした。
そのあと
ふたりの弟子は,
十字架に架かったイエスが
復活し生きていることが
わかりました。
ペテロにもイエスが復活し,
現れていました。
(ヨハネ24:34)
○
昇天
(ルカ24:50-53)
「それから,
イエスは彼らを
ベタニヤの近くまで連れて行き,
手をあげて彼らを祝福された。
祝福しておられるうちに,
彼らを離れて,天にあげられた。
彼らはイエスを拝し,
非常な喜びをもって
エルサレムに帰り,
絶えず宮にいて,
神をほめたたえていた。」
イエス・キリストは復活し,
弟子たちに現れ(顕現),
天に昇ります(昇天)します。
イエス・キリストの昇天は,
弟子たちにとっては
イエスとの別離でした。
弟子たちは喜びに満たされ,
神をほめたたえます。
そして,使徒行伝へとつながり,
聖霊の降臨(ペンテコステ)が
続きます。
イエス・キリストは天に昇り,
「神の右の座」についています。
「神の右の座」は,
神と同じ権限を持つということです。
天とは,高いところではありません。
天は,
わたしたちから離れたところでなく,
私たちと共にあるところです。
イエス・キリストは,
わたしたちの心の中にいます。
○
ペンテコステ(五旬節)
(使徒2:1-4)
「五旬節の日になって,
みなが一つ所に集まっていた。
すると突然,天から,
激しい風が吹いてくるような
「五旬節の日になって,
みなが一つ所に集まっていた。
すると突然,天から,
激しい風が吹いてくるような
響きが起こり,
彼らのいた家全体に響き渡った。
また,
彼らのいた家全体に響き渡った。
また,
炎のような分かれた舌が現われて,
ひとりひとりの上にとどまった。
すると,みなが聖霊に満たされ,
御霊が話させてくださるとおりに,
他国のことばで話しだした。」
ひとりひとりの上にとどまった。
すると,みなが聖霊に満たされ,
御霊が話させてくださるとおりに,
他国のことばで話しだした。」
イエスが私たちの罪を購うために
十字架に架けられます。
死んで葬られて3日目に復活します。
復活した日(イースター,復活祭)
から50日目に,
キリストの弟子たちの上に天から
聖霊がくだります。
この日を教会が誕生した日とし,
ペンテコステ(聖霊降臨日)
と言います。
ペンテコステ(五旬節)の出来事は,
弟子たちが異言をかたり,
聖霊に満たされる体験でした。
それは,次のペテロの説教の通り,
ヨエルの預言の成就でした。
(使徒2:15-20)
(使徒2:15-20)
「今は朝の九時ですから,
あなたがたの思っているように
この人たちは
酔っているのではありません。
これは,
これは,
預言者ヨエルによって
語られた事です。
『神は言われる。
終わりの日に,
『神は言われる。
終わりの日に,
わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると,
すると,
あなたがたの息子や娘は預言し,
青年は幻を見,
青年は幻を見,
老人は夢を見る。
その日,わたしのしもべにも,
はしためにも,
その日,わたしのしもべにも,
はしためにも,
わたしの霊を注ぐ。
すると,彼らは預言する。
また,わたしは,
すると,彼らは預言する。
また,わたしは,
上は天に不思議なわざを示し,
下は地にしるしを示す。
それは,
下は地にしるしを示す。
それは,
血と火と立ち上る煙である。
主の大いなる輝かしい日が
主の大いなる輝かしい日が
来る前に,
太陽はやみとなり,
太陽はやみとなり,
月は血に変わる。」
○
イエス・キリストの再臨
(使徒1:9-11)
「こう言ってから,
イエスは彼らが
見ている間に上げられ,
雲に包まれて,
見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき,
弟子たちは天を見つめていた。
すると,見よ,
白い衣を着た人がふたり,
彼らのそばに立っていた。
そして,こう言った。
『ガリラヤの人たち。
