3.
2列王記18:1-25:30
来た王国滅亡語のユダ王国の歴史
(サマリヤ没落からバビロン捕囚まで)
○
(2列王記22:1,2)
「ヨシヤは八歳で王となり,
エルサレムで三十一年間,
王であった。
彼の母の名はエディダといい,
ボツカテの出のアダヤの娘であった。
彼は主の目にかなうことを行って,
先祖ダビデのすべての道に歩み,
右にも左にもそれなかった。」
○
ヨシヤ王の改革
(2列王記22:11)
「王は律法の書のことばを聞いたとき,
自分の衣を裂いた。」
ヨシヤは南ユダの王です。
神殿の補助工場の最中,
大祭司昼ヒルキヤが
モーセの律法の書を発見し,
宗教改革が始まります。
ヨシヤ在位18年目,26歳のとき,
王は神殿の補修工事を指示しました。
この工事の最中に,
大祭司ヒルキヤが
モーセの律法の書を発見したのです。
王は,律法の書を聞いて悔い改めます。
ここから,
南ユダの宗教改革が始まります。
☆彡
ヨシヤ王の改革
(2列王記22:11-20)
王はその律法の書の言葉を聞くと,
その衣を裂いた。
そして王は祭司ヒルキヤと,
シャパンの子アヒカムと,
ミカヤの子アクボルと,
書記官シャパンと,
王の大臣アサヤとに命じて言った,
「あなたがたは行って,
この見つかった書物の言葉について,
わたしのため,民のため,
またユダ全国のために主に尋ねなさい。
われわれの先祖たちが
この書物の言葉に聞き従わず,
すべてわれわれについて
しるされている事を行わなかったために,
主はわれわれにむかって,
大いなる怒りを
発しておられるからです」。
そこで祭司ヒルキヤ,アヒカム,
アクボル,シャパンおよびアサヤは
シャルムの妻である
女預言者ホルダのもとへ行った。
シャルムは
ハルハスの子であるテクワの子で,
衣装べやを守る者であった。
その時ホルダは
エルサレムの下町に住んでいた。
彼らがホルダに告げたので,
ホルダは彼らに言った,
「イスラエルの神,
主はこう仰せられます,
『あなたがたをわたしに
つかわした人に言いなさい。
主はこう言われます,
見よ,わたしはユダの王が
読んだあの書物の
すべての言葉にしたがって,
災をこの所と,
ここに住んでいる民に
下そうとしている。
彼らがわたしを捨てて
他の神々に香をたき,
自分たちの手で作った
もろもろの物をもって,
わたしを怒らせたからである。
それゆえ,
わたしはこの所にむかって
怒りの火を発する。
これは消えることがないであろう』。
ただし主に尋ねるために,
あなたがたをつかわした
ユダの王にはこう言いなさい,
『あなたが聞いた言葉について
イスラエルの神,
主はこう仰せられます,
あなたは,わたしがこの所と,
ここに住んでいる民にむかって,
これは荒れ地となり,
のろいとなるであろうと言うのを聞いた時,
心に悔い,主の前にへりくだり,
衣を裂いてわたしの前に泣いたゆえ,
わたしもまたあなたの言うことを
聞いたのであると主は言われる。
それゆえ,見よ,
わたしはあなたを
先祖たちのもとに集める。
あなたは安らかに墓に集められ,
わたしがこの所に下す
もろもろの災を
目に見ることはないであろう』」。
彼らはこの言葉を王に持ち帰った。
○
ヨシヤは,南ユダ王国の王です。
ヨシヤは「申命記法典」の発見によって,
契約を更新し,偶像を破壊します。
まもなく
バビロンとエジプトの抗争に巻き込まれ,
エジプトの王ネコによって,
南ユダは倒されました。
○
(2列王記24:29)
「そこで主は,カルデヤ人の略奪隊,
アラムの略奪隊,モアブの略奪隊,
