降誕
(ルカ1:35 口語訳)
「御使が答えて言った,
『聖霊があなたに臨み,
いと高き者の力が
あなたをおおうでしょう。
それゆえに,
生れ出る子は聖なるものであり,
神の子と,となえられるでしょう。』」
天使が,
イエスの母マリヤに語ったものです。
イエス・キリストの降誕は
聖霊によるものでした。
イエスさまのご生涯の初めから
十字架の死と復活,
そして天に帰られるまで
すべて聖霊の働きによりました。
○
救い主イエス・キリスト到来
(ヨハネ13:34,35 口語訳)
「わたしは,
新しいいましめをあなたがたに与える,
互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。
互に愛し合うならば,それによって,
あなたがたが
わたしの弟子であることを,
すべての者が認めるであろう。」
キリストの存在そのものが,
新しい神の愛のあらわれでした。
「互に愛し合いなさい」という,
いましめをわたしたちに
示してくださいました。
まず,神が私たちを
愛して下さいました。
(ヨハネ13:1 口語訳)
「過越の祭の前に,イエスは,
この世を去って父のみもとに行くべき
自分の時がきたことを知り,
世にいる自分の者たちを愛して,
彼らを最後まで愛し通された。」
○
イエス・キリストの成長
(ルカ2:40口語訳)
「幼な子は,
ますます成長して強くなり,
知恵に満ち,
そして神の恵みがその上にあった。」
イエスさまは,
霊的にも知的にも
肉体的にも社会的にも,
全人格的に成長されました。
教会も個人も成長すべき模範が
イエス・キリストです。
○
召し
(マルコ1:16-18 口語訳)
「さて,
イエスはガリラヤの
海べを歩いて行かれ,
シモンとシモンの兄弟アンデレとが,
海で網を打っているのを
ごらんになった。
彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた,
『わたしについてきなさい。
あなたがたを,
人間をとる漁師にしてあげよう』。
すると,彼らはすぐに網を捨てて,
イエスに従った。」
ペテロは,イエスから,
神の働きとしての召しを受けました。
イエス・キリストを信じるとは,
神に選ばれ,呼びかけに答えることです。
わたしたちも,
それぞれの仕事に召されています。
主を見上げ,新しい力を受け,
疲れと惰性とストレスから解放されて,
新しい生活をしましょう。
○
命のパン
(ヨハネ6:35 口語訳)
「イエスは彼らに言われた,
『わたしが命のパンである。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決してかわくことがない。」
困難なとき,イエスを見つめると,
素晴らしい神のみわざを
見ることができます。
「わたしが命のパンである。」
イエス・キリストのみが
私たちの深い霊と心の渇きを満たして,
養ってくださいます。
○
休ませてあげよう
(マタイ11:28-30 口語訳)
「すべて重荷を負うて
苦労している者は,
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で
心のへりくだった者であるから,
わたしのくびきを負うて,
わたしに学びなさい。
そうすれば,
あなたがたの魂に
休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく,
わたしの荷は軽いからである」。
わたしたちは働くことと共に,
休むことが大切です。
イエスにあって休むことは,
こころの深みに
与えられる真の休息です。
「わたしのくびき」とは,
新しいイエス・キリストであり,
また,
キリストのいましめである
「互いに愛し合う」ことです。
(ヨハネ13:34 口語訳)
「わたしは,
新しいいましめをあなたがたに与える,
互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。」
○
良い羊飼い
(ヨハネ10:11口語訳)
「わたしはよい羊飼である。
よい羊飼は,
羊のために命を捨てる。」
神はわたしたちを物質面だけでなく,
神は言葉によって
私たちの命を養ってくださっています。
主の命によって,
わたしたちは満たされるのです。
○
かわく者は,きて飲むがよい
(ヨハネ7:37-39 口語訳)
「祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が
川となって流れ出るであろう』。
これは,イエスを信じる人々が
受けようとしている御霊を
さして言われたのである。
すなわち,
イエスはまだ栄光を
受けておられなかったので,
御霊が
まだ下っていなかったのである。」
仮庵の祭りの日に,
イエスが言いました。
イエス・キリストは,
わたしたちの深い渇きを
完全に満たされる救い主です。
イエス・キリストは,
生ける人格,生ける救い主です。
イエス・キリストの十字架,
復活によって,