なぜ天を見上げて
雲に包まれて,
見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき,
弟子たちは天を見つめていた。
すると,見よ,
白い衣を着た人がふたり,
彼らのそばに立っていた。
そして,こう言った。
『ガリラヤの人たち。
なぜ天を見上げて
立っているのですか。
あなたがたを離れて
あなたがたを離れて
天に上げられたこのイエスは,
天に上って行かれるのを
あなたがたが見たときと
天に上って行かれるのを
あなたがたが見たときと
同じ有様で,
またおいでになります。』」
イエス・キリストが
またおいでになります。』」
イエス・キリストが
「座したたまえり」から,
「キリストが来たる」ことが
「キリストが来たる」ことが
始まります。
天にいるイエス・キリストは,
栄光のうちに再びこられるのです。
キリストは,
キリストは,
わたしたちの罪の代わりに
死んでくださった過去の方です。
また,天に挙げられ,
神の右に座し,
わたしたちと共にいる,
現在の方です。
そして,来るべき,
栄光の方であり,
イエス・キリストは
イエス・キリストは
わたしたちのすべての希望を
実現させる方です。
☆彡
すべての人を裁く
(マタイ25:31-46)
「人の子が,その栄光を帯びて,
すべての御使いたちを
伴って来るとき,
人の子はその栄光の位に着きます。
そして,すべての国々の民が,
その御前に集められます。
彼は,
人の子はその栄光の位に着きます。
そして,すべての国々の民が,
その御前に集められます。
彼は,
羊飼いが羊と山羊とを
分けるように,
彼らをより分け,
羊を自分の右に,
彼らをより分け,
羊を自分の右に,
山羊を左に置きます。
そうして,王は,
そうして,王は,
その右にいる者たちに言います。
『さあ,
『さあ,
わたしの父に祝福された人たち。
世の初めから,
あなたがたのために備えられた
世の初めから,
あなたがたのために備えられた
御国を継ぎなさい。
あなたがたは,
あなたがたは,
わたしが空腹であったとき,
わたしに食べる物を与え,
わたしに食べる物を与え,
わたしが渇いていたとき,
わたしに飲ませ,
わたしが旅人であったとき,
わたしに飲ませ,
わたしが旅人であったとき,
わたしに宿を貸し,
わたしが裸のとき,
わたしが裸のとき,
わたしに着る物を与え,
わたしが病気をしたとき,
わたしが病気をしたとき,
わたしを見舞い,
わたしが牢にいたとき,
わたしをたずねて
わたしが牢にいたとき,
わたしをたずねて
くれたからです。』
すると,その正しい人たちは,
すると,その正しい人たちは,
答えて言います。
『主よ。
いつ,私たちは,
『主よ。
いつ,私たちは,
あなたが空腹なのを見て,
食べる物を差し上げ,
渇いておられるのを見て,
渇いておられるのを見て,
飲ませてあげましたか。
いつ,
いつ,
あなたが旅をしておられるときに,
泊まらせてあげ,
裸なのを見て,
裸なのを見て,
着る物を差し上げましたか。
また,いつ,私たちは,
また,いつ,私たちは,
あなたのご病気や
あなたが牢におられるのを見て,
おたずねしましたか。』
すると,
おたずねしましたか。』
すると,
王は彼らに答えて言います。
『まことに,
『まことに,
あなたがたに告げます。
あなたがたが,
あなたがたが,
これらのわたしの兄弟たち,
しかも最も小さい者たちの
しかも最も小さい者たちの
ひとりにしたのは,
わたしにしたのです。』
それから,王はまた,
わたしにしたのです。』
それから,王はまた,
その左にいる者たちに言います。
『のろわれた者ども。
わたしから離れて,
『のろわれた者ども。
わたしから離れて,
悪魔とその使いたちのために
用意された永遠の火にはいれ。
おまえたちは,
おまえたちは,
わたしが空腹であったとき,
食べる物をくれず,
渇いていたときにも飲ませず,
わたしが旅人であったときにも
