受難の僕
(イザヤ53:3−5)
「彼はさげすまれ,
人々からのけ者にされ,
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ,
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに,彼は私たちの病を負い,
私たちの痛みをになった。
だが,私たちは思った。
彼は罰せられ,神に打たれ,
苦しめられたのだと。
しかし,彼は,
私たちのそむきの罪のために
刺し通され,
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが
私たちに平安をもたらし,
彼の打ち傷によって,
私たちはいやされた。」
イザヤの預言した
「受難の僕」です。
この預言は,
イエスの受難と十字架の死によって
成就しました。
受難の僕はわたしたちの罪,
苦難を背負う
イエス・キリストの姿でした。
☆
イエス・キリスト,侮辱の戴冠式
(マタイ27:27-31)口語訳
「それから総督の兵士たちは,
イエスを官邸に連れて行って,
全部隊をイエスのまわりに集めた。
そしてその上着をぬがせて,
赤い外套を着せ,
また,いばらで冠を編んで
その頭にかぶらせ,
右の手には葦の棒を持たせ,
それからその前にひざまずき,
嘲弄して,
「ユダヤ人の王,ばんざい」
と言った。
また,イエスにつばきをかけ,
葦の棒を取りあげて
その頭をたたいた。
こうしてイエスを嘲弄したあげく,
外套をはぎ取って元の上着を着せ,
それから十字架につけるために
引き出した。」
兵士はイエスを侮辱します。
イザヤ53章の受難の僕の姿です。
☆
イエスの弟子のペテロは
次のように言います。
(1ペテロ2:21−24)
「あなたがたが召されたのは
このためです。
というのは,
キリストもあなたがたのために
苦しみを受け,
その足跡に続くようにと,
模範を残されたからです。
『この方は,
罪を犯したことがなく,
その口には偽りがなかった。』
ののしられてもののしり返さず,
苦しめられても人を脅さず,
正しくお裁きになる方に
お任せになりました。
そして,十字架にかかって,
自らその身にわたしたちの罪を
担ってくださいました。
わたしたちが,
罪に対して死んで,
義によって
生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって,
あなたがたはいやされました。」
2023-03-16