わたしたちの霊の渇きは
いやされます。
○
十字架を負う
(ルカ9:23 口語訳)
「それから,みんなの者に言われた,
『だれでも
わたしについてきたいと思うなら,
自分を捨て,
日々自分の十字架を負うて,
わたしに従ってきなさい。』」
キリストは,
わたしたちのために十字架で死に,
わたしたちに永遠のいのちを
与えてくださいました。
キリストの苦難が
わたしたちの救いになっています。
「自分を捨て,
日々自分の十字架を負うて,
わたしに従ってきなさい。」だけが,
神の国の大いなる恵みを与えるのです。
十字架を負うことは喜びであり,
平安です。
○
幼子のように
(マタイ18:1-4 口語訳)
「そのとき,
弟子たちがイエスのもとにきて言った,
『いったい,
天国では
だれがいちばん偉いのですか』。
すると,イエスは幼な子を呼び寄せ,
彼らのまん中に立たせて言われた,
『よく聞きなさい。
心をいれかえて
幼な子のようにならなければ,
天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように
自分を低くする者が,
天国でいちばん偉いのである。』」
「幼子のように,自分を低くする」とは,
どのようなことでしょうか。
幼子は親の愛情と庇護を
一身に受けるように,
自分の無力さを知る者が
神の愛と力を受けて,
一番強くなります。
イエス・キリスト御自身が,
幼子のように低くなられた方でした。
イエス・キリストに倣うことが,
最善の導きです。
○
血の力
(ヘブル12:24 口語訳)
「新しい契約の仲保者イエス,
ならびに,
アベルの血よりも力強く語る
そそがれた血である。」
このわたしの身代わりになって
死んだキリストの血は
「あなたの罪は赦された!」と,
無罪釈放を力強く語っています。
すべての罪から私たちをきよめるのは,
イエスの血です。
サタンに勝つ力は
イエスの血にあります。
このイエスの血の力を信仰によって
受けようではありませんか。
(ヘブル12:24)
「さらに,
新しい契約の仲介者イエス,
それに,
アベルの血よりもすぐれたことを語る
注ぎかけの血に近づいています。」
聖書では,血はいのちを現しています。
(レビ17;14前)
「すべての肉のいのちは,
その血が,
そのいのちそのものである。」
○
キリストの血
(エペソ1:7)
「この方にあって私たちは,
その血による贖い,
罪の赦しを受けています。
これは
神の豊かな恵みによることです。」
キリストの血は,
アベルの血以上に,
私たちの罪深さを暴露しています。
しかし,それ以上に,
この私の身代わりになって死んだ
キリストの血は,
「あなたの罪はゆるされた!」と,
無罪釈放を強く語っているのです。
すべての罪から私たちをきよめるのは,
イエスの血です。
罪に打ち勝つ力,
サタンに打ち勝つ力は
イエスの血にあります。
○
新しい契約
(エレミヤ31:31-33 口語訳)
「主は言われる,見よ,
わたしがイスラエルの家とユダの家とに
新しい契約を立てる日が来る。
この契約はわたしが
彼らの先祖をその手をとって
エジプトの地から導き出した日に
立てたようなものではない。
わたしは彼らの夫であったのだが,
彼らはそのわたしの契約を
破ったと主は言われる。
しかし,それらの日の後にわたしが
イスラエルの家に立てる
契約はこれである。
すなわちわたしは,
わたしの律法を彼らのうちに置き,
その心にしるす。
わたしは彼らの神となり,
彼らはわたしの民となると
主は言われる。」
神の律法が,
心の中に直接,刻(きざま)れる日を
エレミヤは預言します。
この新しい契約は,
イエス・キリストが
来てくださることによって,
完成します。
新しい契約は,
イエス・キリストは,
信じる者の神となります。
そして,
信じる者は,神の民となります。
○
イエス,死と復活を予告する
(ルカ9:22,23 口語訳)
「『人の子は必ず多くの苦しみを受け,
長老,祭司長,律法学者たちに
捨てられ,
また殺され,
そして三日目によみがえる』。
それから,みんなの者に言われた,
『だれでも
わたしについてきたいと思うなら,
自分を捨て,
日々自分の十字架を負うて,
わたしに従ってきなさい。』」
キリストはわたしたちのために苦しみ,
十字架で死ぬために天から来られました。
もし主がこの苦しみを避けたなら,
私たちの救いは永遠になかったでしょう。
主の苦しみ,
特に十字架の苦難の死がなければ,
私たちは依然として
自分の罪と死に支配されたままになります。
実にキリストは,苦難を負うことで,
苦難の中にある者を救ったのです。
○
すべてが終わった
(ヨハネ19:28-30 口語訳)
「そののち,
イエスは今や万事が
終ったことを知って,
『わたしは,かわく』と言われた。
それは,
聖書が全うされるためであった。
そこに,
酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器が
おいてあったので,
人々は,