渇いていたときにも飲ませず,
わたしが旅人であったときにも
泊まらせず,
裸であったときにも
着る物をくれず,
病気のときや牢にいたときにも
病気のときや牢にいたときにも
たずねてくれなかった。』
そのとき,
そのとき,
彼らも答えて言います。
『主よ。
『主よ。
いつ,私たちは,
あなたが空腹であり,
渇き,旅をし,
渇き,旅をし,
裸であり,病気をし,
牢におられるのを見て,
牢におられるのを見て,
お世話を
しなかったのでしょうか。』
すると,
すると,
王は彼らに答えて言います。
『まことに,
『まことに,
おまえたちに告げます。
おまえたちが,
おまえたちが,
この最も小さい者たちの
ひとりにしなかったのは,
わたしにしなかったのです。』
こうして,
わたしにしなかったのです。』
こうして,
この人たちは永遠の刑罰にはいり,
正しい人たちは
正しい人たちは
永遠のいのちにはいるのです。」
○
主の再臨
(ルカ21:25-28)
「そして,日と月と星には,
前兆が現れ,
地上では,諸国の民が,
海と波が荒れどよめくために
不安に陥って悩み,
人々は,その住むすべての所を
襲おうとしていることを予想して,
恐ろしさのあまり気を失います。
天の万象が
揺り動かされるからです。
そのとき,人々は,
人の子が力と輝かしい栄光を
帯びて雲に乗って来るのを
見るのです。
これらのことが起こり始めたなら,
からだをまっすぐにし,
頭を上に上げなさい。
贖いが近づいたのです。」
○
雲の中に一挙に引き上げられる
(1テサロニケ4:16,17)
「主は,号令と,
御使いのかしらの声と,
神のラッパの響きのうちに,
ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が,
まず初めによみがえり,
次に,生き残っている私たちが,
たちまち彼らといっしょに
雲の中に一挙に引き上げられ,
空中で主と会うのです。
このようにして,
私たちは,
いつまでも主とともに
いることになります。」
○
「御使いのかしらの声と,
神のラッパの響きのうちに,」
神のラッパの響きのうちに,」
「雲の中に一挙に引き上げられ」
再臨のときの様子です。
「神の栄光」があらわれます。
○
テサロニケの教会では,
キリストが
キリストが
まもなく再臨するのだから
働く必要はないと
働く必要はないと
考える者がいました。
すでに死んだ者は
すでに死んだ者は
キリストの再臨に
与かることがないと考え,
悲しむ者がいました。
キリストの再臨以前に
悲しむ者がいました。
キリストの再臨以前に
死んだ信者は,
再臨の祝福に
再臨の祝福に
与かれないのではないか
という誤解に答えるために,
パウロは答えました。
パウロは答えました。
○
天国
(ヨハネ黙示21:3,4)口語訳
「御座から大きな声が
叫ぶのを聞いた。
『見よ,神の幕屋が人と共にあり,
神が人と共に住み,
人は神の民となり,
神自ら人と共にいまして
人の目から
涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや,死もなく,悲しみも,
叫びも,痛みもない。』」
神が人と共に住むことが,
究極のもの,天国です。
☆彡
(ヨハネ黙示21:1-4)
「わたしはまた,
新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り,
海もなくなってしまった。
また,聖なる都,
新しいエルサレムが,
夫のために着飾った花嫁のように
用意をととのえて,
神のもとを出て,
天から下って来るのを見た。
また,御座から大きな声が
叫ぶのを聞いた,
『見よ,神の幕屋が人と共にあり,
神が人と共に住み,
人は神の民となり,
神自ら人と共にいまして,
人の目から涙を
全くぬぐいとって下さる。
もはや,死もなく,悲しみも,
叫びも,痛みもない。
先のものが,
すでに過ぎ去ったからである』」。
2024.1.28 掲載