アモン人の略奪隊を遣わして
エホヤキムを攻められた。
ユダを攻めて,
これを滅ぼすために彼らを遣わされた。
主がそのしもべである預言者たちによって
告げられたことばのとおりであった。」
〇
ユダ,バビロンに捕囚される
(2列王記25:1)
「ゼデキヤの治世の第九年,
第十の月の十日に,
バビロンの王ネブカデネザルは,
その全軍勢を率いて
エルサレムを攻めに来て,
これに対して陣を敷き,
周囲に塁を築いた。」
南ユダは,
来たイスラエルが捕囚になってから,
150年生き延びます。
エルサレムは
紀元前587年に陥落します。
神殿は焼かれ,
ゼデキヤ王は屈辱的な捕虜となります。
(25章1~7節)
しかし,
南ユダもバビロンの捕囚となります。
南ユダが捕囚という出来事は,
代々積み重ねられてきた
罪のためでした。
☆彡
(2列王記25:1-7)
「ゼデキヤの治世の第九年,
第十の月の十日に,
バビロンの王ネブカデネザルは,
その全軍勢を率いて
エルサレムを攻めに来て,
これに対して陣を敷き,
周囲に塁を築いた。
こうして町は
ゼデキヤ王の第十一年まで
包囲されていたが,
第四の月の九日,町の中では,
ききんがひどくなり,
民衆に食物がなくなった。
そのとき,町が破られ,
戦士たちはみな夜のうちに,
王の園のほとりにある
二重の城壁の間の門の道から町を出た。
カルデヤ人が町を包囲していたので,
王はアラバへの道を行った。
カルデヤの軍勢が王のあとを追い,
エリコの草原で彼に追いついたとき,
王の軍隊は
みな王から離れて散ってしまった。
そこでカルデヤ人は王を捕え,
リブラにいるバビロンの王のところへ
彼を連れ上り,彼に宣告を下した。
彼らはゼデキヤの子らを
彼の目の前で虐殺した。
王はゼデキヤの両目をえぐり出し,
彼を青銅の足かせにつないで,
バビロンへ連れて行った。」
○
ヨシヤ王の宗教改革
(2歴代 34:1-3)
「ヨシヤは八歳で王となり,
三十一年間エルサレムで王位にあった。
彼は主の目にかなう正しいことを行い,
父祖ダビデの道を歩み,
右にも左にもそれなかった。
その治世の第八年,
彼がまだ若かったときに,
父祖ダビデの神を求めることを始め,
第十二年に聖なる高台,
アシェラ像,彫像,鋳物の像を取り除き,
ユダとエルサレムを清め始めた。」
(2列王記22:1,2)
「ヨシヤは八歳で王となり,
エルサレムで三十一年の間,
世を治めた。
母はボヅカテのアダヤの娘で,
名をエデダといった。
ヨシヤは主の目にかなう事を行い,
先祖ダビデの道に歩んで
右にも左にも曲らなかった。」
(2列22:1,2)
「南ユダでは,ヨシヤ王が,
主の目にかなう歩みをして,
先祖ダビデの道から
それることがありませんでした。」
彼がその治世の間に着手したことは,
当時の生活と宗教の改革でした。
その改革は,彼の治世の第18年に
主の宮の大祭司ヒルキヤによって
発見された「律法の書」のことばに
よってなされました。
(2歴34:14‐15).
(2列王記22:8)
「その時大祭司ヒルキヤは
書記官シャパンに言った,
『わたしは主の宮で
律法の書を見つけました』。
そしてヒルキヤが
その書物をシャパンに渡したので,
彼はそれを読んだ。」
○
イスラエルの民は,
ソロモンの王の後は
北イスラエルと南ユダの
2つに分裂します。
そして,北イスラエルはアッシリヤに,
南ユダはバビロニヤに捕囚されます。
バビロニヤがペルシャに敗れ,
イスラエルの民は
カナンの地に帰還します。
この間は,神は預言者を通して,
イスラエルの民を導きます。