このぶどう酒を含ませた海綿を
ヒソプの茎に結びつけて,
イエスの口もとにさし出した。
すると,
イエスはそのぶどう酒を受けて,
『すべてが終った』と言われ,
首をたれて息をひきとられた。」
「すべてが終わった」
(ヨハネ19:30)という宣言は,
わたしたちの必要なことは
すべて成し遂げたという意味です。
「すべてが終わった」と言う宣言は,
十字架の救いが神の力であることを
意味しています。
そして,
「すべてが終わった」という宣言は,
罪に勝ち,死の力をもつサタンに
勝利の叫びとなります。
その勝利は
三日後のキリストの復活によって,
明らかになります。
○
十字架の信仰
(1ペテロ3:18)
「キリストも一度罪のために
死なれました。
正しい方が
悪い人々の身代わりとなったのです。
それは,肉においては死に渡され,
霊においては生かされて,
私たちを神のみもとに
導くためでした。」
○
愛のいましめ
(ヨハネ13:34,35)
「わたしは,
新しいいましめをあなたがたに与える,
互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。
互に愛し合うならば,
それによって,
あなたがたが
わたしの弟子であることを,
すべての者が認めるであろう」。
イエス・キリストは,
私たちの罪から救うために,
十字架で決定的に新しい救いの道を
開いてくださいました。
主御自身のご生涯をもって,
新しい愛のいましめを,
わたしたちに示してくださいました。
イエス・キリストの愛そのものが,
新しい神の愛の現われでした。
○
復活
(マタイ28:6 口語訳)
「もうここにはおられない。
かねて言われたとおりに,
よみがえられたのである。
さあ,
イエスが納められていた場所を
ごらんなさい。」
主は復活しました。
そして,主は今も生きておられます。
私たちは,
いまも生きておられる主を拝し,
主を信じています。
私たちは,
生きている主によって罪をゆるされ,
永遠の命を与えられて,
死と罪と人生のあらゆる戦いに勝つ
勝利の力を受け取っているのです。
○
聖霊降臨
(使徒10:44 口語訳)
「ペテロがこれらの言葉を
まだ語り終えないうちに,
それを聞いていたみんなの人たちに,
聖霊がくだった。」
聖霊はペテロの中の偏見,
先入観を取り除かれました。
人と人との壁,民族と民族との壁,
ありとあらゆる不協和音は,
心のなかの狭い考えによっています。
聖霊は一切の硬い壁を破壊して,
自己の中に調和をもたらし,
人と人とを一つに溶かします。
そして,聖霊は狭い殻を打ち破って,
視野を広げさせ,
人間の器を大きくさせられます。
○
聖霊の恵みの時代
(ヨハネ16;13 口語訳)
「けれども真理の御霊が来る時には,
あなたがたをあらゆる真理に
導いてくれるであろう。
それは自分から語るのではなく,
その聞くところを語り,
きたるべき事を
あなたがたに知らせるであろう。」
わたしたちは
聖霊によって
新しく造り変えられました。
そして,聖霊によって,
深い真理を知ることが出来るのです。
(2コリント4:16 口語訳)
「だから,
わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの
外なる人は滅びても,
内なる人は
日ごとに新しくされていく。」
(2コリント5:17 口語訳)
「だれでもキリストにあるならば,
その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った,
見よ,
すべてが新しくなったのである。」
○
神の右の座にいるイエス
(コロサイ3:1-4 口語訳)
「このように,
あなたがたはキリストと共に
よみがえらされたのだから,
上にあるものを求めなさい。
そこではキリストが
神の右に座しておられるのである。
あなたがたは
上にあるものを思うべきであって,
地上のものに心を引かれてはならない。
あなたがたは
すでに死んだものであって,
あなたがたのいのちは,
キリストと共に神のうちに
隠されているのである。
わたしたちのいのちなる
キリストが現れる時には,
あなたがたも,
キリストと共に
栄光のうちに現れるであろう。」
パウロにとって,復活のキリストは,
彼のうちに脈打っている
現在のいのちそのものでした。
パウロにとって,
信仰とは,復活のキリストと共に,
今この瞬間を,
キリストのいのちに
満ちあふれて生きることでした。
○
キリストの再臨
(黙示21:1 口語訳)
「わたしはまた,
新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り,
海もなくなってしまった。」
新しい世界が来ます。
新しい復活のからだであり,
あたらしい御国です。
○
万物は神に栄光を示しています。
(ローマ11:36口語訳)
「万物は,神からいで,
神によって成り,
神に帰するのである。
栄光がとこしえに神にあるように,
アァメン。」
2021-06-03